『恐怖の岬』

この週末は、ブルーレイで『恐怖の岬』を見た。

1962年のアメリカ映画。
監督は、『ナバロンの要塞』『猿の惑星・征服』『最後の猿の惑星』の巨匠J・リー・トンプソン
音楽は、『地球の静止する日』『ハリーの災難』『間違えられた男』『知りすぎていた男』『めまい』『シンドバッド七回目の航海』『北北西に進路を取れ』『サイコ』『鳥』『マーニー』『タクシードライバー』のバーナード・ハーマン
主演は、『大いなる西部』『ナバロンの要塞』『西部開拓史』『アラバマ物語』『オーメン』の大スター、グレゴリー・ペック
共演は、『眼下の敵』『史上最大の作戦』のロバート・ミッチャム、『十二人の怒れる男』『サイコ』『ティファニーで朝食を』『トラ・トラ・トラ!』『大統領の陰謀』のマーティン・バルサム、『アパートの鍵貸します』のジャック・クルーシェン、『女王陛下の007』『戦略大作戦』のテリー・サバラス、『理由なき反抗』のエドワード・プラット。
なお、本作のリメイクがマーティン・スコセッシ監督、ロバート・デ・ニーロ主演の『ケープ・フィアー』である。
僕は見ていないが、公開当時、大変話題になっていたことを覚えている。
当時は、カタカナなので全く気付かなかったが、「恐怖の岬」って「cape fear」じゃないか。
ユニヴァーサル映画。
モノクロ、ワイド。
不安げなテーマ曲から始まる。
葉巻を加えたマックス・ケイディロバート・ミッチャム)という男が、弁護士のサム・ボーデン(グレゴリー・ペック)を訪ねて法廷にやって来る。
サムをじっと見つめるマックス。
駐車場で、サムに声を掛ける。
サムは、マックスのことを一瞬思い出せない。
「お宅には美人の奥さんと娘さんがいるんだろ」と不気味な言葉を吐くマックス。
サムは帰宅し、妻のペギー、一人娘のナンシーとボーリングに出掛ける。
ボーリング場にもマックスがいる!
気味が悪い。
サムは彼に気付いて、声を掛けた。
マックスは「先生の家族を見ておきたくてね」などとのたまう。
サムは、友人である警察署長マーク・ダットン(マーティン・バルサム)に電話をする。
「ヤツが神経戦を仕掛けて来た。」
サムはマークに会う。
マックスは、かつて女性に暴行し、サムが法廷で証言したために有罪になったと、彼のことを恨んでいた。
ここで、マックスが無実の罪で有罪になったのならば、弁護士を恨むのも分かるのだが。
本作のマックスの描写を見ている限り、明らかに性犯罪者として描かれている。
かと言って、サムがヒーローかと言うと、そうでもなく、なかなか強引な弁護士である。
マークは、マックスの住所が「波止場」と登録されていると聞いて、「放浪罪で引っ張れ」と命じる。
「放浪罪」って、そんな罪があるのか!
じゃあ、僕が休みの日に調布駅前をブラブラしていたら、駅前交番のポリスマンが僕を逮捕出来るのか!
まあ、僕の住所は「波止場」ではないが。
本作は、警察権力の横暴にも一石を投じている。
警察は、解釈の仕様によって、如何様にも一般市民を逮捕出来る。
僕だって、いつ何時、逮捕されるか分からない。
まあ、今のところ、逮捕されたことはないが。
しかも、日本の場合、いったん逮捕されてしまうと、99パーセント有罪になる。
こんなことが許されるのだろうか!
もちろん、本作のマックスは明らかな犯罪者なのだが。
それにしても、警察の微罪による別件逮捕も目に余る。
ここまで、主要キャストを実に手際良く紹介している。
で、マックスが酒場で飲んでいると、警察がやって来て、彼は連行されてしまう。
警察署でサムが登場すると、マックスは「Well, well, well!」と迎える。
逮捕時、マックスの所持金は7ドルであったが、銀行には5400ドルの預金があった。
「俺はずっと居座るからな!」とマックス。
「私の家には近付くな!」とサム。
翌日、マックスは釈放された。
そりゃそうだろう。
「放浪罪」なんかで、カルロス・ゴーンみたいに何ヵ月も拘留されたら、たまらん。
一方、サムの家では、飼い犬が倒れていた。
急いで車で獣医のところへ向かうサム。
しかし、手遅れであった。
ストリキニーネによって毒殺されたようである。
泣くナンシー。
サムは、当然のことながら、マックスの仕業ではないかと疑う。
サムは、ペギーとナンシーにマックスのことを打ち明ける。
しかし、「人権があるから、見込みでは逮捕出来ない。」
これは当然のことで、本作では、明らかにマックスが犯罪者であるから、警察が手出し出来ないのが歯がゆいと観客も思うのだが。
もし、怪しいだけで逮捕出来るのなら、この国は罪のない一般市民が次から次へと逮捕される恐怖国家になってしまう。
スケベそうな男性が、「痴漢しそうだから」という理由だけで逮捕されるなら、全国の男性は、満員電車で通勤出来なくなってしまう。
もっとも、結果的に、電車がガラガラになって、痴漢は減るのかも知れないが。
夜、ペギーが目覚めると、サムがいない。
不安になって探すと、サムは外で警察と話していた。
おびえるペギー。
翌日、マークがサムを呼び出し、「マックスが弁護士を雇った」と告げる。
この弁護士は悪徳弁護士として名高いらしいが、彼が繰り出すマックスの微罪逮捕の数々を聞くと、僕は到底、この弁護士を悪徳だとは思えない。
むしろ、サムとマークが、弁護士と警察という権力を利用して、一般市民を貶めようとしているように見える。
サムはマークに抗議するが、マークは「公然たる行為がないと、私は動けん」と答える。
何度も言うが、当たり前田のセンターだ。
マークはサムに「私立探偵を雇え」と言う。
マックスは、酒場でナンパした女性とドライブしていた。
それを尾行する私立探偵チャーリー・シーバース(テリー・サラバス)。
で、マックスが女性とホテルへ入ると、シーバースは警察に電話をし、「わいせつ行為でパクれる」と。
いやいや、待てよ。
そうしたら、ラブホテルに入ったカップル(のうち、しかも男の方だけ)は全員逮捕じゃないか!
合意があれば、わいせつ行為をしても何ら問題はない。
でなければ、人類は絶滅してしまう。
問題なのは、合意がない場合だけだ。
もっとも、児童買春の場合は、同意があるにも関わらず、悪いのは一方的に買った側(ほとんどは男性)で、売った側の女性は、未成年というだけで、金銭を受け取っているのに、「被害者」という扱いになるが。
本作では、明らかに女はマックスに誘われて、喜んでデートに応じている。
ホテルに入ったのも、同意の上とみなせるのではないか。
彼女はベッドに下着姿で横たわっているし。
でも、警察がやって来るんだな。
すると、さっきまでマックスにしなだれかかっていた女が、暴力をうずくまっている。
どうやら殴られたようである。
当時の検閲の問題で、はっきりとは言えないのだろうが、彼女は強姦されたことになっている。
これは、現代の感覚だと、ちょっと無理があると思う。
ドメスティック・バイオレンスが問題になるなら分かるが。
女は詳細を話したがらない。
シーバースがやって来て、「ヤツを告訴しないか」と言うが、女は首を縦に振らない。
要するに、被害者なのに、法廷で性暴力の詳細を証言しなければならないのが耐えられないのだ。
これはまた別の問題提起で、現代でも、性犯罪が親告罪であると、なかなか女性の方から訴え難いのは、これが理由だろう。
最近でも、真相は分からないので、軽々しいことは言えないが、某アイドル・グループみたいに、もみ消されたりもする。
女性は被害者なのに、女性の方が更に立場が悪くなる。
女性が解放されていなかった当時なら、もっとそうだろう。
さて、サム一家が自家ヨットに乗ろうとして波止場に来ている。
昨今の日本と違い、当時のアメリカの弁護士はヨットを所有出来るような上流階級であったようだ。
で、ナンシーが一人になったのを、じっと見つめているマックス。
手にはバドワイザーの缶。
サムが「何をしている?」と声を掛ける。
「ビールを飲んでいる。それが法律違反か?」とマックス。
「あの娘もカミさん同様に、味は良さそうだ」とのたまうマックスに、殴り掛かるサム。
だが、マックスは手出ししない。
これこそ、サムの方が暴行罪で逮捕される案件ではないのか。
しかも、サムはマックスを襲わせるために、暴力団を雇ったりしている。
如何に明らかな犯罪者が相手だとしても、余りにもダーティーではないか。
グレゴリー・ペックが男前だから許されるのかも知れないが、僕はとても感情移入出来ないね。
で、別の日。
ナンシーの学校帰り。
ペギーが毎日、車で迎えに来ているのだが。
たまたまその日は、車のところにナンシーが行っても、ペギーがいなかった。
不安になるナンシー。
彼女が車に乗って待っていると、マックスが現われる。
逃げるナンシー。
追って来るマックス。
ナンシーは校内へ。
更に追って来るマックス。
恐怖で校外へ飛び出したナンシーは、車とぶつかってしまった。
何とか無事だったものの、さあ、これからどうなる?
本作には、上述のように、問題点が多数ある。
結末の回収の仕方も、当時のハリウッド映画の限界なんだろうけど。
ただ、荒削りながらも、サスペンス映画としての要素は多分にあり、マーティン・スコセッシがリメイクしたがったのも分からなくもない。

Cape Fear (1962) Trailer