『2300年未来への旅』

この週末は、ブルーレイで『2300年未来への旅』を見た。

2300年未来への旅 [Blu-ray]

2300年未来への旅 [Blu-ray]

1976年のアメリカ映画。
以前、一度だけビデオかDVDで見たことがある。
邦題は『2001年宇宙の旅』のパクリっぽいが、SF映画史上では有名な作品である。
最近読んだ『エンタムービー 本当に驚いたSF映画 (メディアックスMOOK)』という本に紹介されていたので、再見しようと思ったのであった。
監督はマイケル・アンダーソン
主演は、『じゃじゃ馬ならし』『ロミオとジュリエット』『オリエント急行殺人事件』のマイケル・ヨーク
共演は、『ベイブ』『ベイブ/都会へ行く』のロスコー・リー・ブラウン(ただし、顔は出ない)、『クォ・ヴァディス』『スパルタカス』『ナイル殺人事件』『地中海殺人事件』の名優ピーター・ユスティノフ
まあ、ピーター・ユスティノフは、本作が設定上、若者しか出て来ないので、重みを出すために出演させたのだろう。
音楽は、『猿の惑星』『パットン大戦車軍団』『トラ・トラ・トラ!』『パピヨン』『チャイナタウン』『カサンドラ・クロス』『オーメン』『エイリアン』『スタートレック』等の巨匠ジェリー・ゴールドスミス
撮影は、『ミクロの決死圏』『大空港』のアーネスト・ラズロ。
本作は、70ミリで撮影されているようである。
舞台は23世紀。
人類は、度重なる核戦争や大気汚染のため、ドーム・シティと呼ばれる隔離された空間に居住している。
それにしても、ミニチュア丸出しのセットだ。
こんなのを70ミリで撮ったら、余計チャチに見えるよ。
既に8年前に『2001年宇宙の旅』でSF映画に革命が起こり、本作の翌年には『未知との遭遇』や『スター・ウォーズ』が公開されるというのに、この古めかしさは何だろう。
この都市では、人間は30歳になると、「新生」と呼ばれる儀式のもと、消されることになっている。
多分、人口増加対策なのだろう。
いわゆる近未来社会を描いたSFによくあるパターンだ。
多分、多くの近未来SFは、ジョージ・オーウェルの『1984年』をモデルにしているのだろう(僕は、恥ずかしながら未読)。
しかし、実際の未来社会は、当時の想像とは違い、子供の数がどんどん減って、老人ばかりが増えている。
この未来都市は、インチキな万博のパビリオンのようである。
そして、ピコピコした電子音楽
ドームでの儀式は、パナウェーブ研究所のような白装束で、ジェイソンのようなマスクをつけた人々が、回転するメリー・ゴーランドで消去される。
人々は、無重力状態のように浮遊し、消える。
周りでは、多数の観客が熱狂して叫んでいる。
ローマのコロセウムのようだ。
本作では、古代ローマをモチーフとしているような描写が多々ある。
セックスは、ただ快楽のためにのみ行なわれる。
結婚という制度はない。
子供は、試験管の中で生まれるようだ。
ただし、食べ物の描写はない。
人々は、コンピュータによる管理社会のもと(近未来SFの定番の設定)、30歳になると、生まれ変わると信じているが、中には、それに疑問を持つ人もいる。
人間、やはり本能的に死を感じると、そこから逃げたくなるのだろう。
主人公のローガン(マイケル・ヨーク)は、サンドマンと呼ばれる、そういった逃亡者を粛清する仕事をしている。
何だか、『華氏451』の消防士と重なるな。
ローガンが自宅に帰ると、デート回路という転送装置で、女が送られて来る。
現代の出会い系サイトに、実際に人を送り込む機能が付いたようなものか。
その日、送られて来たのは、ジェシカという美女だった。
ただ、彼女には「反体制」っぽい雰囲気があった。
この時代の人々の掌には、水晶のような生命クロックというボタンが付いていて、これが黒くなると、寿命なのである。
彼女は、そういった現状に疑問を呈する。
裏で「隠れ逃亡者」とつながっているようだ。
それにしても、相手が逃亡者を始末する職業だと分かっているのに、わざわざそんなことをほのめかすだろうか。
ネット社会の匿名性のようなものを予言しているのか。
どうでもいいが、本作に登場する女性達の衣装は皆、スケスケで、目のやり場に困る(いや、困らない)。
で、この世界を管理している、HAL9000の女版のようなコンピュータ(しゃべり方まで真似臭い)の元にローガンが行くと、外界(ドームの外)にある「サンクチュアリー」と呼ばれる聖域(そのまま)へ行け、という命令が下される。
そこには、逃亡者達がいるのだろうか。
そうして、その聖域を破壊せよと。
ローガンに逃亡者を偽装させるため、コンピュータが彼の生命クロックを進めた。
掌のボタンが点滅し始める。
ローガンの表情に、初めて不安が現れる。
翌日、ローガンは再びジェシカを呼んだ。
二人は、「犯罪特定区」と呼ばれる所へ行く。
そこは、不良少年達の巣窟だった。
ちょっと、『時計じかけのオレンジ』のようである。
時計じかけのオレンジ』は、未来社会を敢えてクラシカルに描いて、独特の雰囲気を出していたが、本作では、単に古臭いだけにしか見えない。
それにしても、自動操縦の乗り物に乗っているのに、どうして、そんな立ち入り禁止区域のような所へ行くことが許されているのか。
どうも、脚本の詰めが甘いような気がする。
で、「犯罪特定区」は、スラムのような所だ(セット丸出しだが)。
ここには、逃亡者が多数、身を潜めていた。
ローガンとジェシカは逃亡者の女を助ける。
だが、二人を追って来ていたローガンの仲間
サンドマン)のフランシスが、女を粛清する。
この後、フランシスは執拗に二人を追い掛ける。
まるで、『ウエストワールド』のユル・ブリンナーだ。
ローガンは、逃亡のために、自分の顔を変えようと、整形病院へ行く。
既に分からなくなっているのだが、ローガンは、コンピュータの命令で逃亡者を装っているのか、それとも、ジェシカを好きになったから、本気で逃亡しようと考えているのか。
見ている内に、後者だと分かるのだが、どういうきっかけでそう思うようになったのかが、はっきりと描かれていない。
だから、物語が何となく進んでいるようにしか見えない。
それはさておき、整形病院の医者は逃亡者であった。
逃亡者達のネットワークで、サンドマンが整形手術を受けに行くということが医者に伝わる。
医者は、手術台にローガンを載せ、レーザーメスで彼を殺そうとする。
しかし、ローガンは何とかそれを振り切り、ジェシカと共に逃げる。
二人は「ラブ・ショップ」という風俗街を通る。
ここは、子供には見せられないだろう。
性風俗の退廃も、古代ローマのイメージか。
更に、二人は追い掛けて来るフランソワを振り切りながら逃げる。
正に原題(Logan's Run)通りだ。
彼らは、生まれてこの方ずっとドームの中なので、太陽を知らない。
だが、見たことはなくても、知識としてはあってもいいんじゃないか。
かくも、突っ込みどころは満載である。
彼らは、氷の世界を抜けて、ついに外界へ出る。
何もない原野を延々と歩く二人。
後半は、『青い珊瑚礁』っぽくなる。
歩いて行く内、かつてのアメリカの残骸に辿り着く。
蔦の絡まったリンカーンの像、国会議事堂等。
それから、『猿の惑星』っぽい海岸も通る。
二人は、ピーター・ユスティノフ演じる、たくさんの猫を飼っている老人と出会う。
彼は、何物にもとらわれず、一人で暮らしている。
要するに、彼が「自由」の象徴なのだろう。
いつの間にか、音楽が電子音から管弦楽になっている。
この後、彼らはどうなるのか。
どうにも、ラストがご都合主義的である。
本作は、「旧世代」SFの残滓と言って良かろう。
これでも、アカデミー賞特別業績賞(視覚効果)を受賞している。
まあ、SFの指定席のような賞だからな。