『アラバマ物語』

この週末は、ブルーレイで『アラバマ物語』を見た。

1962年のアメリカ映画。
監督はロバート・マリガン。
製作は、後に『大統領の陰謀』の監督を務めるアラン・J・パクラ
主演はグレゴリー・ペック
彼の出演作を見たのは、『オーメン』『ナバロンの要塞』に続いて、ようやくこれで3本目。
『マッシュ』『シノ―ラ』『ゴッドファーザー』『カンバセーション…盗聴…』『ゴッドファーザーPART Ⅱ』『ネットワーク』『地獄の黙示録』等のロバート・デュバルが、最後の方に結構重要な役で出て来る。
後に悪徳弁護士や気の狂った軍人を演じる人とは思えない、無口で気の弱そうな青年である。
若く、そして髪の毛があることに驚かされる。
音楽は『十戒』『荒野の七人』等のエルマー・バーンスタイン
原作はハーパー・リーの自伝的小説で、全米で900万部を売り上げた大ベストセラー。
アメリカのハイスクールでは、生徒にこの作品を読ませて、感想文を書かせるそうである。
日本で言えば、『こころ』みたいな位置付けだろうか。
映画は、子供の視点で描かれているが、本作は法廷のシーンが特に有名。
法学部の学生は必見かも知れない。
その前は、まあ子供が主人公の牧歌的な話しなのだが、裁判が始まった瞬間、一気に緊迫感が高まる。
ヴェニスの商人』みたいなものだ。
本作はモノクロである。
タイトル・バックは子供の宝箱。
舞台は1932年、アラバマ州の古びた田舎町メイカム。
今年の夏は酷暑。
私の名はスカウト。
年齢は6歳。
おてんば娘である。
兄はジェム、10歳。
父はアティカス・フィンチ(グレゴリー・ペック)。
職業は弁護士。
母は私が2歳の時に亡くなった。
アティカスは、貧しい人の弁護も引き受ける。
お金のない人は、お礼に農作物を持って来る。
現代では考えられないけれど、彼の人柄は現れている。
描かれるのは、子供の世界。
近所には、「ブー」と呼ばれる謎の存在がいる。
彼は鎖でベッドにつながれている(らしい)。
誰も、その姿を見たことがない。
最初は何だかよく分からなかったが、これが後の重要な伏線になっている。
アティカスは「人の噂はするな」と子供達をたしなめる。
ある日、地元の判事がアティカスに、白人女性メイエラに対する婦女暴行事件で、黒人容疑者トム・ロビンソンの弁護を依頼する。
子供達は、裁判の様子を覗きに行く。
この時点では、未だ裁判については深入りしない。
あくまで、子供の日常生活の一部として描かれている。
子供達は、相変わらず夜にブーの家を見に行ったりしている。
子供の頃、僕も悪ガキ仲間とよく探検ごっこなんかをやったもんだ。
何故か銃声が辺りに響き渡り、子供達ははふはふの体で逃げ帰る。
翌朝、子供達が学校に行くと、クラスメイトと大ゲンカになる。
そのクラスメイトは貧民下層階級であった。
クラスメイトはアティカスの自宅に夕食に招かれる。
下層階級に対する心の広さが描かれている。
このクラスメイトは、ナイフとフォークすらまともに使えない。
まるで『自転車泥棒』のようだ。
スカウトは翌朝、「学校に行きたくない」と言う。
「未だ1日しか行っていないじゃないか」とアティカスは諭す。
父と子の温かい関係性。
今度は、狂犬が町に現れる。
危機一髪のところへアティカスが戻って来て、銃で撃つ。
彼は、腕前のいいハンターでもあったのだ。
夜、アティカスは子供達を連れて依頼人トムの家へ行く。
まあ、とにかくトム・ロビンソンの家が貧しそうで、この時代の南部の国民の置かれた悲惨な状況が伝わって来る。
裁判の相手方のメイエラの父が酔っ払いながらやって来て、「黒人の手先め!」と脅す。
次の日、スカウトは学校でケンカばかりしている。
原因は、同級生から「お前の父ちゃんは黒人の弁護を引き受けた」と言われたから。
その同級生は、白人の下層階級である。
白人の下層階級が黒人を見下す。
これは、2ちゃんねるに「チョン氏ね!」等と書き込むネトウヨ化したニート、フリーターと全く同じである。
差別の構図は、時代や場所が違っても、変わらないということか。
さて、ジェムは家の前の木にあるくぼみの中で見付けたもの(ガラクタ)を宝物にしている。
タイトル・バックに写っていたのはこれだな。
まあ、子供の頃は、どうでもいいような物を大事に取っていたりするものだ。
1年後、アティカスがトム・ロビンソンを留置所から連れ戻す。
これが町中の噂になる。
ある夜、アティカスは黒人差別派の住民達に取り囲まれる。
スカウトやジェムもその様子を見ていた。
住民の中には、スカウトの同級生の父親もいた。
子供の前でこんな醜態をさらすなんて、教育上良くないねえ。
いよいよ裁判の日、町中の人が傍聴に集まっている。
子供達も見に行くが、こんなレイプ事件の裁判を子供に見せてもいいのだろうか。
この裁判のシーンは迫力がある。
メイエラはトムにレイプされたと言う。
だが、彼女は右側を殴られているので、犯人は左利きのはずだが、トムは子供の頃の事故で左手が不自由なのであった。
アティカスの指摘は決定打だ。
メイエラはまともな証言が出来なくなり、トムに向かって悪態をつきまくる。
普通の裁判なら、これで裁判官の心証が非常に悪くなりそうなものだが…。
この後、大どんでん返しがある。
アティカスは、この裁判の中で「Negro」という言葉を使っているが、当時は人権派の弁護士でも、これが一般的だったのだろうか。
アメリカ映画史上に残る名作とされているが、僕は、どうにも結末が気になった。
ネタバレになるので、詳しくは書かないけれど、人間をそんなに簡単に善人と悪人に分けてしまって良いのか。
悪人は、いなくなったら「めでたしめでたし」で良いのか。
裁判で正義を貫き通したはずの弁護士が、実は最後に不正に加担してしまっているではないか。
何だか、『ショーシャンクの空に』と同じような納得のいかなさが残った。
まあ、それでも映画自体はよく出来ていると思う。
アカデミー賞主演男優賞、脚色賞、美術賞(白黒部門)受賞。