『ララビアータ(片意地娘)』を原文で読む(第1回)

グリム童話』のテキスト2冊を読了したので、パオル・ハイゼの『ララビアータ(片意地娘)』を読むことにします。
パオル・ハイゼについて
パオル・ハイゼは1830年3月15日、ベルリンに生まれました。
祖父と父は著名な言語学者であり、母はユダヤの名門宮廷御用宝石商の娘でした。
そのため、彼は極めて恵まれた環境に生まれ育ちました。
ベルリン大学及びボン大学言語学ロマンス語)を学びましたが、学者の道へは進まず、文学の世界に身を投じます。
既にベルリン時代に詩人ガイベルの知遇を得て、学位を得た後、22歳でプロシア政府の奨学金を受けてイタリアに旅行しました。
彼の作品にはイタリアに取材するものが多いのですが、それはこの旅行に負っています。
彼は南下してローマやナポリに赴き、更にナポリ湾頭にあるカプリの島にも渡りました。
その頃、カプリは未だ美しい島だったのです。
24歳の時、ガイベルの推挙で、文芸愛好家であるバイエルン王マクシミリアン二世に招かれてミュンヘンに移り、多額の年金を受けて、残りの生涯をこの地で送りました。
貴族に列せられ(1910年)、シラー賞(1884年)、ノーベル賞(1911年)を受けるなど、社会的、経済的、文学的にこの上なく恵まれた彼の生涯は、1914年に閉じられます。
84歳でした。
彼は屈指の多作家で、詩、戯曲、長編小説、短編小説等、多方面に渡って膨大な数の著作を残しました。
戯曲は約70篇、短編小説は実に約120篇を数えます。
しかし、彼の本領は短編小説にあって、その他の方面では、それほど秀れたものは残していません。
中でも有名なのは、メーリケによって絶賛された、この『ララビアータ(片意地娘)』です。
ハイゼは、この1作によって、颯爽と文壇にデビューしたのでした。
『ララビアータ(片意地娘)』について
『ララビアータ(片意地娘)』の内容については、郁文堂版の対訳本の「解説」にまとめられているので、以下に引用します(旧字体は改めました)。

ソレント(Sorrento)の船頭アントニーノ(Antonino)は、町の娘ラウレラ(Laurella)にひそかな思いを寄せていたが、「片意地娘」と呼ばれているこの少女はそれに応ずる気配も見せなかった。
今日もアントニーノは町の神父を乗せてカプリ(Capri)へ渡った。ラウレラも乗り合わせた。彼女は病気の母親のために絹と撚り糸とをカプリに売りに行くのだった。神父はラウレラの片意地を難ずるが、ラウレラは、父に苦しめられた母を見て男が嫌いになったのだ。ナポリ(Napori)の画家の求婚を拒んだのも、彼の眼にあの父の眼を見たからだと言う。
帰りの舟はラウレラだけだった。彼女はアントニーノの好意を全く受けようとしない。沖へ出たころ、彼は自分の感情に結末をつけようと彼女を抱いたが、右手を噛まれた。ラウレラは海にとびこんで、ぐんぐん泳いでゆく。陸にはまだ遠い。アントニーノは舟底を朱に染めながら彼女を追って、舟に救い上げた。そのとき舟が傾いて、彼の上衣は海中へ落ちた。ラウレラははじめて彼の手から血が流れているのを知って、自分のハンカチでしばってやった。二人とも最後まで無言だった。
ラウレラに別れたアントニーノが、傷の痛みと自分の仕打に対する自責とでその晩よく眠れないでいるところに、ラウレラが現われた。傷の手当てのために薬草をとって持ってきたのである。アントニーノが昼間のことをわびると、ラウレラも自分がいけなかったのだと言ってあやまる。そして、アントニーノが自分の損害のことは少しも気にかけずに彼女にやさしくするので、とうとうラウレラは彼の頸に抱きついて愛を告白する。接吻をかわして、ラウレラは明るい夜のなかをひとり戸口から出ていった。

原文を読むという作業は、どうしても「木を見て森を見ず」という状態に陥りがちなので、予め、あらすじを頭に入れて読み進めるのが良いでしょう。
僕がこの作品を選んだのは、『ドイツ語のすすめ』(講談社現代新書)という本で紹介されていたからです。
初級文法を終えて中級に進む際に「どんな読み物を選ぶか」という項で、「ハイゼの『片意地娘』や、シュトルムの『みずうみ』は、一度は読まなければならないものと思います」と書かれています。
これらの作品は、かつて旧制高校のドイツ語の授業では、必読の書でした。
第三書房版の『対訳 ララビアータ』の「あとがき」には、次のようにあります。
旧制高等学校の一年生の頃、私は教室でこの小説を教わった。もう30年の昔である。」
この「あとがき」が書かれたのが1955年8月とあるので、昭和の頭頃のことでしょう。
僕の手元にはないので、ネットからの孫引きになりますが、三修社版の対訳本には、次のようにあるとのことです。

パウル・ハイゼの短編小説「ララビアータ」に渕田一雄氏が注と訳を付けた参考書(1983年三修社刊)があります。最初にこの小説についての説明を読みますと、こう書いてあります。「戦前、旧制高校でドイツ語を学ぶ学生が中級で必ず一度は読むことになっていたものにゲーテのウェルテル、シュトルムの湖畔、それからこのハイゼのララビアータの3つがあります」と。

中級で必ず読むということは、ラテン語で言えば、『ガリア戦記』に当たる作品だということですね。
旧制高校では、現在の大学とは比較にならないほどドイツ語教育が盛んでしたが、『立身出世主義』(世界思想社)によると、ドイツ語を第2外国語として学ぶ文科甲類では、授業は週4コマ(一コマ50分)でした。
つまり、現在の大学の第2外国語の授業時間数と、そんなに変わらなかったのです。
実際、戦後の新制大学でも、当初は旧制高校の先生が引き続きドイツ語を教えていたので、授業内容も戦前と同じでした。
郁文堂版の『ララビアータ(片意地娘)』のカバー袖には、「この『郁文堂 独和対訳叢書』は大学一・二年向きで、初歩からでも入れるように、註は懇切丁寧を旨としています」と書かれています。
この郁文堂のシリーズには、本作の他に、『グリム童話』や、シュトルムの『湖畔』(みずうみ)、更には、ヘッセの『青春は美わし』といった、ドイツ文学史上の名作が並んでいて、昔は、こんなものを普通の大学生が1、2年生で読んだとは、到底信じられません。
現在では、独文科の学生でも難しいのでしょうか。
インターネットで、「ララビアータ 講読」で検索しても、ほとんど何も引っ掛かりません。
本作は最早、忘れ去られた作品なのでしょう。
岩波文庫の翻訳も、絶版になっています。
英語偏重の上、文学軽視の風潮で、独文科など、風前の灯のようです。
NHK教育テレビドイツ語講座だって、以前はきちんと文法を1年間掛けて学習するようになっていたのに、今では、旅行会話しか出て来ません。
こんなことで良いのでしょうか(良いはずがない)。
かつて、NHKのテレビとラジオでドイツ語講座を担当していた小塩節氏は、『「グリム童話」をドイツ語で読む』(PHP研究所)の中で、次のように述べています。

NHKテレビのドイツ語講座は、楽しく学ぶきっかけとモチヴェイションを与えてくれるものです。でもテレビだけで完全な力がつくわけではありません。ラジオのほうが力がつきます。ラジオのドイツ語講座を3年、テレビは15年このかたずっと担当している本人が言うのですからまちがいありません。

とは言え、この本が出たのは1984年ですから、もう30年以上も前のことです。
小塩氏が現在のテレビ・ドイツ語講座の惨状をごらんになったら、さぞかし頭を抱えられることでしょう。
テキストについて
テキストは、現在新刊で入手可能な対訳本が2種類(郁文堂、大学書林)あります(僕は、どちらも池袋のジュンク堂で購入しましたが、アマゾンでは品切れになっていますね)。
郁文堂版

ララビアータ―片意地娘 (独和対訳叢書 (21))

ララビアータ―片意地娘 (独和対訳叢書 (21))

初版は1953年。
訳注は関楠生氏(東京大学教授)。
注は、「解説」に、「訳と対照すれば直ちに判明するようなところは煩を避けて省いたものもある」とあるように、あまり詳しくありません。
また、訳文も「読みにくい直訳体はできるだけ避けるよう心がけた」とあります。
これは、文学作品としての翻訳ならともかく、対訳本としてはどうでしょうか。
大学書林
ララビアータ

ララビアータ

(※アマゾンのリンクのタイトルが間違っていますが、正しくは『ララビアータ』です。)
初版は1957(昭和32)年。
郁文堂の対訳本が出たのが1953年、第三書房のものが1955年ですから、この頃はドイツ文学の対訳本の出版ラッシュだったのかも知れません。
昨今は、ドイツ文学の対訳本を読む人など、ほとんどいないので、新刊も出せないのでしょう。
訳注は藤本直秀氏。
僕は、発行年月の新しい大学書林版を選びました。
このテキストの本文は、44ページ分あります。
大学の授業で、一コマ(90分)に2ページずつ進んだとして、ちょうど1年で終わる位の分量です。
現在の大学では、授業は年間30週と決められていますが、昔の早稲田は休講が多く、最初の授業は「ガイダンス」と称してテキストには入らず、また、前・後期の試験で2回は授業が潰れますから。
ですから、この本1冊で2単位分ということですね。
ただ、大学時代、ドイツ語が第一外国語だった細君によると、6冊あったテキストの内、授業で最後まで読んだものはないそうです。
進度はテキストのレベルにもよるそうですが、「旧制高校で必ず読まれた作品」と僕が言うと、細君曰く「無理でしょう」とのこと。
中には、予習をしてこない不埒な学生(僕のことです)もいますしね。
ちなみに、細君はドイツ語の授業で『ツァラトゥストラ』の原文を読んだそうです。
なお、このテキストには本文の下に注釈が付いていますが、大した量ではありません。
でも、非常に的確です。
訳文は直訳調のため、本文との照合がし易くなっています。
本文は『グリム童話』より格段に難しいです。
特に、関係詞が多用されています。
修飾の多い、大人の文章というところでしょうか。
専門的な語句もたくさん出て来るので、初級用の独和辞典だけでは、全然足りません。
文学作品を読み進めるには、独和大辞典が必須でしょう。
辞書・文法書など
文学作品の原文を読むに際して、辞書は最大の伴侶です。
上で書いたように、初級用の辞書だけでは足りません。
しかし、未だ未だドイツ語力が身に付いていない初学者にとって、メインで使うべき辞書は、やはり懇切丁寧な学習独和辞典です。
アポロン独和辞典』(同学社)
僕は、『アポロン独和辞典』を愛用しています。
アポロン独和辞典

アポロン独和辞典

1972年刊行の『新修ドイツ語辞典』をルーツとする、日本で最も歴史のある学習用独和辞典です(『アポロン』の初版は1994年)。
ポピュラーな初学者用辞典には、他に『アクセス独和辞典』(三修社)と『クラウン独和辞典』(三省堂)がありますが、何でも一番伝統のあるものを選んでおけば、間違いはありません。
辞書は、改訂を重ねる度に改良されるものなので、歴史のある辞書は、それだけ最初のものより改善されていると考えられます。
刊行当時、『新修ドイツ語辞典』は、初学者のための配慮と工夫をこらした先駆的な学習辞典として、広く学習者に迎えられたそうです。
例えば、カタカナでも発音表記や、活用・変化形を見出し語として扱うなど。
もっとも、教養主義がまだ残っていた70年代の大学では、この辞書を使っているとバカにされたという話もありますが。
その頃の学生は、「木村・相良」や「シンチンゲル」といった上級者向けの辞書を、無理して使っていたようです。
それはさておき、『アポロン独和辞典』の見出し語は約5万。
これは、『アクセス』の約7万3500語、『クラウン』の約6万語と比べて少ないですが、そもそも初学者用の辞書にそんなにたくさんの語数は必要ないと思います。
原文を読んでいて、この辞書に載っていない単語があれば、もっと大型の辞書に当たればいいだけのことです。
初学者用の独和辞典は、英語で言えば、中学生用(『初級クラウン』『ニューホライズン』など)と高校生用(『クラウン』『アンカー』『ライトハウス』など)の辞書を合わせたようなものだと思っていいでしょう。
それに対して、中級・上級用の辞書としては、次のようなものがあります。
『新コンサイス独和辞典』(三省堂
新コンサイス独和辞典

新コンサイス独和辞典

初版は1936年と、現在流通している独和辞典の中では、最も歴史があります。
収録語数は9万5千語。
英語の『コンサイス』と同じで、小型辞書に出来るだけ多くの語を詰め込んでいるので、基本語の解説や例文などは少ないです。
かつての『コンサイス』は、文学作品に出て来る語も充実していたそうですが、この版はそうでもありません。
「まえがき」には、「内容の現代化を図りつつ、一方では19世紀の文学書講読に不便を感じないほどの水準を維持するように心掛けた」とありますが、これでは全然足りないでしょう。
あくまで、学習用辞典の語彙の不足を補う程度です。
『新現代独和辞典』(三修社
新現代独和辞典

新現代独和辞典

本書の前身である『現代独和辞典』の初版は1972年。
見出し語数は11万で、後述の『郁文堂独和辞典』と並んで「中辞典」とされています。
英語で言えば、『新英和中辞典』(研究社)、『プログレッシブ英和中辞典』(小学館)、『ジーニアス英和辞典』(大修館)に当たるクラスです。
本書の編者がロベルト・シンチンゲル氏(元学習院名誉教授)なので、かつては「シンチンゲル」と呼ばれ、後述の「木村・相良」と並ぶ、代表的な独和辞典でした。
しかし、伝統に寄り掛かっているためか(あまり改訂がなされていないのか)、内容は不親切さが目立ちます。
解説では学習辞典に、語数では大辞典にかなわず、中途半端な位置付けの辞書です。
『郁文堂独和辞典』(郁文堂)
郁文堂独和辞典

郁文堂独和辞典

初版は1987年。
見出し語数は11万。
数字上は『新現代独和辞典』と同じですが、僕の経験では、文学作品を読んでいて分からない語に出会った時、こちらの方がヒットする率が高いと思います。
『新現代』よりも新しい分、色々と工夫がなされているのではないでしょうか。
『木村・相良独和辞典』(博友社)
木村・相良 独和辞典 (新訂)

木村・相良 独和辞典 (新訂)

初版(旧版)は、何と1940年。
本書は、長年に渡り、独和辞典の代名詞でした。
コンパクトなサイズに、細かい活字でぎっしりと語義が詰まっており、見出し語数は15万。
実際、他の辞書には載っていなくても、本書を引くと発見出来る語も少なくありません。
「古典を読むには必須」という定評もあります。
ただ、いかんせん古過ぎるんですね。
新訂版の発行が1963年。
それから、半世紀以上も改訂されていないのです。
その点を踏まえた上でなら、未だ役に立つ場面もあるでしょう。
『大独和辞典』(博友社)
大独和辞典

大独和辞典

初版は1958年。
かつては、本書が独和辞典の権威でした。
英語で言うところの、研究社の『新英和大辞典』のようなものです。
見出し語数は20万と、数字上は、現在日本で出版されている独和辞典の中で一番多いと言えます。
しかし、実際に使ってみると、『木村・相良』の活字を大きくしただけというような印象もないではありません。
また、初版以来、一度も改訂されていないという点も、『木村・相良』と同じく、最早「過去の遺物」扱いされてしまう要因です。
ただ、多くの独和辞典を引き比べると、まるで先祖からの言い伝えのように、全く同じ語義や用例が載っていることが多々あります。
それらの原点が、本書や『木村・相良』であるという意味では、今もって敬意を表されるべき辞書ではあるでしょう。
『独和大辞典』(小学館
独和大辞典コンパクト版 〔第2版〕

独和大辞典コンパクト版 〔第2版〕

初版は1985年。
総見出し語数は16万。
文字通り、現時点で日本を代表する独和辞典です。
博友社の『大独和辞典』よりも新しい分、先行辞典をよく研究されて作られており、内容的にも、使い易さの点でも、申し分ありません。
古典から現代語まで幅広く対応出来ます。
しかも、コンパクト。
英語で言えば、『リーダーズ英和辞典』(研究社)のサイズに、『新英和大辞典』(研究社)の中味を詰め込んだようなものです。
この辞書に載っていなければ諦めるという意味で、最後の砦と言えるでしょう。
文法事項の参照用としては、次の本に定評があります。
『必携ドイツ文法総まとめ』(白水社
必携ドイツ文法総まとめ

必携ドイツ文法総まとめ

初版は1985年(改訂版は2003年)。
著者は、中島悠爾氏、平尾浩三氏、朝倉巧氏。
ドイツ文学を原文で読もうとする人は、当然ながら、初級文法は一通り終えていると思います。
しかしながら、文法事項に疑問が生じた時に、検索したくなることが多々あるでしょう。
そのような時に大変便利なのが、この本です。
コンパクトなサイズに、初級からかなり高度な文法知識までが網羅されています。
しかも、2色刷りのため、非常に見易いです。
僕はこれまで、多少はドイツ文学を原文で読みましたが、本書1冊でほとんどの疑問が解消されました。
今後の予定
と言う訳で、かつてのドイツ語学習者に少しでも近付くために、僕も本作を読んでみたいと思います。
僕の手元にある、アマゾンの古書で買った第三書房版の対訳本は、ちょうど真ん中辺り(本文76ページ中の36ページ)までしか書き込みがありませんが、この本を持っていた人は途中で挫折したのでしょうか。
僕は、挫折しないように頑張ります。
例によって、僕の単語ノートを、このブログで公開するつもりです。
【参考文献】
ドイツ語のすすめ (講談社現代新書 26)藤田五郎・著
ララビアータ (ドイツ名作対訳双書)』星野慎一・訳註(第三書房)
冬ソナと文法(否定疑問文への答え方) - マキペディア(発行人・牧野紀之)
立身出世主義―近代日本のロマンと欲望竹内洋・著(世界思想社
「グリム童話」をドイツ語で読む―楽しく学べる生きた外国語 (二十一世紀図書館 (0041))』小塩節・著(PHP研究所