日本近代文学を文庫で読む(第6回)『にごりえ』

今回は、樋口一葉の『にごりえ』を取り上げます。
こちらも文語体なので、読んだことがあるという人はそんなにいないのではないでしょうか。
かく言う僕も、高校生くらいの頃には読んでみようとすら思わず、最近になってようやく読みました。
しかしながら、これが難物でした。
文語体の近代小説でも、『金色夜叉』のような漢文訓読調なら読み易いのですが、一葉の文体は、『源氏物語』のような和文です。
主語の省略が著しく、部分は分かっても、全体の流れが分かりません。
日本の近代文学の代表作を一通り読んでみたいと思って始めたこの企画ですが、お手上げなので、河出文庫から出ている現代語訳を読みました。
これで、ようやく内容が把握出来ました。
この本は、残念ながら絶版になっています。
僕はアマゾンの中古で買いました。
アマゾンのレビューでは、「統一感を持たせた真面目な現代語訳ではなく、一葉を読んだことすらない人間を含む個々の訳者に、各編を自由に担当させた、ぐちゃぐちゃな内容です」と酷評されています。
確かに、きちんと原文から直訳した文ではなく、作者の色が出過ぎている面はあるかも知れません。
ただ、とりあえず、原文では難解な一葉の作品の内容を知るには、こういった形もありではないでしょうか。
気になれば、また原文に戻れば良いのですから。
この本の「訳者後書き」に、『にごりえ』の訳を担当した伊藤比呂美氏が、一葉の原文が読みにくい理由を挙げていて、それが非常に的確だと思うので、引用してみます。

題名が、どれもこれも古いことばで、ひらがなをただ並べただけのような印象で(にごりえ、うつせみ、われから、大つごもり………)、クロスワードパズルやってるような感じで、意味の把握という点では、あいまいな気持ちにさせられてしまうのである。その、意味があるんだかないんだかといったあいまいさは、本文にもひきつづく。
本文は文語体である。旧かなづかひである。マルがなくてテンでつながっている。テンでつながったまま、行かえなしで、えんえんとつづいている。
主語が、あたしたちの感覚からすれば、必要以上に省略されている。そのくせ会話がおおいのである。でも会話にはカギカッコが使われていないのである。その上カギカッコがないから、会話にいちいち「といふ」「といふ」ということばがはさまってくる。「といつた」は使われず、動詞という動詞はほとんど現在形、などという西洋語の文法の概念をふりまわしてなんになる。ともかく合の手のような「といふ」「といふ」が、語りみたいな効果をうむのであるが、耳できく語りの聞きやすさとはちがって、目で、書いた文字で読む語りというのは、じつに読みにくいものなのだ。
会話は、あたしたちとあまりかわらない口語の日本語である。それなのに、少しずつことばの使い方はずれている。文法的なまちがいはないのに、ちょっと奇妙にきこえる。調子の悪いコードレス電話でしゃべっているような感じがする。

女たちの着ているものや髪型、どんな着物にどんな帯、それをどのように着こなしてと、くだくだしく説明してあるところ。呉服屋のジャルゴンを使われてるような感じで、わけがわからないから、共感もできない。階級や年齢によって着るものがきまっていた時代だからか、だから着てるものの説明がその女をえがくのに重要なのか、一葉が個人的にそういう描写がすきだったのか。

にごりえ』はお盆の前後のはなしで、あちこちに、お盆の関連用語がちりばめてある。ところが閻魔様から、鬼、悪魔、魔王とくると、もはや現代の耳には、お盆の関連語じゃないみたいに聞こえる。魔王といえばモーツァルトだし、悪魔といえばキリスト教で、どうも印象がちぐはぐだ。でも、辞書をひいてみたら、そのどれにも、もともと仏教用語とかいてある。

敬語も複雑である。あたしたちは、今、こんなに敬語は使わない。敬語を使わなくちゃいけない相手がいないのである。ここでは、娼婦が客に使う。妻が夫に使う。女が男に使う。

地は、文語体である。しかし、一葉の文語は、石炭をばはや積み果てつのような、西洋語からの直訳文語とはわけがちがう。語り手がいったいどこにいるのか、ときどき、はっきりしなくなる。ゆらゆら動いて入れかわることもあるし、ななめ上の方に、だれかもうちょっとスーパーな存在が居すわって、語り手がそっちの方をちらちら見返りながら語っていくこともある。この、ななめ上の空間からいつも語り手を見はっている存在は、明治以前にかかれたものには、ちょくちょく出てくる。あれはいったいだれなのか。

このように難解な『にごりえ』ですが、当然ながら、高校日本史の教科書にも載っています。
例えば、僕の手元にある『詳説日本史』(山川出版社)には、第9章「近代国家の成立」の「おもな文学作品」という一覧表の中です。
一葉については、本文中に、次のように書かれています。

底辺の女性たちの悲哀を数篇の小説に描いた樋口一葉も、ロマン主義の運動の影響下にあった。

『精選日本文学史 改訂版』の脚注には、次のようにあります。

樋口一葉 明治五(一八七二)年―明治二十九(一八九六)年。歌人・小説家。東京都生まれ。本名は奈津。中島歌子の萩の舎塾で歌を学び、半井桃水に小説の指導を受ける。

また、同書の本文には、次のようにあります。

はやく露伴に学んで作家となったのが樋口一葉である。『たけくらべ』『十三夜』『にごりえ』などの名作を生んだ。旧時代のしがらみの中で悲運に泣く女性を描いて傑出した才能を見せた。その流麗な雅俗折衷の文章によって写し出された微妙な心理や浪漫的詩情は、時代を越えてこの女流作家の名を高からしめている。極貧の中での日常や揺れる内面を伝える日記が、また優れた日記文学になっている。

『田村の[本音で迫る文学史]』(大和書房)でも、一葉について述べられているので、そちらも引用しておきます。

樋口一葉は、近代日本文学に初めて名を残す女性作家であるが、武士の誇り・男性的教養・貧窮生活といった要素を自身の内に持って、社会の中で虐げられる女性の立場を描いた作品を残し、やはり二十四歳の若さで世を去った。『にごりえ』『十三夜』『たけくらべ』などの作品は、社会の仕組みゆえに女性達が不幸になる様を描いており、後の女性作家たちのように世の仕組みそのものに挑戦するという面のないところが、まだ日清・日露戦争前の時代の小説として特徴的である。文体は、美文的な擬古文である。

前回も書きましたが、上の引用の中に「文体は、美文的な擬古文である」とありますが、本文の引用はありません。
これでは、本当に一葉の文体が美文的かどうかは分からないでしょう。
受験対策の虚しさです。
高校生の時は名前だけ覚えるにしても、大学に入ったら、出来るだけたくさんの文学作品を読むべきだと思います。
と偉そうに言っている僕は、学生時代は、映画ばかり観て、ロクに本は読まずに過ごしてしまったのですが。
樋口一葉について
さて、一葉の略歴について、岩波文庫版の「解説」をもとに、少し詳しく述べておきましょう。
樋口一葉は、明治5(1872)年3月25日(太陽暦では5月2日)、東京府の内幸町に父則義・母たきの次女として生まれました。
幼い時から読書に夢中になり、学問を好んでいたが、母たきの意見で学校教育を諦めなければならなくなります。
一葉の最終学歴は青海学校小学高等科第四級卒業というものです。
一葉が初めて明確に文学の道を歩み始めるのは、中島歌子の主宰する歌塾萩の舎に入門した時でした。
明治19年、一葉は14歳です。
萩の舎への入門は、作家一葉の誕生において大きな意味を持っています。
まず挙げるべきは、一葉の小説文体形成への影響です。
萩の舎では、和歌の教授のほかに、『源氏物語』などの日本古典の講義も行われていました。
一葉の文学的教養基盤は、彼女自身の読書と萩の舎での日本古典の摂取に多くを負っており、西洋文化キリスト教思想の影響を強く受けていた同時代の女性作家達とは対照的です。
さらに、作家一葉の誕生に具体的に関わったという点で、若き女性作家・三宅花圃の存在を看過することは出来ません。
一葉が作家の道を志した時、まず具体的な目標としたのは花圃でした。
一葉の初期作品には、花圃の影響が看取されます。
一葉は長兄泉太郎の夭折・父則義の病没などによって、樋口家の相続戸主となりました。
既に、姉ふじは他家に嫁ぎ、次兄虎之助は分籍されていたため、母たきと妹邦子の生活は全て戸主一葉の責任となったのです。
父則義が事業に失敗したため、樋口家は没落の一途をたどっており、貧窮の中で一葉達の前には安定した収入の道はありませんでした。
この時、一様は小説を書くことを選択したのです。
小説家となることを志した一葉は、明治24年、妹邦子の友人野々宮菊子の紹介で、当時「東京朝日新聞」の小説および雑報記者であった半井桃水に弟子入りしました。
親身になって一葉に助言・援助を与えてくれた桃水は、雑誌「武蔵野」を創刊し、一葉はその第1篇に第1作『闇桜』(明治25年3月)を掲載することが出来たのです。
明治25年、時に一葉は二十歳でした。
しかし、この頃、桃水との関係が萩の舎で醜聞として噂され、中島歌子や友人伊東夏子から忠告を受けた一葉は、桃水との交際を絶つことを決意します。
小説発表のつてを失った一葉に、三宅花圃は有力な文学雑誌であった「都の花」を紹介してくれました。
同雑誌に発表した『うもれ木』(明治25年11月)に注目した星野天如が「文学界」への寄稿を求め、一葉と「文学界」との関係が生じます。
作家的成熟に伴い、一葉の内面の苦悩・葛藤はより切迫したものとなっていました。
一方、生活は日に日に困窮を極めています。
この難局を打開するべく、一葉は文学を捨てて、商売を始める決意をしたのです。
明治26年7月20日、一葉は母たき・妹邦子とともに下谷龍泉寺町に転居し、小さな駄菓子屋を開きました。
当時の龍泉寺町は、吉原遊廓に寄生する廓者たちが軒の傾いた長屋にひしめく場所でした。
ここで一葉が目にした、女性たちが身を売る吉原遊廓という闇の空間、その場所に経済的に依存する周辺の町の人々の生活などが、作家としての彼女の社会認識を深化させ、後に「奇跡の十四か月」と呼ばれる創作の充実期をもたらすことになるのです。
明治27年5月、商売を廃業して本郷の丸山福山町に転居した一葉は、再び書くことへと向かいました。
明治27年12月に「文学界」に掲載した『大つごもり』を幕開けとして、一葉は近代文学史上に残る傑作の数々をほぼ1年あまりの間に集中的に執筆します。
どの作品も、それまで描かれえなかった明治近代の抑圧の中を生きる女性たちの姿を、所属する社会的な階層を越えて描き出したものでした。
そして、明治29年11月23日、一葉は結核のため、わずか24歳でその生を終えました。
にごりえ』について
にごりえ』は、明治28年9月、雑誌「文芸倶楽部」第一巻第九編に掲載されました。
発表当時から評判が高く、例えば、田岡嶺雲は、「一葉女史の『にごりえ』」(「明治評論」明治28年12月)で、その社会性を高く評価しています。
それでは、ここで、『にごりえ』のあらすじを、簡潔にまとめているウィキペディアから引用しておきましょう。

丸山福山町の銘酒屋街に住むお力。
お力は上客の結城朝之助に気に入られるが、それ以前に馴染みになった客源七がいた。
源七は蒲団屋を営んでいたが、お力に入れ込んだことで没落し、今は妻子ともども長屋での苦しい生活をおくっている。
しかし、それでもお力への未練を断ち切れずにいた。
ある日朝之助が店にやって来た。
お力は酒に酔って身の上話を始めるが、朝之助はお力に出世を望むなと言う。
一方源七は仕事もままならなくなり、家計は妻の内職に頼るばかりになっていた。
そんななか、子どもがお力から高価な菓子を貰ったことをきっかけに、それを嘆く妻と諍いになり、ついに源七は妻子とも別れてしまう。
お力は源七の刃によって、無理とも合意とも知らない心中の片割れとなって死ぬ。

不幸の多重奏です。
身につまされます。
商売女に入れあげて、転落する男。
現代で言うなら、キャバクラにハマってカード破産するようなものですね。
僕の学生時代の友人が、ソープ嬢に本気になっていました。
もちろん、相手は彼のことを客としか見ていないのですが、純情な彼にはそのことが分かりません。
僕は何度も「やめておいた方がいい」と言ったのですが。
カネの切れ目が縁の切れ目で、転落した男に商売女はもう用がありません。
それでも、男の方は未練タラタラ。
腑抜けのようになってしまい、仕事をする気もおきません。
妻子もいるのに。
おかげで、家族は貧乏暮らし。
奥さんが、いい加減に商売女のことは忘れてくれと諭すと、逆ギレ。
「出て行け!」と怒鳴り付けます。
もうね、奥さんが不憫で不憫で。
ここが明治時代の女性の立場の弱さで、奥さんが一度は「追い出されても行く所がありませんから」と謝りますが、もはや全く聞く耳を持たない旦那。
奥さんが幼い息子を連れて出て行っても、追い掛けようともしません。
そうして、最後は自分をこんな境遇にした商売女を恨んで殺し、自分も死ぬという。
現代でもありそうな話しです。
人間の業というか、性(さが)というものは、時代を経ても、変わらないものなんだなと感じさせられます。
岩波文庫版の「解説」が非常に簡潔にまとまっているので、そこから重要そうな箇所を引いておきましょう。

にごりえ』は、一葉作品のなかでも最も難解な作品とされる。その最大の原因は、ヒロインお力の設定にある。銘酒屋菊の井のお力は、「物思ふ」酌婦として描かれている。だがそのお力の物思いの内容が、明確に読者の前に示されることはない。それはお力自身が、自分が内面に抱える混沌を言語化することができないでいるからである。

お力の物思いの内実を<語ること>へ向かわせるべく登場するのが、新開地の銘酒屋には不釣り合いな上等の客結城朝之助である。「履歴をはなして聞かせよ」「真実の処を聞かしてくれ」という朝之助の再三の勧めに促されてお力が語った七歳の冬の思い出は、お力の<にごりえ>の生の原点をなすものである。だがそれに対して朝之助は、「お前は出世をのぞむな」「思ひ切つてやれ/\」と、酌婦としてのお力にふさわしい意味づけを行う。酌婦という境涯とは無関係に、一人の人間としていわば生存の不安をかかえているお力の内面は、やはり理解されることはなかった。この時お力は再び沈黙の中へと閉じこもっていかざるを得ない。
にごりえ』には二つの境遇の女性たちが登場する。酌婦、内実は私娼としてわが身を切り売りする女性たちと、妻・母として家庭の維持・存続をまかされ、家父長制度の内部を生きる女性たちである。菊の井の売れっ子酌婦お力は前者の代表であり、お力にいれあげたあげく落ちぶれてしまった源七の妻お初は後者の代表である。一見二つの境遇の女性たちの間には、はっきりとした境界線が存在するかのように見える。だが、母にして酌婦というお力の酌婦仲間の姿が描かれることによって、両者の間の境界はたやすく無化されてしまう。事実、身寄りもなく幼い息子太吉をかかえたお初が、源七から離縁されて生きていくすべは、自ら身を売る境涯へと落ちていく以外にはない。これもまた<にごりえ>の生の形であった。
お力の死に、語り手は自らは何ら説明を加えていない。彼女の死は、町の人々の噂に取り囲まれ、さまざまに語られている。最後まで酌婦お力は自ら語る存在ではなく、語られ、解釈され、意味を付与される存在であった。それが、社会の<にごりえ>を生きた一人の女性の生と死が象徴するものなのである。

文庫版について
現在、新刊で流通している『にごりえ』の文庫版は、岩波と新潮から出ています。
岩波文庫

にごりえ・たけくらべ (岩波文庫 緑25-1)

にごりえ・たけくらべ (岩波文庫 緑25-1)

初版は、何と1927年7月。
岩波文庫の創刊と同時です。
現在出回っているのは、1999年の改版。
にごりえ」「たけくらべ」の2篇を収録。
「注」と「解説」は菅聡子氏。
新潮文庫
にごりえ・たけくらべ (新潮文庫)

にごりえ・たけくらべ (新潮文庫)

  • 作者:樋口 一葉
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2003/01
  • メディア: 文庫
初版は昭和24年。
にごりえ」「十三夜」「たけくらべ」「大つごもり」「ゆく雲」「うつせみ」「われから」「わかれ道」の8篇を収録。
「注解・解説」は三好行雄氏。
【参考文献】
にごりえ 現代語訳・樋口一葉 (河出文庫)伊藤比呂美島田雅彦多和田葉子角田光代・訳
詳説日本史B 改訂版 [日B309] 文部科学省検定済教科書 【81山川/日B309】笹山晴生佐藤信五味文彦、高埜利彦・著(山川出版社
精選日本文学史』(明治書院
田村の〈本音で迫る文学史〉 (受験面白参考書)』田村秀行・著(大和書房)
にごりえ - Wikipedia