あけましておめでとうございます。
今年も、拙ブログをよろしくお願いします。
さて、新年最初のブルーレイ鑑賞は『サムソンとデリラ』。
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監督は、『十戒』のセシル・B・デミル。
スペクタクル映画の巨匠である。
『サンセット大通り』(ビリー・ワイルダー監督)の劇中で、グロリア・スワンソンが撮影所のセシル・B・デミルの元を訪ねるシーンがあるが、その時に撮影されていたのが本作である。
撮影は、『レベッカ』『白い恐怖』のジョージ・バーンズ。
編集は、『十戒』のアン・ボーチェンズ。
主演は、ヘディ・ラマーとヴィクター・マチュア。
共演は、『ナイル殺人事件』のアンジェラ・ランズベリー、『レベッカ』のジョージ・サンダース、『西部開拓史』のラッセル・タンブリン。
カラー、スタンダード・サイズ。
画質は良い。
パラマウント映画。
2時間強の映画だが、スペクタクル史劇らしく「OVERTURE」がある(最後には、「EXIT MUSIC」もある)。
本編は、勇壮な音楽から始まる。
導入部では、聖書の紹介。
本作は、旧約聖書の『士師記』が元になっているが、聖書の知識がなくても十分に理解出来る。
ちなみに、イギリスの詩人ミルトンの晩年の作『闘士サムソン』も本作と同じ題材だ。
僕は研究社から出ているテキスト(小英文叢書)を持っているが、もちろん、未だ読んでいない(いつ読むかも分からん)。
さて、最初は「創世記」かな。
『天地創造』(ジョン・ヒューストン監督)みたいだ。
ドライアイスに浮かぶ地球儀が笑えるが、当時の技術としては、こんなもんか。
で、紀元前1000年、ダン族の土地であるゾラ村に、民族の自由を思う男サムソン(ヴィクター・マチュア)がいた。
サムソンは、ちょっと若い頃のスタローンに似ているな。
彼らは、イスラエルのペリシテ人の圧政下にいた。
語り部の爺さんが子供達に民族の歴史を語っているところへ、ペリシテ人の軍人がやって来て、弾圧。
昨今の日本でも、歴史教科書の内容がよく問題になるが、こんなことは洋の東西を問わず、あるということだな。
サムソンには、神の力が宿っている。
具体的には、とんでもない怪力の持ち主だった。
サムソンは、何故かペリシテ人から嫁を選びたがった。
村には、ミリアムという素敵な娘がおり、彼女はサムソンを愛し、また、彼の母も結婚を勧めていたのに。
何か、白人の男を捕まえるためにフランスに語学留学したがるアジア人女性みたいだな(不謹慎なので、これ以上具体的には書かない)。
サムソンは、ペリシテ人の娘セマダール(アンジェラ・ラズベリー)が忘れられないのであった。
ある夜、彼はこっそりとセマダールの家へ。
ペリシテの軍を率いる金持ちの長官アーターも、セマダールのことを想っている。
更に、セマダールの妹デリラ(ヘディ・ラマール)もサムソンにちょっかいを出すという、ややこしい関係。
ダン族の娘ミリアムは、慎ましやかな女性として描かれているが、セマダールもデリラも、金持ちの派手好きな娘だ。
何で、自分達を支配している民族の、こんな女がいいのだろうか。
若気の至りか。
サムソンは、鉄の槍を折り曲げてしまう程の怪力である。
このシーンは、まるで『スーパーマン』を見ているようだ。
セマダールはアーターが連れて行く。
デリラは、ここぞとばかりにサムソンに声を掛ける。
サムソンとデリラは、一緒に狩りに出掛ける。
ライオン狩りだ。
サムソンは、ライオンと素手で闘い、絞め殺してしまう。
このシーンはスゴイ。
明らかに本物のライオンを使っている。
編集で、スタントマンを使ったカットや、ぬいぐるみを使ったカットも巧みに組み合わせているが、大変な撮影である。
『ベン・ハー』(ウィリアム・ワイラー監督)の戦車競走のシーンにも匹敵する。
『グラディエーター』(リドリー・スコット監督)でも、ラッセル・クロウがトラと闘うシーンがあるが、こちらは明らかにCGで興醒めした。
で、これだけ強いサムソンを目の前で見て、デリラは彼に惚れてしまう。
これは説得力があるわな。
そして、デリラのサムソンに対する愛の裏返しが、この先の展開につながる訳だから、ここでライオンとの闘いをリアルに描くことは、非常に重要な意味を持っている。
昨今の映画は、何でもCGに頼ってしまって、イカン。
映画の表現力が失われてしまっている。
で、そこへ、ペリシテの王が到着する。
デリラが王に、「サムソンが素手でライオンを倒した」と報告する。
そんなことは信じられない王は、黒人レスラーみたいな怪力の部下とサムソンを闘わせる。
しかし、難なく倒してしまい、勝利したサムソンは、褒美として、セマダールと結婚する許可を王に求め、了承される。
サムソンに惚れていたデリラは、目の前で姉を選んでしまった彼を恨む。
早くも、サムソンとセマダールの披露宴。
サムソンが出席している30人の兵士達に謎掛けをするが、誰も解けない。
サムソンは、「解けたら全員に立派な衣装をやる」という。
彼は、セマダールには答えを教えてやるが、デリラがこっそりそれを聞いていて、兵士達に伝える。
当然ながら、サムソンは激怒する。
この混乱の中で、サムソンとセマダールとの婚約は解消され、彼女はアーターと結婚することになる。
サムソンは、賭けの約束である30人分の衣装を、あちこち回って奪って来る。
彼が戻ってきたところで、兵士達がサムソンを侮辱。
セマダールの父は、サムソンに、代わりに妹のデリラを嫁にやると言う。
昔は、親の意向で結婚が決まったんだな。
更には、サムソンに向けて放った矢がセマダールに刺さってしまう。
花嫁を殺されたサムソンは大暴れし、セマダールの家をメチャクチャに破壊。
兵士達のほとんども下敷きになって死ぬ。
そして、サムソンは去った。
残されたデリラは、父と姉を殺したサムソンに対し、復讐を誓う。
アーターも生き残り、軍の総力を挙げて、ダン族の村からサムソンを探し出そうとする。
しかし、村人達は誰もサムソンを売らない。
まあ、結果論なんだけど、こんなことになるんだったら、サムソンは最初から大人しく村の娘と結婚しておけば良かったのだが。
どうも聖書には、人間の恨みとか嫉妬とかが原因で、ややこしくなる話しが多いような気がする。
ペリシテ人は、村人の長男を殺したりして弾圧を加える。
結局、それに屈して、サムソンは縛って差し出される。
一方、デリラは王の愛人になっていた。
サムソンは、アーターの軍に連行される途中、神への祈りによって力を得、鎖を引きちぎる。
更に、大暴れして、敵を一網打尽にする。
1000人の軍を率いたのに、一人の男に破れて帰って来たアーターに、王は激怒する。
サムソンの武器は、道化が持っていたロバの顎骨だった。
これが、神通力によって、鋭い刃物に変わったのだ。
軍隊でも通用しないのを見て、デリラは王に「私が色仕掛けでサムソンを連れて来ます」と提案する。
さあ、これからどうなる?
この後、デリラを巡って、王のサムソンに対する嫉妬も加わる。
更には、デリラが村の娘ミリアムにも嫉妬する。
女の闘いも見ることが出来る。
聖書というのは、実に嫉妬まみれで、人間臭いな。
しかし、本作は基本的には、宗教映画である。
ペリシテ人の神を邪教の神として排斥し、自分達の神こそ唯一神(又吉イエスではない)だと主張する訳だ。
クライマックスの神殿崩壊シーンは大変な迫力である。
おそらく、ミニチュアを使ったのだろうが、非常に重量感がある。
ただ、ライオンと闘うシーンと神殿崩壊シーンを除いては、そんなにスペクタクルじゃない。
セットを多用しているからか、60年代の大作史劇のような、物量シーンは少ない。
それに、シネマ・スコープじゃないから、横の広がりも出せないのだろう。
同じ時代の史劇としては、『クォ・ヴァディス』(マーヴィン・ルロイ監督)の方が大作感があるかな。
最後の方には、フリークス軍団も登場するが、これも現代では問題になりそうだ。
アカデミー賞美術賞(カラー)、衣裳デザイン賞(カラー)受賞。
1951年外国映画興行収入2位、同52年4位。