日本近代文学を文庫で読む(第7回)『たけくらべ』

今回は、樋口一葉の『たけくらべ』を取り上げます。
こちらも文語体なので、読んだことがあるという人はそんなにいないのではないでしょうか。
かく言う僕も、高校生くらいの頃には読んでみようとすら思わず、最近になってようやく読みました。
しかしながら、これが難物でした。
文語体の近代小説でも、『金色夜叉』のような漢文訓読調なら読み易いのですが、一葉の文体は、『源氏物語』のような和文です。
主語の省略が著しく、部分は分かっても、全体の流れが分かりません。
日本の近代文学の代表作を一通り読んでみたいと思って始めたこの企画ですが、お手上げなので、河出文庫から出ている現代語訳を読みました。
しかし、これが原文に忠実過ぎて、ピンと来ませんでした。
アマゾンのレビューを見ても、「統一感を持たせた真面目な現代語訳ではなく、一葉を読んだことすらない人間を含む個々の訳者に、各編を自由に担当させた、キワモノ企画の本です」「まず訳文そのものが、現代語訳と呼べるような読みやすいものになっていません」「こんな訳文を読むくらいなら、振り仮名つきの原文を読んだほうがよっぽど内容が理解できると思います」とさんざんな書かれっぷりです。
「訳者後書き」に、『たけくらべ』の訳を担当した松浦理英子氏が「『たけくらべ』体感記」と題して書いている文章が、上記のアマゾン・レビューの酷評の原因でもありますが、面白いので、少し引用してみましょう。

樋口一葉の作品は『たけくらべ』に尽きると思う。『にごりえ』も悪くないが、あとは『たけくらべ』と同等の面白さを期待して読むと落胆する、というのが正直な感想である。こう書くからには、私には一葉という作家に対する格別の思い入れはないのであり、数多くの一葉愛読者、研究者が熱心に一葉を語り持ち上げるさまを目にすると、何やら別世界の出来事を見るような思いに囚われたりもするのであるが、しかし、『たけくらべ』一作から受ける強い印象は、作品にどっぷりと身を浸して愉しむだけではすまず、「一葉はなぜこんな作品を書いたのだろう」という埒もない疑問まで呼び起こすほどのものだ。今回『文藝』編集部から、『たけくらべ』の口語訳を、という話が持ち込まれた時にわりあい簡単に引き受けたのは、この作品を一語一句読み文語を口語に移し換えて行く作業によって、より深くこの作品に身を浸すことができるのではないか、ただ読んでいるばかりでは得られないような新しい愉しさを味わえるのではないか、と予感したからにほかならない。

確かに、「一葉に対する格別の思い入れはない」人が訳したのか、という驚きはあります。

動機がそういうものだから、訳すにあたっては、この作品があたかも初めから口語文で書かれたかのように見える訳文にすることは、全く考えなかった。

これが、この本の現代語訳が読み難い理由ですね。
そこで、角川ソフィア文庫のビギナーズ・クラシックスを読むと、こちらは詳細な解説でようやく内容が理解出来ました。
この本の「はじめに」には、次のようにあります。

さて、『たけくらべ』は古語を交えた文語体で書かれているので、今の私たちにはとても読みにくく感じられます。朗読すれば、流れるようなリズムがありますが、内容を理解するにはたくさんの注が必要です。けれど、本文と注の間を眼球移動させてばかりでは、せっかくの名作が無味乾燥になってしまいましょう。
そこで、注を織り込んだ独自の通釈文( )を原文( )の前に用意しました。たんなる現代語訳ではありません。わかりやすい現代語に言い換えるのはもちろん、注に相当する内容を新たに補うなど、さまざまな工夫を凝らしました。さらに図版・コラム・付録類を添えて内容の理解に役立つよう配慮しました。
通釈文を読んだ後で原文に入るならば、より鮮明な場面の映像を楽しみながら、流麗な原文の響きに耳を傾けることができるでしょう。

確かに、読み易かったです。
また、集英社文庫版は、原文ですが、仮名遣いを現代仮名遣いに改め(文語のまま)、適宜改行や句読点の変更、会話にカギカッコを施すなどして、まるで現代語のように読み易くなっています。
しかし、河出文庫版も角川ソフィア文庫版、集英社文庫版も、残念ながら絶版になっています。
僕はアマゾンの中古で買いました。
こういう、難解な古典に少しでも近付ける様にした本を、どうして絶版にするのでしょうか。
まあ、需要がないのでしょうが。
このように難解な『たけくらべ』ですが、当然ながら、高校日本史の教科書にも載っています。
例えば、僕の手元にある『詳説日本史』(山川出版社)には、第9章「近代国家の成立」の「おもな文学作品」という一覧表の中です。
一葉については、本文中に、次のように書かれています。

底辺の女性たちの悲哀を数篇の小説に描いた樋口一葉も、ロマン主義の運動の影響下にあった。

『精選日本文学史 改訂版』の脚注には、次のようにあります。

樋口一葉 明治五(一八七二)年―明治二十九(一八九六)年。歌人・小説家。東京都生まれ。本名は奈津。中島歌子の萩の舎塾で歌を学び、半井桃水に小説の指導を受ける。

また、同書の本文には、次のようにあります。

はやく露伴に学んで作家となったのが樋口一葉である。『たけくらべ』『十三夜』『にごりえ』などの名作を生んだ。旧時代のしがらみの中で悲運に泣く女性を描いて傑出した才能を見せた。その流麗な雅俗折衷の文章によって写し出された微妙な心理や浪漫的詩情は、時代を越えてこの女流作家の名を高からしめている。極貧の中での日常や揺れる内面を伝える日記が、また優れた日記文学になっている。

『田村の[本音で迫る文学史]』(大和書房)でも、一葉について述べられているので、そちらも引用しておきます。

樋口一葉は、近代日本文学に初めて名を残す女性作家であるが、武士の誇り・男性的教養・貧窮生活といった要素を自身の内に持って、社会の中で虐げられる女性の立場を描いた作品を残し、やはり二十四歳の若さで世を去った。『にごりえ』『十三夜』『たけくらべ』などの作品は、社会の仕組みゆえに女性達が不幸になる様を描いており、後の女性作家たちのように世の仕組みそのものに挑戦するという面のないところが、まだ日清・日露戦争前の時代の小説として特徴的である。文体は、美文的な擬古文である。

何度も書いていますが、上の引用の中に「文体は、美文的な擬古文である」とありますが、本文の引用はありません。
これでは、本当に一葉の文体が美文的かどうかは分からないでしょう。
受験対策の虚しさです。
高校生の時は名前だけ覚えるにしても、大学に入ったら、出来るだけたくさんの文学作品を読むべきだと思います。
と偉そうに言っている僕は、学生時代は、映画ばかり観て、ロクに本は読まずに過ごしてしまったのですが。
樋口一葉について
さて、一葉の略歴について、岩波文庫版の「解説」をもとに、少し詳しく述べておきましょう。
樋口一葉は、明治5(1872)年3月25日(太陽暦では5月2日)、東京府の内幸町に父則義・母たきの次女として生まれました。
幼い時から読書に夢中になり、学問を好んでいたが、母たきの意見で学校教育を諦めなければならなくなります。
一葉の最終学歴は青海学校小学高等科第四級卒業というものです。
一葉が初めて明確に文学の道を歩み始めるのは、中島歌子の主宰する歌塾萩の舎に入門した時でした。
明治19年、一葉は14歳です。
萩の舎への入門は、作家一葉の誕生において大きな意味を持っています。
まず挙げるべきは、一葉の小説文体形成への影響です。
萩の舎では、和歌の教授のほかに、『源氏物語』などの日本古典の講義も行われていました。
一葉の文学的教養基盤は、彼女自身の読書と萩の舎での日本古典の摂取に多くを負っており、西洋文化キリスト教思想の影響を強く受けていた同時代の女性作家達とは対照的です。
さらに、作家一葉の誕生に具体的に関わったという点で、若き女性作家・三宅花圃の存在を看過することは出来ません。
一葉が作家の道を志した時、まず具体的な目標としたのは花圃でした。
一葉の初期作品には、花圃の影響が看取されます。
一葉は長兄泉太郎の夭折・父則義の病没などによって、樋口家の相続戸主となりました。
既に、姉ふじは他家に嫁ぎ、次兄虎之助は分籍されていたため、母たきと妹邦子の生活は全て戸主一葉の責任となったのです。
父則義が事業に失敗したため、樋口家は没落の一途をたどっており、貧窮の中で一葉達の前には安定した収入の道はありませんでした。
この時、一様は小説を書くことを選択したのです。
小説家となることを志した一葉は、明治24年、妹邦子の友人野々宮菊子の紹介で、当時「東京朝日新聞」の小説および雑報記者であった半井桃水に弟子入りしました。
親身になって一葉に助言・援助を与えてくれた桃水は、雑誌「武蔵野」を創刊し、一葉はその第1篇に第1作『闇桜』(明治25年3月)を掲載することが出来たのです。
明治25年、時に一葉は二十歳でした。
しかし、この頃、桃水との関係が萩の舎で醜聞として噂され、中島歌子や友人伊東夏子から忠告を受けた一葉は、桃水との交際を絶つことを決意します。
小説発表のつてを失った一葉に、三宅花圃は有力な文学雑誌であった「都の花」を紹介してくれました。
同雑誌に発表した『うもれ木』(明治25年11月)に注目した星野天如が「文学界」への寄稿を求め、一葉と「文学界」との関係が生じます。
作家的成熟に伴い、一葉の内面の苦悩・葛藤はより切迫したものとなっていました。
一方、生活は日に日に困窮を極めています。
この難局を打開するべく、一葉は文学を捨てて、商売を始める決意をしたのです。
明治26年7月20日、一葉は母たき・妹邦子とともに下谷龍泉寺町に転居し、小さな駄菓子屋を開きました。
当時の龍泉寺町は、吉原遊廓に寄生する廓者たちが軒の傾いた長屋にひしめく場所でした。
ここで一葉が目にした、女性たちが身を売る吉原遊廓という闇の空間、その場所に経済的に依存する周辺の町の人々の生活などが、作家としての彼女の社会認識を深化させ、後に「奇跡の十四か月」と呼ばれる創作の充実期をもたらすことになるのです。
明治27年5月、商売を廃業して本郷の丸山福山町に転居した一葉は、再び書くことへと向かいました。
明治27年12月に「文学界」に掲載した『大つごもり』を幕開けとして、一葉は近代文学史上に残る傑作の数々をほぼ1年あまりの間に集中的に執筆します。
どの作品も、それまで描かれえなかった明治近代の抑圧の中を生きる女性たちの姿を、所属する社会的な階層を越えて描き出したものでした。
そして、明治29年11月23日、一葉は結核のため、わずか24歳でその生を終えました。
たけくらべ』について
たけくらべ』は、雑誌「文学界」に、明治28年1月(1~3回)、2月(4~6回)、3月(7、8回)、8月(9、10回)、11月(11、12回)、12月(13、14回)同29年1月(15、16回)と断続的に掲載され、明治29年4月に「文芸倶楽部」第二巻第五編に一括再掲載されました。
女性作家樋口一葉の名前を一躍有名にしたのは、幸田露伴斎藤緑雨森鷗外による合評「三人冗語」(「めさまし草」明29・4)の『たけくらべ』評です。
特に、鷗外による「われは縦令世の人に一葉崇拝の嘲を受けんまでも、此人にまことの詩人といふ称をおくることを惜しまざるなり」との激賞は、同時代のみならず後世に至る一葉の評価を決定付けた感があります。
それでは、ここで、『たけくらべ』のあらすじを、簡潔にまとめているウィキペディアから引用しておきましょう。

吉原の遊女を姉に持つ勝気な少女美登利は、豊富な小遣いで子供たちの女王様のような存在だった。
対して龍華寺僧侶の息子信如は、俗物的な父を恥じる内向的な少年である。
二人は同じ学校に通っているが、運動会の日、美登利が信如にハンカチを差し出したことで皆から囃し立てられる。
信如は美登利に邪険な態度をとるようになり、美登利も信如を嫌うようになった。
吉原の子供たちは、鳶の頭の子長吉を中心とした横町組と、金貸しの子正太郎を中心とした表町組に分かれ対立していた。
千束神社(千束稲荷神社)の夏祭りの日、美登利ら表町組は幻灯会のため「筆や」に集まる。
だが正太郎が帰宅した隙に、横町組は横町に住みながら表町組に入っている三五郎を暴行する。
美登利はこれに怒るが、長吉に罵倒され屈辱を受ける。
ある雨の日、用事に出た信如は美登利の家の前で突然下駄の鼻緒が切れて困っていた。
美登利は鼻緒をすげる端切れを差し出そうと外に出るが、相手が信如とわかるととっさに身を隠す。
信如も美登利に気づくが恥ずかしさから無視する。
美登利は恥じらいながらも端切れを信如に向かって投げるが、信如は通りかかった長吉の下駄を借りて去ってしまう。
大鳥神社の三の酉の市の日、正太郎は髪を島田に結い美しく着飾った美登利に声をかける。
しかし美登利は悲しげな様子で正太郎を拒絶、以後、他の子供とも遊ばなくなってしまう。
ある朝、誰かが家の門に差し入れた水仙の造花を美登利はなぜか懐かしく思い、一輪ざしに飾る。
それは信如が僧侶の学校に入った日のことだった。

まず、舞台が吉原というところが普通の世界ではありません。
主人公の美登利の姉は、売れっ子の遊女です。
今で言えば、ナンバーワン・ソープ嬢でしょうか。
だから、未だ14歳の美登利は美人で大人びていて、金銭感覚がおかしい。
で、この子の将来は、やはり遊女(=売春婦)と決まっています。
カネはあって、男にチヤホヤもされるのでしょうが、根本的に、これが幸せと言えるのだろうかという疑問が、まず湧いて来ます。
いや、こういう職業の方を差別するつもりはありませんが。
僕の知り合いのライターで、風俗嬢のドキュメントを書いて有名になった人がいますが、この人の本を読むと、不幸な女性のオンパレードです。
今も昔も、女性が自分の体を売るというのは大変なことで、本質は何も変わっていないのだと思い知らされます。
で、美登利の初恋の相手の信如は、坊主の息子で、やはり将来は仏門に入ると決められています。
風俗嬢と僧侶なんて、この世で最も掛け離れた人種のような気もしますが。
ところが、この二人の恋は、自分に素直になれず、うまく気持ちを伝えられない、切なくて甘酸っぱい、誰にも覚えのある初恋そのものなのです。
これが、本作を優れた文学の高みに押し上げた点ではないでしょうか。
好きな相手と言葉を交わすのもうまく出来ないような純情な少女が、もうすぐ知らない男からカネをもらって股を開かなければならない。
そして、こんな娘に惚れられた少年は、煩悩を断ち切らなければならない仏門に入るという。
何という話しでしょうか。
樋口一葉は、よくこんなのが書けましたね。
で、この主筋に、まるで『ウエスト・サイド物語』みたいな子供達同士の「組」の対立が絡みます。
登場人物それぞれのキャラクターが非常に生き生きと描かれているのです。
それでは、岩波文庫版の「解説」が非常に簡潔にまとまっているので、そこから重要そうな箇所を引いておきましょう。

たけくらべ』は、夏から初冬への季節の移ろいのなかで、吉原周辺の町・大音寺前を舞台に、二度とは戻ってこない<子供たちの時間>を見事に描き出している。大黒屋の美登利、龍華寺の新如、田中屋の正太郎を中心に、頭の長吉や滑稽者の三五郎など、それぞれがそれぞれの場所で、大人の時間を目前にした最後の季節を過ごしている。ことに美登利と新如の間で交わされるそこはかとない思慕は、私たち読者の惜春の思いを誘引してやまない。だが『たけくらべ』の哀切な調べは、吉原遊郭という悲惨な場所によって支えられている。美登利の身体もすでにこの空間に深くからめとられている。一方新如は僧侶となるべく間もなくこの俗塵の地を去らねばならない。それぞれに「大黒屋の」「龍華寺の」との称号を背負って登場していることからも明らかなように、彼らが現在そして将来も所属すべき場所はすでに決定されているのであって、二人の住む世界は永遠に交わらないのである。それを象徴するのが、雨の日の大黒屋の寮の格子戸の場面である。あたかも芝居の一場面を思わせるような画面の切り取り方、終始無言のうちに展開される二人の言葉にできない内面の逡巡、そして雨のなかに取り残される紅の端切れ。このもっとも印象的な美しい場面で示されているのは、しかし二人の住む世界は決して交わらない、ということなのだ。二人を隔てる格子戸は、まさに「何うでも明けられぬ門」であった。
美登利はある日を境に、別人のように変わってしまった。美登利に何が起こったのか、初潮を迎えたのか、それとも何らかの形で身を売るに近いことがひそかに行われたのか、語り手ははっきりとは明かしていない。だが明らかなのは、彼女にとって大人になることがすなわち遊女となること、自らの性を切り売りして生きていくその決定の時を意味することである。一葉は『たけくらべ』の執筆と並行して、『ゆく雲』『にごりえ』『十三夜』『わかれ道』といった代表作の数々を書いた。「ゑゝ厭や/\、大人に成るは厭やな事」という美登利の嘆きは、これからの計り知れない未来の時間を、性的存在としてのみ生きていかねばならない一人の少女の、言葉として発せられることのない思いであった。そしてその美登利の姿は、他の作品に登場する多くの女性たちの原点とも言うべきものなのである。
ある霜の朝、新如は水仙の作り花を残してこの町を去って行く。だが吉原の格子戸の中にからめとられた美登利は、どこへも行くことはできない。水仙の「淋しく清き姿」に見入る美登利の背後に吉原の闇があることを、語り手の視線は確かにとらえている。その非情と豊かな抒情の拮抗するところに『たけくらべ』の世界はあるのである。

文庫版について
現在、新刊で流通している『たけくらべ』の文庫版は、岩波と新潮から出ています。
岩波文庫

にごりえ・たけくらべ (岩波文庫 緑25-1)

にごりえ・たけくらべ (岩波文庫 緑25-1)

  • 作者:樋口一葉
  • 発売日: 1999/05/17
  • メディア: 文庫
初版は、何と1927年7月。
岩波文庫の創刊と同時です。
現在出回っているのは、1999年の改版。
にごりえ」「たけくらべ」の2篇を収録。
「注」と「解説」は菅聡子氏。
新潮文庫
初版は昭和24年。
にごりえ」「十三夜」「たけくらべ」「大つごもり」「ゆく雲」「うつせみ」「われから」「わかれ道」の8篇を収録。
「注解・解説」は三好行雄氏。
【参考文献】
たけくらべ 現代語訳・樋口一葉 (河出文庫)松浦理英子藤沢周阿部和重井辻朱美、篠原一・訳
一葉の「たけくらべ」 ビギナーズ・クラシックス 近代文学編 (角川ソフィア文庫)角川書店・編
たけくらべ (集英社文庫)
詳説日本史B 改訂版 [日B309] 文部科学省検定済教科書 【81山川/日B309】笹山晴生佐藤信五味文彦、高埜利彦・著(山川出版社
精選日本文学史』(明治書院
田村の〈本音で迫る文学史〉 (受験面白参考書)』田村秀行・著(大和書房)
たけくらべ - Wikipedia