『マンハッタン』

この週末は、ブルーレイで『マンハッタン』を見た。

1979年のアメリカ映画。
監督・脚本・主演は、『アニー・ホール』のウディ・アレン
共演は、『ゴッドファーザー』『アニー・ホール』『レッズ』のダイアン・キートン、『ディア・ハンター』『クレイマー、クレイマー』『愛と哀しみの果て』のメリル・ストリープ
もう一人、共演のマリエル・ヘミングウェイは、あのアーネスト・ヘミングウェイの孫。
彼女の初出演作『リップスティック』は昔、テレビの深夜放送で見た記憶がある。
もちろん、その当時は彼女がヘミングウェイの孫だなんて知らなかったが。
音楽はジョージ・ガーシュウィン
撮影は、『ゴッドファーザー』『大統領の陰謀』『アニー・ホール』のゴードン・ウィリス
本作は全編モノクロである。
ニューヨークの立ち並ぶ摩天楼から始まる。
テーマ曲は、ガーシュウィンの『ラプソディ・イン・ブルー』。
音楽に疎い僕は、情けないことに、この曲を『のだめカンタービレ』で知った。
「僕はニューヨークを愛していた」という主人公のナレーション。
ニューヨークの風景がどんどん映し出される。
店で議論をする主人公の42歳の中年アイザックウディ・アレン)達4人の男女。
アイザックは、隣に座る17歳のトレーシー(マリエル・ヘミングウェイ)と付き合っている。
日本なら、児童ポルノ法違反で即刻逮捕だな(ウソ)。
で、アイザックは妻のいる友人エール(マイケル・マーフィー)から恋愛相談を受ける。
やれやれ。
アイザックは、テレビの台本を書いていた。
彼には2度の離婚歴がある。
毎度、同じような設定だな。
こんなことを言うと、ファンの人に怒られるか。
彼の2番目の妻ジル(メリル・ストリープ)は、彼との結婚生活の暴露本を出版しようとしていた。
17歳のトレーシーは、アイザックと付き合う前に、3人も男関係があった。
アイザックがトレーシーと写真展を観に来ていると、偶然、昨晩の友人エールが来ていた。
エールは、アイザックに恋愛相談を持ち掛けていた件の女性メリーと一緒だった。
4人は、社交辞令的に「週末に皆でシェイクスピアを観に行こう」と話す。
アイザックはメリーと話してみるが、とことん意見が合わない。
神経質そうなウディ・アレンと我の強そうなダイアン・キートンじゃ、そりゃ合わんだろう。
この辺の展開は、『アニー・ホール』と全く同じ。
メリーは、アイザックの彼女が17歳と聞いて、「『ロリータ』の作家が喜びそうね」とのたまう。
ずっと議論をし続けるアイザックとメリー。
メリーはラドクリフ出身という学歴を鼻に掛けていた。
ラドクリフというのは、アメリカの名門女子大学の一つで、今ではハーバードと統合している。
ある愛の詩』のヒロインもラドクリフの学生だったな。
日本で言えば、お茶の水女子大みたいなものか。
アイザックは、そんなメリーを「俗物め!」とつぶやいて、軽蔑する。
アイザックは、ベルイマンが好きだった。
しかし、それをメリーにバカにされて許せない。
それにしても、ウディ・アレンの映画には、毎度同じような映画作家の名前が出て来るな。
さて、日にちは変わって、テレビ番組の撮影現場。
アイザックは、「テレビの笑いの水準が年々低下している!」と言って、他のスタッフ達とケンカになった。
この時代のアメリカでそうなら、昨今の日本のテレビなんかどうなってしまうんだろう。
アイザックは、「辞める!」と言って、その場を飛び出してしまう。
「早まった…。」
彼は、今や失業者であった。
彼は、パーティでまたメリーと会う。
会場に来ている人々のことを、「フェリーニの映画みたいな人達だな」とつぶやく。
彼はフェリーニが好きなんだ。
ウディ・アレンの映画には、性的なネタが盛り込まれ、主人公(アレン自身)は理屈っぽくて、文句ばかり言っている。
まあ、そんなことを言えるほど、僕は彼の映画を見ていないが。
学生の頃に見た『誘惑のアフロディーテ』も、確かそうだったぞ。
ミラ・ソルヴィーノ目当てで見たんだけどね。
彼女は今、どうしているんだろう。
それはさておき、アイザックとメリーは話しながら歩く。
メリーの仕事は編集者であった。
彼女は、「妻と別れる」というエールに対して、「家庭を壊したくない」と言う。
だったら、不倫なんかするなよ。
何だか、よく分からんが。
前妻のジルの家に来たアイザック
ジルは何とレズビアンで、同性の恋人と暮らしながら、アイザックとの間の息子を育てている。
息子と会うアイザック
日曜日、ヒマなメリーがアイザックに電話をして来る。
二人は会うことになった。
そこへ、突然の雷雨。
雨宿りをしながら、メリーは「エールが急に会ってくれなくなった」とアイザックに打ち明ける。
彼女はアイザックに「また会わない?」と持ち掛ける。
今度はトレーシーと会うアイザック
彼女は、「ロンドンの演劇学校に受かった」と言う。
アイザックは、「君は未だ若いから、俺達のことは考えないでいい」という。
そりゃそうだろう。
娘みたいな年齢の若者の将来を縛っちゃいかん。
それにしても、ニューヨークのビルはスゴイ。
夜景は非常に映える。
本作をモノクロで撮ったのは、正解かも知れない。
アイザックは、トレーシーと一緒にニューヨークの街を走る馬車に乗る。
これは、浅草の人力車のようなものだろうか。
余談だが、僕は細君と一緒に京都へ行った時、嵐山の人力車に乗った。
馬車の中で抱き合い、キスをするアイザックとトレーシー。
一方、メリーとエールは大ゲンカをする。
まあ、こんな我の強い女じゃあ、誰とも合わんわな。
そのまた一方、アイザックは失業してカネがないので、狭いアパートに引っ越す。
ここが、ネズミの音はするし、水道の水は茶色いしで、ヒドイ物件だった。
とは言え、部屋は二間あるようだ。
僕が学生の頃、住んでいた四畳半風呂無しトイレ共同のアパートとは違う。
さすがアメリカだ。
しかしながら、神経質なアイザックは、この部屋に耐えられない。
イライラして、泊まりに来たトレーシーとケンカをしてしまう。
さて、エールとメリーは、いよいよ別れ話に突入。
関係ないが、メリーは『2001年宇宙の旅』のHALの話しを持ち出す。
結局、アイザックに会いに来るメリー。
まあ、物語は当初予想していたような方向へ。
だが、これから一体どこへ向かうのか。
つかみどころがない。
ニューヨークは白と黒で出来ている、と主人公は言う。
だから、本作はモノクロで撮影されているんだな。
相変わらず、ウディ・アレンの好きそうな映画のタイトルが、さりげなく挿入される。
アイザックがメリーと一緒に観に行った映画が、稲垣浩の『忠臣蔵』。
あと、タイトルが出て来るのが『大いなる幻影』。
僕は昔、この映画をレンタル屋で借りてダビングして、見始めたが、途中で止めて、それから見ていないな。
それから、『風と共に去りぬ』は前妻と観たって(アイザックがね)。
名前が挙がる映画スターが、マーロン・ブランドフランク・シナトラ
で、アイザックとメリーは結局、くっつく訳よ。
けれども、面倒な関係だ。
お互い、個性が強過ぎる。
本作の画面の構図は面白い。
アイザックの使っているカセット・テープはSONYである。
彼の着ている衣装はラルフ・ローレンらしい。
最後は、ちょっとご都合的なオチ。
少なくとも、僕は「これでいいのかな?」と思った。
ウディ・アレンは映画好きっぽいから、批評家に受けが良いのかな。