『幸福の設計』

お盆休みには、『幸福の設計』をブルーレイで見た。

幸福の設計 ジャック・ベッケル Blu-ray

幸福の設計 ジャック・ベッケル Blu-ray

1947年のフランス映画。
監督は、『モンパルナスの灯』『穴(1960)』の巨匠ジャック・ベッケル
『モンパルナスの灯』は大人になってからブルーレイで見たが、運に恵まれない芸術家の半生に涙が出た。
『穴』は学生の頃、友人と名画座で観たが、ラストのアッと驚く大どんでん返しに息を呑んだ。
本作は、これら2本よりも以前の作品だが、これらとは違ってコメディー・タッチである。
主演はロジェ・ピゴとクレール・マフェイ。
共演は、『旅路の果て』『フレンチ・カンカン』『恋人たち(1958)』のガストン・モド。
モノクロ、スタンダード・サイズ。
哀愁の漂ったテーマ曲が流れる。
画質は良いが、音質は悪い。
舞台はパリ。
エッフェル塔のお膝元。
アントワーヌは印刷所で本の印刷や製本をして働いている。
凱旋門のお膝元では、妻のアントワネットがデパートの売り子をしている。
証明写真を撮りに来る紳士。
スピード写真が30フラン。
8分間で出来上がるという。
戦後すぐのこの時代に、既にスピード写真があったのか。
彼女は夫がもらって来た落丁本を職場の同僚で回し読みしている。
今日、持って来たのは『谷間の百合』。
バルザックか。
しかし、同僚は喜ばない。
この時代のフランスでも、既に純文学は大衆には受けなかったのだろう。
デパートのそばには宝くじ屋がある。
ここのおばさんがくれたハズレくじを、アントワネットはしおり代わりに本に挟む。
実は、これがラストへの重要な伏線。
本作は、さすが『穴』の監督だけあって、物語の伏線が実に周到に張り巡らされている。
細君は、ラストがどうなるかを途中で分かったというが。
一方、アントワーヌの同僚は3週間のバカンスを取るという。
さすがフランスだ。
日本では、3週間の休みというのは考えられない。
僕は今の会社に勤めて10年以上になるが、有休を取ったのは、親戚の葬式に出るためと、インフルエンザに罹った時だけだ。
休日出勤も平均すれば月に1~2回あるが、代休を取ったことはただの一度たりともない。
でも、別に今の勤務先がブラック企業だとは全く思っていない。
政府は「働き方改革」なんていうが、「時間になりました。はい、さようなら」みたいな心構えでは、良い仕事は出来ないと思っている。
少なくとも、我々より上の世代の日本人は皆、そう考えていると思う。
本作では、勤務中にカフェでワインを飲んでいる連中まで出て来る。
日本なら、上司に見付かったらクビだろう。
アントワーヌは自転車通勤をしている。
彼ら夫婦は、貧しい生活をしているが、自転車で通勤出来る程度の都心には住んでいるということだ。
まあ、日本とは住宅事情が違うのだろうが。
アントワネットは美人なので、あちこちで男に声を掛けられる。
客にナンパされ、しつこく追い掛けられて、地下鉄に飛び乗ったりすることもある。
アントワネットが仕事帰りに立ち寄る行き付けの食料品店。
この店の主人のロランは女好きのスケベ親父で、彼女に気がある。
彼女のために、わざわざ並んでいる野菜とは別の新鮮な商品を奥から出して来たり、サービスでサーディンの缶詰めをくれたりする。
僕は一昨日、安房鴨川のイオンで酒の肴にオイル・サーディンの缶詰めを買ったが、400円強くらいだった。
これが、今の彼女達の境遇では贅沢品のようだ。
フランスは戦敗国ではないので、生活状況は『自転車泥棒』ほどの悲壮感はないが、それでも貧しいことには変わりはない。
アントワーヌはサイドカー付きのバイクが欲しいが、憧れるだけだ。
僕が『OED』を買えないのと同じだな。
で、ロランの店の前にアントワーヌが自転車を停めていたら、店のトラックがこの自転車をひいてしまった。
前輪が変形して、使い物にならない状態。
アントワーヌがロランに抗議しても、彼は聞く耳を持たない。
ところが、そこへアントワネットがやって来て、アントワーヌが彼女の夫だと判ると、態度を豹変。
前輪は無料で代わりの物を探すし、それまでの間は、店の自転車を貸すという。
下心丸出しだな。
アントワーヌは、そのことに気付いて、心配でならない。
夫婦の暮らすアパートには洗面台がないので、手や顔は台所の流しで洗う。
僕も、学生の頃に風呂ナシのアパートに住んでいた時は洗面台などなかった。
今は普通のファミリー向けのマンションなので、付いているが。
貧しいので、食事も節約するしかない。
フランスの食卓に必須のチーズも、明日のランチのために残しておかないといけない。
背景としては、戦後の貧しい暮らしもあるが、本作のトーンは基本的に、アントワーヌとアントワネットのメロドラマである。
だから、そんなに深刻さはない。
「愛さえあれば、お金なんて」という感じである。
まあ、僕も若い頃はそう思っていたが、ある程度の歳になって来ると、余りにもお金がないのはしんどい。
で、アントワネットはちょっと性格に大雑把なところがあって、すぐにバッグなんかの置き場所を忘れる。
まあ、このことも後の重要な伏線。
アントワーヌは旧式のラジオしか持っていないので、感度を高めるために、自分で屋根上にアンテナを設置している。
彼らの隣の部屋に住むボクサーのリトンもアントワネットに気があり、旦那が屋根上に上がっている間に、窓から部屋に忍び込む。
今なら住居侵入罪で現行犯逮捕だな。
近所の夫婦が外出するからと言って、子供をアントワーヌ夫妻に預けに来る。
まだよちよち歩きのその子は、家にある活字本を、理解出来ないながらもめくっている。
子供が本好きになるためには、幼い頃から周りに本のある環境が必要だと思うが、昨今では難しくなっている。
このままでは、今の中高年がいなくなったら、紙の本はなくなってしまう。
出版業界に身を置く人間としては由々しき事態だが、これも時代の流れなのか。
休日、アントワーヌとアントワネットは仲良くサッカー観戦に出掛ける。
翌朝、アントワーヌが出勤のために起床する。
アントワネットが鍋の中を見ると、肉が一切れしかないが、旦那に食べさせる。
僕も小学生の頃、実家が貧乏だったので、朝食は一パックの納豆を家族4人で分けて食べていた時期がある。
ひもじいのは本当にツライ。
で、アントワーヌが借り物の自転車で出勤するのを、アントワネットが窓から見送る。
若い夫婦の微笑ましい風景。
そこへ、ロランが部屋まで自転車の車輪を持って来る。
花束と一緒に。
ご丁寧に、長持ちするように鉢植えだとか。
そして、「給料を弾むから、ウチの店に来ないか」と彼女を口説く。
「あなたみたいな美人に家事は似合わない」と。
まあね。
女性は美人だと、生き方の選択肢が増えてお得なのは一面の真理だ。
しかしながら、そんな気はさらさらないアントワネットは、花束を旦那に見せられないと、近所の奥さん友達にあげてしまう。
すると、その夜、その奥さんの旦那が怒鳴り込んで来る。
「ウチの嫁にこの花束をやったのは本当にあなたか?」と。
アントワネットが認めると、その奥さんは旦那をビンタ。
近所の夫婦喧嘩まで誘発してしまうなんて、本当に美人は罪だ。
そんなアントワネットを、アントワーヌは優しく追及する。
基本的に、彼は優しいんだな。
僕がこれまでに観た映画の中で最高の優男は、『ニキータ』のジャン・ユーグ・アングラードだと思うが、もちろん、そこまでではない。
で、話しは変わって、色んな物を乱雑に放り込んであるアントワネットのバッグの中から、バラバラと宝くじが出て来る。
彼女はこういうものには全く無頓着なので、アントワーヌが当選番号を調べる。
新聞を見たが、該当箇所がちょうど足の形に切り抜かれている。
靴の中敷きに使ったんだな。
新聞紙を中敷きに使ったりすると、余計に臭いそうだが。
時代だな。
で、その中敷きには宝くじの当選番号が書いてあるのだが、どうやら今手元にあるくじは、1等の当たりの様である。
しかし、1文字だけ活字がかすれて読めない。
アントワーヌは、はやる心を抑えて、近所の行き付けのカフェに出掛ける。
このカフェでは、明日、娘の結婚式だということで、老夫婦はバタバタと忙しそうだったが、何とか宝くじの当選番号のリストを見せてもらう。
果たして、傷痍軍人宝くじ、「139 800」、1等80万フランが当選ではないか!
ここまでの、アントワーヌの心の動きが、とてもよく描写されている。
見ているこちらまでドキドキする。
アントワーヌは急いで帰宅し、奥さんに報告する。
アントワーヌはバイクが欲しい。
アントワネットは暖房と洗面所付きの家が欲しい。
実際、この家には暖房がないようだ。
パリの緯度は札幌よりも北なので、冬は寒い(行ったことがないので、想像だが)。
アントワネットは、部屋の中でもコートを着ている。
アパート、バイク、スーツ、コート…。
欲しい物を、「ルージュの伝言」のように、アントワネットが口紅で鏡に書き連ねる。
ちなみに、僕は生まれてこの方、宝くじは一度も買ったことがない。
当たる確率より、外れる確率の方が遥かに高いからだ。
「いつか当たるかも」と思って買い続けると、仮に当たったとしても、それまでに費やした金額から考えると、必ず赤字になるからだ。
同様の理由で、ギャンブルも一切やらない。
得をすることよりも、損をすることがイヤなのだ。
という訳で、「もし宝くじが当たったらどうする?」なんていうことも真面目に考えたことはないのだが。
この映画を見ながら細君に聞かれたので、仕方なく、「新宿の紀伊国屋に行って、店にある辞書を全て買い占める」と答えておいた。
どうでもいい話しだが、僕は辞書マニアである。
昭和2年発行の研究社の『新英和中辞典』の初版も持っている。
我が家の辞書は全部で300冊くらいはある。
以前、飲み会で、我が家に辞書が300冊あると言うと、「300冊? 300冊?」と、2回確認された。
という訳で、僕は宝くじ当選のドキドキは一度も味わったことがないが、アントワーヌは気になって、夜中に目覚めた。
それで、置いてあった当たりくじを、本に挟む。
ただ置いておくだけでは、なくしてしまいそうだと思ったのだろう。
翌日、アントワーヌは仕事を休んで、宝くじの当選金を受け取りに行くことにした。
アントワネットは出勤し、後にアントワーヌが彼女の職場を訪ねることになっていた。
彼女が出掛けると、ロランが部屋にやって来る。
中から出て来たのは旦那の方。
一瞬たじろぐロラン。
そこへ、隣の奥さん(アントワネットの友人)が本を借りに来る。
それが、昨晩アントワーヌが宝くじを挟んだ本だったので、彼はくじを抜いてから彼女に本を渡す。
そのくじは自分の財布に入れた。
ロランは、「奥さんを店で雇いたい」とアントワーヌに申し出る。
が、宝くじは当たったし、そもそもロランのことは憎んでいるので、アントワーヌは彼を追い返す。
ついでに、店の自転車も持って行けと。
地下鉄の駅。
ここの窓口では友人のジュリエットが切符を売っている。
パリの地下鉄の窓口なので、そして、現在のように自動化されていないので、いつも忙しい。
客が次から次へとやって来る。
アントワーヌは、切符を買うために財布をポケットから取り出し、一旦カウンターに置く。
ポケットにはもう一つ、普段使わない身分証が入っており、それも飛び出したので、ポケットにしまう。
と、後ろのおばあさんがアントワーヌの財布の上に荷物を置く。
アントワーヌは急いでいたので、財布をしまわずに行ってしまう。
この一連の流れが、ロベール・ブレッソンの『スリ』のように鮮やかに描かれる。
財布は、おばあさんが荷物を持った時に床に落ち、誰かが蹴飛ばし、コート姿の見知らぬ男の足元に滑り込み、彼が拾って持って行ってしまった。
換金所が開くのは10時。
アントワーヌは傷痍軍人協会に到着した。
ところが、財布がない!
さあ、これからどうする?
この映画の結末は、フランス映画っぽくない。
非常にハリウッド映画的である。
それもそのはずで、ジャック・ベッケルアメリカ映画が好きだったのだとか。
しかし、本作にはこの時代のフランスの一般庶民の生活が実に見事に描かれている。
それに、見ていて気分が滅入る様な映画ではない。
カンヌ国際映画祭恋愛心理映画賞受賞。

Antoine et Antoinette - www.streamovie.fr