『赤い影』

この週末は、ブルーレイで『赤い影』を見た。

1973年のイギリス・イタリア合作映画。
監督は、『アラビアのロレンス』『ドクトル・ジバゴ』『華氏451』等の撮影監督を務めたニコラス・ローグ
原作は、ヒッチコックの『鳥』で名高いダフネ・デュ・モーリア
主演は、『マッシュ』『戦略大作戦』『普通の人々』のドナルド・サザーランド、『ドクトル・ジバゴ』『華氏451』『ハムレット(1996)』のジュリー・クリスティ
音楽は、『キャリー』のピノ・ドナッジオ
舞台はイギリス。
郊外の邸宅。
庭の池に降り注ぐ雨で始まる。
雷の音。
赤いコートの少女が駆けている。
ジョン(ドナルド・サザーランド)の愛娘クリスティーだ。
ジョンは古い教会を修復する仕事をしている。
自宅で熱心にステンド・グラスのスライドを見るジョン。
とても『マッシュ』の人とは思えないほど、今回はシリアスな表情。
傍らには、妻のローラ(ジュリー・クリスティ)。
ふと、ジョンにイヤな予感が走る。
次の瞬間、赤いコートの少女が池に落ちる。
急いで助けに行くジョン。
しかし、間に合わなかった。
死。
言葉で説明するのは難しいが、ニコラス・ローグは撮影監督出身らしく、ここまでをほとんどセリフ抜きで、スローモーションを多用しながら描く。
そして、本作は邦題の通り、作中で赤い色を極めて印象的に使っている。
まあ、これがラストへの伏線になっているのだが。
数ヵ月後、場所は変わって、イタリアのベネチア
ジョンは、妻と一緒に教会修復の仕事に来ている。
本作の語り口調は、非常に思わせ振りである。
ずっとこの調子なのでイライラするが、最後に全てが分かる様になっている。
レストランで食事中のジョンとローラ。
同じレストランに年老いた姉妹もいた。
姉はウェンディー、妹はヘザー。
妹は目が見えないが、霊視が出来るという。
白濁した瞳は、おそらくカラー・コンタクトを入れているのだろう。
この時代は、未だ性能のいいコンタクト・レンズがないので、大変だったに違いない。
で、ヘザーは、赤いレインコートを着た亡くなった娘さんの姿が見えるとローラに言う。
「悲しむな」と。
それを聞いたローラは、娘のことを思い出して、その場で倒れてしまう。
水の都らしく、救急車のような船で病院へ運ばれるローラ。
そのまま入院。
ローラは、盲目のヘザーの霊視能力を信じてしまった。
しばらくして、ローラは退院する。
途中で、水死体を引き上げている現場に遭遇する。
この頃、ベネチアでは、謎の殺人事件が連続して起きているのであった。
ジョンとローラは二人で教会に行く。
すると、さっきの盲目の老女がいる。
ジョンは妻の手を引いて逃げる。
しかし、ローラはご機嫌である。
夫は、怪しい老姉妹とは関わりたくないと思っていたが、妻は、彼女達のことを信じ切っていた。
本作は、ベネチアが舞台なので、当然のことながら、イタリア語がたくさん出て来る。
以前、黒田龍之助先生の本に「イタリア語がよく出て来る映画は『ローマの休日』と『ゴッドファーザー』」とあったが、本作も相当なものだ。
相変わらず、話しは読めない。
ホテルに戻って、入浴するジョンとローラ。
ドナルド・サザーランドジュリー・クリスティーのヌードである。
この後、当時としては挑戦的であったと思われる濃厚なラブ・シーンがある。
別の画とカット・バックはさせているものの、かなり長いよ。
夜、ジョンとローラは外出し、道に迷う。
赤い服の少女を一瞬、見掛ける。
日にちが変わって、ジョンは教会修復の作業中。
また、霊視の老姉妹を見掛けた。
夫の作業を見守っていたローラが、彼女達に話し掛ける。
「もっと娘が死んだ時の話しを聞かせて。」
盲目の妹ヘザー曰く、「あなたのご主人には霊能力があるが、本人は自覚していない」と。
この老姉妹を巡って、ジョンとローラは険悪な空気に陥っていた。
ジョンは、妻に向って「また子供を産めばいいんだ」という暴言まで吐いていた。
妻は一人で老夫婦のところへ出掛けて行った。
老姉妹とローラとのやり取りは、まるで『ローズマリーの赤ちゃん』のように怪しい雰囲気である。
ジョンは、気になって老夫婦の居場所までやって来るが、住民に不審者扱いされてしまう。
部屋の中では、老姉妹とローラとの怪しげな儀式が続いていた。
「あなたの亡くなった娘さんが警告している。ベネチアにいると、旦那さんの命が危ない。」
ローラはショックを受ける。
この後、深夜にジョンとローラの宿泊先へ緊急の電話が入る。
今度は、息子が事故に遭ったというのだ。
ローラはジョンに「休暇を取って」と頼んで、急ぎイギリスへ戻る。
さて、これからどうなるだろう。
全編を通して、赤い色が非常に効果的に使われている。
ベネチアの建物は、非常に歴史を感じさせるが、よく見ると、かなりボロイ。
登場人物は皆、どこかしらヘンである。
余談だが、本作を見ていると、イタリアでは英語があまり通じないようだ。
よく、「日本は世界で一番英語が通じない国だ」等と言われるが、それは英会話学校の宣伝に洗脳されているだけなんじゃないの。
前に見ていた『ロケみつ』という深夜番組でも、フランスやスペインでは、ほとんど英語が通じていなかった。
同じヨーロッパ圏でもそうなのだから、日本で簡単に英語が通じると思っている方がおかしい。
で、本作だが、ラストは衝撃的である。
全ては、ラストへ向けての壮大な伏線に過ぎない。
こんなワン・アイディア・ストーリーを、2時間近くも引っ張る手腕はスゴイ。
本作は、オカルトなのかミステリーなのかサスペンスなのかスリラーなのか、分類不能だが、特殊効果はほとんど出て来ない。
CGで何でも視覚化してしまう昨今では、こういうタイプの映画を観客が受け入れるのは難しいだろう。