この週末は、ブルーレイで『マンハッタン』を見た。
- 出版社/メーカー: 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
- 発売日: 2014/07/02
- メディア: Blu-ray
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監督・脚本・主演は、『アニー・ホール』のウディ・アレン。
共演は、『ゴッドファーザー』『アニー・ホール』『レッズ』のダイアン・キートン、『ディア・ハンター』『クレイマー、クレイマー』『愛と哀しみの果て』のメリル・ストリープ。
もう一人、共演のマリエル・ヘミングウェイは、あのアーネスト・ヘミングウェイの孫。
彼女の初出演作『リップスティック』は昔、テレビの深夜放送で見た記憶がある。
もちろん、その当時は彼女がヘミングウェイの孫だなんて知らなかったが。
音楽はジョージ・ガーシュウィン。
撮影は、『ゴッドファーザー』『大統領の陰謀』『アニー・ホール』のゴードン・ウィリス。
本作は全編モノクロである。
ニューヨークの立ち並ぶ摩天楼から始まる。
テーマ曲は、ガーシュウィンの『ラプソディ・イン・ブルー』。
音楽に疎い僕は、情けないことに、この曲を『のだめカンタービレ』で知った。
「僕はニューヨークを愛していた」という主人公のナレーション。
ニューヨークの風景がどんどん映し出される。
店で議論をする主人公の42歳の中年アイザック(ウディ・アレン)達4人の男女。
アイザックは、隣に座る17歳のトレーシー(マリエル・ヘミングウェイ)と付き合っている。
日本なら、児童ポルノ法違反で即刻逮捕だな(ウソ)。
で、アイザックは妻のいる友人エール(マイケル・マーフィー)から恋愛相談を受ける。
やれやれ。
アイザックは、テレビの台本を書いていた。
彼には2度の離婚歴がある。
毎度、同じような設定だな。
こんなことを言うと、ファンの人に怒られるか。
彼の2番目の妻ジル(メリル・ストリープ)は、彼との結婚生活の暴露本を出版しようとしていた。
17歳のトレーシーは、アイザックと付き合う前に、3人も男関係があった。
アイザックがトレーシーと写真展を観に来ていると、偶然、昨晩の友人エールが来ていた。
エールは、アイザックに恋愛相談を持ち掛けていた件の女性メリーと一緒だった。
4人は、社交辞令的に「週末に皆でシェイクスピアを観に行こう」と話す。
アイザックはメリーと話してみるが、とことん意見が合わない。
神経質そうなウディ・アレンと我の強そうなダイアン・キートンじゃ、そりゃ合わんだろう。
この辺の展開は、『アニー・ホール』と全く同じ。
メリーは、アイザックの彼女が17歳と聞いて、「『ロリータ』の作家が喜びそうね」とのたまう。
ずっと議論をし続けるアイザックとメリー。
メリーはラドクリフ出身という学歴を鼻に掛けていた。
ラドクリフというのは、アメリカの名門女子大学の一つで、今ではハーバードと統合している。
『ある愛の詩』のヒロインもラドクリフの学生だったな。
日本で言えば、お茶の水女子大みたいなものか。
アイザックは、そんなメリーを「俗物め!」とつぶやいて、軽蔑する。
アイザックは、ベルイマンが好きだった。
しかし、それをメリーにバカにされて許せない。
それにしても、ウディ・アレンの映画には、毎度同じような映画作家の名前が出て来るな。
さて、日にちは変わって、テレビ番組の撮影現場。
アイザックは、「テレビの笑いの水準が年々低下している!」と言って、他のスタッフ達とケンカになった。
この時代のアメリカでそうなら、昨今の日本のテレビなんかどうなってしまうんだろう。
アイザックは、「辞める!」と言って、その場を飛び出してしまう。
「早まった…。」
彼は、今や失業者であった。
彼は、パーティでまたメリーと会う。
会場に来ている人々のことを、「フェリーニの映画みたいな人達だな」とつぶやく。
彼はフェリーニが好きなんだ。
ウディ・アレンの映画には、性的なネタが盛り込まれ、主人公(アレン自身)は理屈っぽくて、文句ばかり言っている。
まあ、そんなことを言えるほど、僕は彼の映画を見ていないが。
学生の頃に見た『誘惑のアフロディーテ』も、確かそうだったぞ。
ミラ・ソルヴィーノ目当てで見たんだけどね。
彼女は今、どうしているんだろう。
それはさておき、アイザックとメリーは話しながら歩く。
メリーの仕事は編集者であった。
彼女は、「妻と別れる」というエールに対して、「家庭を壊したくない」と言う。
だったら、不倫なんかするなよ。
何だか、よく分からんが。
前妻のジルの家に来たアイザック。
ジルは何とレズビアンで、同性の恋人と暮らしながら、アイザックとの間の息子を育てている。
息子と会うアイザック。
日曜日、ヒマなメリーがアイザックに電話をして来る。
二人は会うことになった。
そこへ、突然の雷雨。
雨宿りをしながら、メリーは「エールが急に会ってくれなくなった」とアイザックに打ち明ける。
彼女はアイザックに「また会わない?」と持ち掛ける。
今度はトレーシーと会うアイザック。
彼女は、「ロンドンの演劇学校に受かった」と言う。
アイザックは、「君は未だ若いから、俺達のことは考えないでいい」という。
そりゃそうだろう。
娘みたいな年齢の若者の将来を縛っちゃいかん。
それにしても、ニューヨークのビルはスゴイ。
夜景は非常に映える。
本作をモノクロで撮ったのは、正解かも知れない。
アイザックは、トレーシーと一緒にニューヨークの街を走る馬車に乗る。
これは、浅草の人力車のようなものだろうか。
余談だが、僕は細君と一緒に京都へ行った時、嵐山の人力車に乗った。
馬車の中で抱き合い、キスをするアイザックとトレーシー。
一方、メリーとエールは大ゲンカをする。
まあ、こんな我の強い女じゃあ、誰とも合わんわな。
そのまた一方、アイザックは失業してカネがないので、狭いアパートに引っ越す。
ここが、ネズミの音はするし、水道の水は茶色いしで、ヒドイ物件だった。
とは言え、部屋は二間あるようだ。
僕が学生の頃、住んでいた四畳半風呂無しトイレ共同のアパートとは違う。
さすがアメリカだ。
しかしながら、神経質なアイザックは、この部屋に耐えられない。
イライラして、泊まりに来たトレーシーとケンカをしてしまう。
さて、エールとメリーは、いよいよ別れ話に突入。
関係ないが、メリーは『2001年宇宙の旅』のHALの話しを持ち出す。
結局、アイザックに会いに来るメリー。
まあ、物語は当初予想していたような方向へ。
だが、これから一体どこへ向かうのか。
つかみどころがない。
ニューヨークは白と黒で出来ている、と主人公は言う。
だから、本作はモノクロで撮影されているんだな。
相変わらず、ウディ・アレンの好きそうな映画のタイトルが、さりげなく挿入される。
アイザックがメリーと一緒に観に行った映画が、稲垣浩の『忠臣蔵』。
あと、タイトルが出て来るのが『大いなる幻影』。
僕は昔、この映画をレンタル屋で借りてダビングして、見始めたが、途中で止めて、それから見ていないな。
それから、『風と共に去りぬ』は前妻と観たって(アイザックがね)。
名前が挙がる映画スターが、マーロン・ブランドとフランク・シナトラ。
で、アイザックとメリーは結局、くっつく訳よ。
けれども、面倒な関係だ。
お互い、個性が強過ぎる。
本作の画面の構図は面白い。
アイザックの使っているカセット・テープはSONYである。
彼の着ている衣装はラルフ・ローレンらしい。
最後は、ちょっとご都合的なオチ。
少なくとも、僕は「これでいいのかな?」と思った。
ウディ・アレンは映画好きっぽいから、批評家に受けが良いのかな。