『鬼火』

この週末は、ブルーレイで『鬼火』を見た。

鬼火 Blu-ray

鬼火 Blu-ray

1963年のフランス映画。
監督は、『恋人たち』『好奇心』の巨匠ルイ・マル
主演は、モーリス・ロネと、『恋人たち』のジャンヌ・モロー
ベッドの上で見つめ合っているアラン(モーリス・ロネ)とリディア。
リディアはアランの愛人で、3日前にニューヨークから来た。
なお、リディアの吸っているタバコは「KENT」。
朝を迎えた。
リディアはニューヨークに戻る。
アランは妻と離婚話しをしている最中。
リディアは「ずっとあなたと結婚したかった」と言う。
仕度して出て行く二人。
出口で給仕にチップを渡そうにも、現金を持っていないので、自分の腕時計を外して渡すアラン。
アランは「空港までは送れない」と言う。
外出すると医者が怒るからだという。
カフェでコーヒーを飲む二人。
アランは断酒して4ヶ月になる。
アランに小切手を渡すリディア。
タクシーに乗っている二人。
アランは退院するつもりはないという。
なぜなら、居心地がいいからだ。
「ニューヨークへ来て」とリディア。
「僕を置いて行かないでくれ」と言いながら、タクシーを降りるアラン。
彼は結局、「ニューヨークへは行かない。結婚もしない」とリディアに言い放つ。
そして、彼は療養所に戻った。
なかなか全体像がつかめないが、要するに、アランは結婚してニューヨークに居たのだが、アル中の治療でヴェルサイユ(パリの近郊)の療養所に4ヶ月前に入ったということだ。
愛人がニューヨークから来たので、療養所を抜け出して外泊した。
しかし、療養所から出るつもりも、奥さんと離婚するつもりもないらしい。
アランの部屋の鏡には7月23日の落書きされている。
療養所の大食堂では、神学と哲学について議論している人達がいる。
中年女性達はアランに色目を使う。
皆、どこかしらおかしい。
アランは「退院はしない」と言い張る。
アランの部屋には、新聞の死亡記事の切り抜きが至る所に貼ってある。
カバンの中にはピストルが忍ばせてある。
要するに、アランには自殺願望があるということだな。
医者が部屋に入って来る。
「君はかなり前から完治している。いつまでも置いておけない。」
「ここを出たら飲んでしまう。」
2年前の結婚で禁酒を誓った(しかし、出来なかった)。
アル中を治すのは大変らしい。
僕の知り合いの出版社の社長は、若い頃にアル中で倒れて、ICU(集中治療室)に入った。
アル中を完治させて、それからは一滴も飲んでいないそうだが、医者に言わせると、「100人に一人の奇蹟」だとか。
僕もアル中の気があると自覚している。
禁酒を誓っても、なかなか守れない。
まあ、最近はそんなにストイックには考えない。
基本的に、家では飲まないようにし、たまに飲みたくなったら飲む。
「何が何でも禁酒」とやると、守れなかった時の挫折感が苦しいからね。
以前は毎晩ワイン1本くらい空けていたが、最近は週末に缶ビール1~2本程度にしているから、大分痩せた。
僕のことはいいや。
映画の話しに戻ろう。
アランはその夜、「明日、僕は自殺する」と。
翌朝、院長夫人がアランの部屋に朝食を持って来る。
「僕は外出する。」
外出して、タバコ屋(兼カフェ)へ。
アランが店主に「スウィート・アフトン」を注文すると、「どこのタバコだ?」
アイルランド」「置いていない」「じゃあ、『ラッキー』を」というやり取り。
最近は知らんが、フランス映画を見ると、全員がタバコを吸っているイメージ。
隣の席でビールを飲んでいる運転手に、「パリまで乗せてくれ。一杯おごるよ」と持ち掛ける。
運転手が酒を飲んでもいいのか。
大らかな時代だったんだな。
で、アランは車に便乗してパリへ。
銀行で小切手を換金。
行き付けのホテルへ。
久しぶりに現われたアランに、皆は大歓迎。
だが、陰ではヒソヒソと悪口を言っている。
ホテルのBARに入る。
馴染みの店主も歓迎。
アランが電話をしようとしても、店主やら客やらが絡んで来て、集中出来ない。
タクシーに乗る。旧友のデュガール氏を訪ねる。
「来るのを待っていたんだ」と迎えられる。
彼はエジプト学者。
彼の家族と一緒にランチ。
幼い子供は「シルヴィー・バルタンが好き」と言う。
でも、親は知らない。
「アイドルさ。」
このやり取りで、63年当時のシルヴィー・バルタンの位置付けが分かる。
まあ、ビートルズだって、当時は親の世代には全く理解されなかったのだから。
アランは鬱病だ。
昔話しを嬉しそうにするアランに、デュガールは「今の生活には希望はないが、安定がある。青春とは決別したんだ!」
この気持ちはよく分かる。
僕も、若い頃に一緒に馬鹿をやった友人と再会すると、昔話しに花が咲くが、昔に戻ることは出来ない。
お互い、家庭があるからね。
若い頃は現実が見えていないから、夢も希望もあったし、四畳半風呂ナシ・トイレ共同のアパートの生活も楽しかった。
けれども、今更そんな生活には戻れない。
この後、アランはアシェット社(大手出版社)の前を通る。
あの「アシェット婦人画報社」の「アシェット」だ。
彼にとっては、3年ぶりのパリ。
色んな人と出会う。
しかし、浦島太郎状態。
そして、アランはとうとう酒を飲んでしまうのであった。
断酒後の最初の一杯は地獄の苦しみ。
僕も以前、半年くらい禁酒した後、初めて友人の家で深夜まで飲んだ翌日は、苦しくて呻いていた。
肝臓がアルコールの消化の仕方を忘れているんだな。
しかし、その後はすぐに以前の状態に戻ってしまう。
元の木阿弥だ。
ラストでアランが読んでいる本は『スコット・フィツジェラルド短篇集』。
字幕にはそう出るが、背表紙を見ると、「Gatsby」という文字が見えたが。
結末は衝撃的である。
まあ、救いのない映画だ。
例によって、ごく断片的にだが、フランス語が聴き取れる箇所があって、嬉しかった。
ヴェネツィア国際映画祭審査員特別賞、イタリア批評家賞受賞。