『評決』

この週末は、ブルーレイで『評決』を見た。

1982年のアメリカ映画。
監督は、『狼たちの午後』のシドニー・ルメット
脚本は、『アンタッチャブル』のデヴィッド・マメット
製作は、『続・激突/カージャック』『ジョーズ』のデイヴィッド・ブラウンとリチャード・D・ザナック
主演は、『ハスラー』『引き裂かれたカーテン』『暴力脱獄』『明日に向かって撃て!』『スティング』『タワーリング・インフェルノ』『ハスラー2』の大スター、ポール・ニューマン
共演は、『大統領の陰謀』『ナイル殺人事件』『チャンス』のジャック・ウォーデン、『北北西に進路を取れ』『ロリータ(1962)』『ローマ帝国の滅亡』『戦争のはらわた』『地中海殺人事件』のジェームズ・メイスン、『バーバレラ』『ロミオとジュリエット(1968)』のミロ・オーシャ、『大統領の陰謀』のリンゼイ・クローズ、『クレイマー、クレイマー』のジョー・セネカ
20世紀フォックス
テクニカラー、ワイド。
一人、ピンボールで遊ぶフランク・ギャルヴィン(ポール・ニューマン)。
昼間から酒を飲んでいる。
彼は弁護士だが、アル中だった。
新聞の死亡欄で、客になりそうな事故死を調べては、葬式を訪ね歩いていた。
もちろん、名刺を渡すと遺族は激怒し、追い返されるのが常。
そりゃそうだよな。
人の死を食い物にするんだから。
そうして、また酒を煽っては、酔っ払って事務所で暴れるという荒んだ日々。
自暴自棄な雰囲気がよく出ている、いいオープニングである。
そんな姿を見て、先輩弁護士のミッキー・モリッシージャック・ウォーデン)は、「君にはもう愛想が尽きた」と言う。
また、酒場に行き、生卵をジョッキのビールに入れて、一気に飲む。
ロッキーの変種か。
ミッキーはギャルヴィンに、簡単に済みそうな事件を持って来ていた。
出産で入院したサリー・ドナヒーという女性が、麻酔処置のミスで植物人間になってしまったという事件。
ギャルヴィンは、サリー・ドナヒーが入院している病院へ行く。
ベッドに横たわっている女性。
ギャルヴィンが事務所へ戻ると、件の患者の姉夫婦が来ていた。
サリー・ドナヒーは、今や姉の顔も分からなくなっているという。
病院は、カトリック系の聖キャサリン病院。
大病院や教会は、事を穏便に済ませるため、示談に持ち込んで来るのは確実だから、裁判は避けたかった。
ギャルヴィンは元々、ボストン・カレッジの法科を2番の成績で卒業したエリートだったらしい。
それが、今は何故こうなったか。
なお、ボストン・カレッジは、ボストン市内で最も歴史のある名門私立大学だそうだ。
ギャルヴィンが教会へ出向くと、案の定、教会の権威に傷が付くことを恐れた司教が、示談を申し出る。
今度は、大病院の麻酔科の権威・グルーバー博士を訪ねる。
博士は「医者のミスは明らかなのに、何故裁判をしない」と問う。
彼は、「正義のために」裁判の証人になることを引き受ける。
夜、ギャルヴィンは酒場へ。
カウンターに座っていた、謎めいた美しい女性ローラ・フィッシャー(シャーロット・ランプリング)に声を掛けるが、軽くあしらわれる。
翌日、ギャルヴィンはサリー・ドナヒーの病院へ。
ベッドに横たわったまま動かない彼女の写真をポラロイドで撮るギャルヴィン。
その写真を見ながら、ふと考える。
彼の中に、人間の尊厳とは何か、という感情が沸き起こったようだ。
説明はないが、それが分かるようなシーンだ。
僕は小学生の頃、辞典で公害について書いてある章を読んだ時、水俣病患者が横たわっている写真が載っていた。
それを見た時は、大変なショックを受けた。
ギャルヴィンは再び教会へ行く。
先方が掲示して来た補償金額は21万ドル。
この内の3分の1、つまり7万ドルが弁護士報酬としてギャルヴィンに支払われることになっていた。
仕事がなくて困っていたギャルヴィンにとって、これは大金だ。
しかし、二枚舌の権力者が、何の反省もなく、自らの体面のためにカネでことを済ませようとする姿勢に、ふつふつと怒りが湧いて来る。
このままだと、真実は闇に葬られる。
ギャルヴィンは、昏睡状態に陥っている女性を、心から気の毒だと思い始めていた。
彼は、この大金を蹴って、裁判に持ち込むことを宣言する。
決裂したミッキーを訪ね、「力を貸してくれ」と懇願するギャルヴィン。
ミッキーは、「裁判に持ち込む」と聞いて、驚く。
「向こうの弁護士はコンキャノン(ジェームズ・メイスン)だぞ。勝ち目はない。」
コンキャノンは超一流の弁護士だった。
早速、20人位はいそうな事務所のスタッフを集めて、作戦会議。
マスコミをフルに使って、病院の過失を全面的に否定しようと様々な仕掛けを考える。
対するギャルヴィンは、ミッキーと二人だけだった。
ここから、大きな力に立ち向かおうとする個人が如何に無力であるか、イヤと言うほど見せ付けられる。
我々の周りでも、日常的に見られる光景だ。
夜、ギャルヴィンが例の酒場へ行くと、またローラがいた。
彼女の前夫は弁護士だったという。
ギャルヴィンはローラを口説き、一緒に食事を。
そこで、彼は「弱者を守る人間が必要だ」と熱弁を振るう。
正義を唱えるギャルヴィンに心惹かれたローラは、彼の部屋へ。
抱き合う二人。
数日後、朝からピンボールで遊ぶギャルヴィン。
今日は調子が良い。
つい、約束の時間に遅刻してしまった。
その日は、判事のホイル(ミロ・オーシャ)との面会の日だった。
急いで行くと、そこにはコンキャノンも来ていた。
ギャルヴィンは、ホイルから「条件は何か?」と聞かれる。
どうしても裁判に持ち込まれたくないようだ。
無論、ギャルヴィンは裁判を希望する。
「本気かね?」と呆れ顔の判事。
一方で、コンキャノンの世論誘導作戦は着々と進んでいた。
世間は、こんなのにコロッとダマされる訳よ。
先の都議選を見りゃ分かるよな。
今度の総選挙も、おんなじような構図になりそうだが。
あんまり書くと、批判のコメントとか付いたら面倒だから、これで止めておくが。
で、コンキャノンが手を回して、医療ミスを犯したタウラー医師が出演するテレビ番組が作られていた。
タイトルは『病気と闘う名医』。
ケッ!
魚市場の移転を見直すとかほざいて、結局何もしなかった知事みたいだな。
一方、ギャルヴィンは、件の患者の姉の夫とバッタリ会って、殴られる。
そりゃそうだ。
この弁護士は「任せろ」と言いながら、21万ドルを蹴ったんだから。
患者の義兄は言う。
「オレは安月給だが、アンタを雇ったんだ!」
本作には、本当にカネも権力もない無名の庶民が何人も登場する。
彼らは、医者や弁護士のようなエリートは、はなから信用していない。
大きな権力に立ち向かおうとしつつ、自分が味方しようとしている弱者からも信用されない。
ギャルヴィンが単なるヒーローではなくて、この狭間で葛藤する姿勢が描かれているのが良い。
で、ギャルヴィンは必死で「裁判には勝てる」と言うが、この義兄は聞く耳を持たない。
その後、ギャルヴィンは証人のグルーバー博士と会う約束だったが。
何と、彼は現れない。
家を訪ねてもいない。
病院の看護婦も、裁判では証言しないという。
明らかに、コンキャノンからの圧力が掛かったようだ。
頼みとしていた証人が失踪した。
ギャルヴィンは、夜更けにホイル判事の家を訪ね、審理の延期を懇願する。
だが、最初から権力者側と癒着しているホイルが聞き入れるはずもなかった。
その夜、ギャルヴィンと会う約束だったローラは、彼がやって来ないので、ミッキーから彼の経歴を聞いていた。
ギャルヴィンは、大学卒業後、一流の法律事務所に勤務するようになった。
すぐにボスの娘と結婚し、バラ色のエリート人生を歩むかに見えた。
ところが、先輩の不正事件に巻き込まれ、買収工作の罪を被せられ、逮捕される。
不起訴だったが、クビになり、妻とは離婚。
全てを失った彼は、坂道を転げ落ちるように。
で、その頃、打つ手がなくなり、焦ったギャルヴィンは保険会社に電話をし、裁判は止めて示談金を受け取りたいと申し出るが、当然のように断られる。
必死であちこちに電話をするが、ムダであった。
その頃、コンキャノンはタウラー医師の証言の予行演習をしていた。
どうすれば、陪審員の印象をよく出来るかを、懇切丁寧にアドバイス
ご丁寧にカメラまで回して。
ギャルヴィンは、一人だけ証人を引き受けてくれることになったトンプスン医師を駅まで迎えに行く。
彼は、年老いた黒人であった。
更に、当夜の看護婦モーリン・ルーニー(ジュリー・ボヴァッソ)に証言を頼みに行くが、ケンモホロロに断られる。
彼女は、「アンタ達はみんな同じよ!」と吐き捨てる。
弁護士はカネの亡者で、人間の心など持ち合わせていないと。
弁護士というのは、やはり庶民には全く信用されていないのであった。
ギャルヴィンの証人が黒人の医師だという話しは、コンキャノンに漏れていた。
彼は、裁判での黒人対策も熟知していた。
これが、どうにもテクニックめいていて、気分が悪い。
非常に差別的だ。
でも、白人の弁護士にとっては、黒人は厄介な存在なのだろう。
ギャルヴィンは、トンプスン医師に色々と尋ねる。
トンプスン医師は、相手方のタウラー医師のような医学の権威ではない。
単なる町医者である。
しかも、高齢なので、ちょっと質問に対する答えがピンぼけ気味であった。
最早、ギャルヴィンには打つ手はなかった。
「負けるよ…。」
彼は、完全に自信喪失していた。
裁判は明日だ。
そんなギャルヴィンを叱咤激励するローラ。
ものすごいプレッシャーである。
何とか立ち直ったギャルヴィン。
いよいよ裁判当日。
さあ、これからどうなる?
さすが、『十二人の怒れる男』の監督だけあって、裁判シーンはお手の物である。
ネタバレになるので、あまり書けないが、この後も幾つも波瀾がある。
クライマックスは、余計な演出もなく、静かだ。
映画は、こうでないといけない。
昨今のハリウッド映画は、何でも安っぽい娯楽にしてしまう。
結末も、決してハッピー・エンドとは言えない。
プッツリと終わる。
だが、名作だと言えるだろう。
ポール・ニューマンが、弱い人間を演じたのが良かった。