この週末は、ブルーレイで『十二人の怒れる男』(1957)を見た。
- 出版社/メーカー: 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
- 発売日: 2017/10/04
- メディア: Blu-ray
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監督は、『狼たちの午後』『評決』のシドニー・ルメット。
撮影は、『波止場』のボリス・カウフマン。
主演は、『戦争と平和(1956)』『間違えられた男』『史上最大の作戦』『西部開拓史』『ウエスタン』のヘンリー・フォンダ。
共演は、『サイコ』『ティファニーで朝食を』『トラ・トラ・トラ!』『大統領の陰謀』のマーティン・バルサム、『波止場』『西部開拓史』『エクソシスト』のリー・J・コッブ、『トラ・トラ・トラ!』のE・G・マーシャル、『地上より永遠に』『大統領の陰謀』『ナイル殺人事件』『チャンス』『評決』のジャック・ウォーデン。
僕は浪人中に、本作のパロディーである、三谷幸喜の『12人の優しい日本人』という映画を観た。
三谷幸喜という人はパロディーばっかりだが。
「もし日本にも陪審制があったら」という設定だったが、いつの間にか、「裁判員制度」なるものが導入されてしまった。
僕は、アメリカの猿真似である、この制度には大反対だが。
と言うのは、日本には陪審制は合わないと思うからである(理由は後述)。
しかし、導入されてしまったものは仕方がない。
これと法科大学院を併せて、司法制度改革は大失敗であった。
で、オリジナルである本作は未見だったが、今回、ようやく見ることが出来た。
ユナイテッド・アーティスツ。
モノクロ、ワイド。
舞台はニューヨークの法廷。
殺人事件の裁判。
裁判長が評決について宣言し、陪審員は退廷する。
被告の少年の不安げな顔のアップ。
なお、被告の少年はこの一瞬しか登場しない。
セリフもないし、名前も分からない。
穏やかで切ない音楽が流れる。
タイトル・バックは陪審室に入って行く男達。
本作では、それぞれの陪審員の名前も明らかにされない(最後に挨拶する二人は除く)。
本作を見て、最初に疑問に思うのは、12人の陪審員が全員、白人の男性だということだ。
人種や性別が偏っているのは、今では許されないだろう。
で、陪審室には旧式の扇風機が設置されているが、壊れている。
もちろん、エアコンもない。
暑くてたまらない。
ドアがロックされた。
本作では、登場人物の素性は全てセリフで表現される。
初めて陪審員になった者も、何回目かの者もいる。
トイレに行く者。
それぞれ職業もバラバラ。
ナイターに行くから早く終わらせようと言う不心得者もいる。
だが、セリフだけでそれぞれの登場人物のキャラクターを浮び上がらせる手腕は、シナリオのお手本と言えるだろう。
進行役は陪審員1番(マーティン・バルサム)
被告の少年は父親殺しの容疑。
有罪になると、電気イスに送られる。
この時代には、未だ死刑制度があったのだろう(なお、僕は死刑廃止派である)。
最初に、有罪か無罪か、それぞれの陪審員の判断を投票で確認する。
評決は全員一致でないとダメ。
投票の結果は、1人が無罪、11人が有罪。
なお、無罪のことは「innocent」ではなくて、「not guilty」と言うんだな(有罪は「guilty」)。
無罪に投票したのは陪審員8番(ヘンリー・フォンダ)。
全員一致ではないので、話し合うことになった。
被告の少年は18歳。
8番は、簡単に死刑が決まってしまうのは納得が行かないという。
ここから、事件の全貌が(セリフを通して)少しずつ明らかになって行く。
少年はスラム街で生まれ、9歳で母親が死亡という、悲惨な人生を歩んで来た。
それぞれの陪審員に意見を聴いて行く。
一人目は「有罪は明らか」と言う。
二人目は「階下の老人の証言がある。」
3人目は「少年の証言が信用出来ない。」
4人目は「(殺人現場の向かいに住んでいる)女性の証言から。」
5人目はパス(しかし、彼はスラム街で育った)。
6人目は「親子の間に言い争いがあったから、動機がある。」
7人目は「ヤツは札付きの不良だ。」
ここで、8番が「確信に満ちた証言ばかりで妙だ。弁護士を変えたい」と言う。
事件の前に少年が買ったナイフは珍しいものだったが、少年はそれをどこかに落としたという。
ところが、8番は同じナイフを持っていた。
(余談だが、本作では皆、タバコを吸っている。今では考えられない。)
8番が取り出したナイフに、「とっとと片付けろ!」と、室内は騒然となる。
8番が譲らないので、残りの11人で、もう一度、無記名投票を行なった。
その結果、新たに「not guilty」が。
「誰だよ!」と、半ば犯人探しが始まったが、9番が「ワシだよ」と名乗り出る。
8番は「勇気ある発言だ」と讃える。
トイレ休憩の後、審議が再開したが、遊んでいるヤツらもいる。
8番がたしなめる。
8番の主張では、階下の老人が「殺してやる!」と少年が叫んだのを聞いたというが、現場は高架鉄道のそばで、叫び声は聞こえないはずだと。
死刑にするには、証言が正確でないと(これは、全くその通り)。
8番は、「証人の老人はウソをついているのではないか」と言う。
「殺してやる!」なんていう言葉は、日常的に使われている。
もし、少年が本当に父親を殺す気なら、聞こえるようには言わない。
この辺の議論は、非常に合理的で面白い。
陪審員の中に、偏見に満ちたヤツが何人かいて、コイツらがなかなか主張を変えないのだが。
彼らは、移民の陪審員に「英語もロクに話せないバカ」と言い放つ。
彼は、「アンタの英語も間違っている」と言い返すが。
アメリカ人(及び、イギリス人)は、未だに「英語が話せないのは野蛮人」と思い込んでいる。
こういう連中が支持しているのが、例のトランプな訳だが。
日本人の中にも、本気で「英語が話せない」ことを恥じる人達が多数いて、だから英会話学校が儲かるのだが。
日本人が英米人に英語を話せないことをバカにされたら、「じゃあ、お前らは日本語を話せるのか?」と言ってやればいい。
それはさておき、再度、投票をすると、また「無罪に変える」という者がいて、「有罪:無罪」が9対3になった。
被告の弁護士はヤル気がないらしい。
おそらく、貧困層だから、カネにならない国選弁護人なのだろう。
日本も、アメリカの後追いをして、訴訟社会になりつつあるようだが。
罪に問われるかどうかは、いい弁護士を雇えるかどうかに掛かっているようだから、他人事ではない。
続いて、「なぜ少年は家に帰ったか」が問題になった。
もし少年が犯人なら、警察に逮捕される可能性があるのに、自宅には戻らないだろうと。
再び、投票が行なわれると、「有罪:無罪」が8対4に。
転向した陪審員は「合理的な疑問を持った」と言う。
陪審員の日当は3ドル。
これが現在で言うと、幾ら位なのか分からんが。
日本の裁判員の日当も1万円位らしいから、高い金額ではないのだろう。
「私達には損も得もない」と8番は言う。
更に、「陪審員制度があるのが、この国が強い理由だ」とも。
市民が裁くのが民主主義だということだな。
まあ、この辺りまでは理解出来る。
最後まで有罪にこだわっているヤツらは、ネトウヨみたいなことを言う差別主義者だ。
インテリは弱者の見方であるし、そうあるべきだとも思う。
(だから、朝日新聞は左寄りであるべきだ。)
ただ、映画が終盤に差し掛かって来ると、無罪派が多数になって、有罪派を追い詰めようとする。
ものすごい視線で見つめて、無言の圧力を掛ける。
または、露骨に無視したり、態度に表わす。
これって、冒頭で8番が一人だけ「無罪」に入れた時に他の人達が取った態度より、もっと陰湿に見える。
ここが、どうにも受け付けない。
アメリカ人は、こんな状況でも、自己主張を続けられるのだろうが。
僕が最初に、日本での「裁判員制度」に反対だと言った理由は、日本人は同調圧力が強過ぎるからだ。
死刑の判断を下さなければならないような場面で、他の人達と違う意見を言える人は滅多にいないだろう。
「司法を市民の手に」なんて言えば、聞こえはいいが、日本人の国民性には合わない。
日本の裁判は、プロの手に任せるべきである。
という訳で、僕は本作の結末には納得が行かないが。
ただ、密室だけで進む物語の脚本は実によく出来ていると思うし、サスペンスの盛り上げ方も素晴らしい。
社会派と言われるシドニー・ルメットだが、これがデビュー作とは思えない。
ヘンリー・フォンダ以外は当時、無名の役者だったらしいが、後に何人も性格俳優として活躍しているように、演技も素晴らしい。
ベルリン国際映画祭金熊賞受賞。