連休中は、ブルーレイで『モダン・タイムス』を見た。
1936年のアメリカ映画。監督・製作・脚本・音楽・主演は、『キッド』『巴里の女性』『黄金狂時代』『サーカス』『街の灯』の大スター、チャールズ・チャップリン。
音楽は、『怒りの葡萄』『わが谷は緑なりき』『荒野の決闘』『頭上の敵機』『イヴの総て』『七年目の浮気』『王様と私』『西部開拓史』『大空港』の巨匠アルフレッド・ニューマン。
共演は、『キッド』『巴里の女性』『黄金狂時代』『サーカス』『街の灯』のヘンリー・バーグマン、『黄金狂時代』『サーカス』『街の灯』のアラン・ガルシア、『街の灯』のハンク・マン、『黄金狂時代』『サーカス』『西部戦線異状なし』のへイニー・コンクリン、『黄金狂時代』『サーカス』『街の灯』のジョン・ランド。
僕が最初に本作を見たのは、確か小学生の頃。
当時、祝日の午前中にはNHK教育テレビでモノクロの名作映画を放映しており、たまたまテレビをつけたら、『モダン・タイムス』であった。
工場の自動給食マシーンのシーンで大笑いした記憶がある。
その次は、多分、そんなに時間が経ってないと思うが、テレビの『日曜洋画劇場』で見たと思う。
淀川さんが、「『ティティナ』で初めてチャップリンが自分の声で歌うんですね。キレイな声ですね」と言っていたのを覚えている。
その後は、いつ、何回見たかは覚えていない。
そんなに何度も繰り返し見た訳ではないが、好きな映画の一つだ。
細君が、「前にウチでDVDで見た」と言っているから、結婚した後にも見ているんだな。
今回、久し振りに見返したのだが、鋭い社会批評や、時代を先取りしたような描写もたくさんあり、やはり、チャップリンには先見の明があったのだろう。
陳腐過ぎてイヤになるが、名作は時代を超えるんだな(ああ、陳腐過ぎてイヤになる)。
モノクロ、スタンダード・サイズ。
画質は良い。
悲壮な音楽から始まる。
「現代(モダン・タイムス)―巨大産業の時代に個人の幸福を求める物語」
羊の群れ、工場に向かう労働者の群れ。
社長室でジグソーパズルをする社長。
工場の様子をモニターで見ている。
現代では当たり前だが、この時代にモニターなどあるはずもなく、近未来の設定でもないと思うので、この辺から時代を先取りしている。
現代は、85年前とは大違いの超監視社会だ。
「第5班、スピードを上げろ」と社長が命令すると、ベルトコンベアーのスピードが速くなる。
コンベアーを流れて来る製品のナットをひたすら締め続ける工員(チャールズ・チャップリン)。
なお、本作は既にトーキーが主流の時代に、サイレント映画風に作られているので、チャップリンのセリフはない。
ナットを締めるのが追い付かず、隣の労働者とケンカになる。
コンベアを止めて交代しても、チャップリンの腕のナットを締める動作が止まらない。
チャップリンが一服していると、巨大なモニターから社長が「仕事しろ!」と一括。
社長室に自動給食マシーンのモデルが持ち込まれる。
昼食時間不要で、作業の能率を上げるとメーカー(?)の連中が説明している。
昨今は労働組合が形骸化して、ネトウヨや維チンのヤツらは諸悪の根源のように叩くが、こういうのを見ると、産業革命以降、如何に労働者の権利を守るために先人達が闘って来たかが分かる。
「ランチ・タイム」
コンベアが止まる。
チャップリンの動きは止まらない。
社長がやって来て、チャップリンが自動給食マシーンの実験台にされる。
トウモロコシが自動的に回転する機械が故障し、止まらなくなる。
「もう一度スープから始めよう」
スープ供給マシーンが壊れて、チャップリンの顔面にスープをぶっかける。
今度は、外れたナットを食わされるチャップリン。
社長が「だめだ、実用にならん」。
「そして午後も遅くなって…」
第5班、全力、スピードアップ。
「イカれてる!」
チャップリンがベルト・コンベアーに巻き込まれる。
巨大な歯車の間を移動して行くチャップリン。
逆回転して戻って来る。
この辺の工場のセットのデザインも秀逸で、ちょっとフリッツ・ラングの『メトロポリス』を思い出す。
ナット型のボタンを着けた社長秘書を追い掛けるチャップリン。
今度は外に飛び出し、やはりナット型のボタンを着けた夫人を追い掛ける。
変質者扱いされ、今度は警官に追い掛けられる。
工場に戻り、勝手に巨大な機械を動かすチャップリン。
爆発。
社長がコントロール不能になる。
工場中を飛び跳ねるチャップリン。
まるで赤塚不二夫のマンガのようだ。
当然、赤塚不二夫はチャップリンを参考にしたのだろう。
『街の灯』のオマージュを描いているくらいだからな。
救急車が呼ばれ、載せられるチャップリン。
要するに、チャップリンは精神的におかしくなったとみなされたんだな。
「ショックからは回復したが職がなく、退院して新しい人生をふみ出す」
病院で、医者が「無理をしないで刺激をさけて」とチャップリンに告げる。
チャップリンが元の工場に戻ってみると、休業している。
トラックの荷台に積んであった赤旗が道路に落ち、それをチャップリンが拾ったところにデモ隊がやって来る。
いつの間にか先頭にいるチャップリン。
「お前がリーダーだな」警官に連行される。
しかし、ここまでに見て来たような悲惨な労働環境の中で、労働者が団結して抗議するというのは人間として当然のことなのに、それを犯罪者扱いして拘束するとは。
権力者側が如何に非人道的であるかが分かる。
昨今のコロナ騒動でも、国家権力は国民に無理難題を押し付けているが、どうして誰も抗議しないのか。
日本人はお上に従順過ぎる。
今度は、もう一人の主役が紹介される。
「港をウロついている娘 飢えをふせぐ手はひとつ」
船の積み荷のバナナの束をちぎって、片っ端から子供達に投げる浮浪少女(ポーレット・ゴダード)。
見付かって、追い掛けられる。
「幼い妹たち 母はいない」
自分の家に帰って来て、幼い妹達に盗って来たバナナを分け与えるポーレット。
「父親は失業中」
バナナを父に渡す娘。
大恐慌以降も失業・貧困が常態化しているアメリカの実態だな。
労働者階級は、職をなくすと、直ちに生きて行けなくなる。
昨今のコロナ騒動でも、失業・倒産を経験した人はたくさんいる。
大金持ちのAss Hole副総理には、そういう庶民の苦しみは全く分からないんだな。
ネトウヨは何でこんなのを応援しているのか。
再び、チャップリン。
「共産党のリーダーとして捕えられ、罪なくして拘置所へ」
しかし、そもそもどうして共産党が罪なのか。
労働者から搾取している資本家と闘って、労働者の政権を作ろうというのは、人間として当然に考えることだろう。
もちろん、それが国家権力側にとっては脅威なのだが。
現代の日本でも、未だに共産党を不当に叩く連中がいる。
「共産党は暴力革命を目指している」と言った弁護士とか。
一体いつの時代の話しだ?
僕は共産主義者ではないけれども、共産党の主張自体は、正しいことも多いと思っている。
世の中、普通に生きるには余りにも不公平だ。
人間が幸せに生きる権利を求めるのは、そんなにいけないことなのか?
いかん、今回はどんどん話しが逸れる。
で、チャップリンは拘置所でイカつい男と同室になる。
こいつとはソリが合わない。
点呼。
食事の時間、隣の席の男とパンの取り合い。
「持ちこまれた『覚醒剤』の捜索」
チャップリンの反対隣の男が白い粉を調味料のビンに入れる。
男が連行される。
チャップリンは何も知らずに、白い粉を食事にかける。
ハイになる。
フラフラしてさまようチャップリンは、房に戻る時間になっても、一人だけ入りそびれる。
そこへ、脱獄囚がやって来て、看守を牢に閉じ込める。
チャップリンが戻って来て、脱獄囚に発砲される。
脱獄囚をドアにぶつけてノックダウンし、カギを開けて看守を解放するチャップリン。
「その頃、街頭では失業者が騒いでいる」
再び、ポーレット。
港で屑木材を拾う娘達。
デモ隊が発砲され、労働者が倒れる。
撃たれたのはポーレットの父親。
泣き崩れるポーレット。
ヒドイ話しだ。
圧政に抗議する罪もない庶民を、国家権力はまるで虫けらのようにひねりつぶすのである。
『戦艦ポチョムキン』なら、直ちに労働者の蜂起になるところだ。
「行政の手が孤児たちを保護する」
って、誰のせいで孤児になったと思っているんだ!
「連れて行きたまえ」
家で泣いている娘達。
ポーレットは逃げる。
「もう一人の娘は?」
再び、チャップリンの話し。
「居心地のよい監房で幸せにひたって」
チャップリンが読んでいる新聞の見出しは「ストライキと暴動」。
チャップリンは、先の脱獄囚から看取を救った件で、模範囚として出獄を許される。
「7号を連れてこい」
「牧師夫妻が毎週の慰問に訪れる」
冷たい顔をした牧師夫人とチャップリンがソファーで隣になるが、気まずい。
優雅にワンコをなでながら紅茶をすすり、囚人には一瞥もしない夫人は、慰問とは言え、下々の者には興味がないらしい。
「君は自由の身になった」と刑務所長から告げられるチャップリン。
「もう少しいられませんか。ここにいると幸せです」
「この手紙で仕事がもらえる。頑張りなさい」
まあ、平たく言うと、紙切れ一枚で放り出された訳だ。
造船所へ。
「こんなクサビを探して来い」と上役に言われたチャップリン。
見付からず、造り掛けの船を止めてあったクサビを外してしまう。
進水する巨大な船体。
呆然とする一同。
このシーンはほんの一瞬だが、かなり巨大なセットを作ったと思われる。
CGのない時代に、このシーンの一瞬の笑いのために、相当なぜいたくをしている。
さすが、天下の喜劇王だ。
志村けんの追悼番組で、笑いのために一切妥協しないドリフの姿勢を紹介していたが。
チャップリンから学んだんだろう。
昨今は、お笑い芸人も小粒になったから、こういう大掛かりな笑いを取るのは不可能だろうな。
「拘置所に戻る決心をして」
再び、ポーレット。
「一人ぼっちで飢えて」
ポーレットがパン屋でパンを盗む。
通り掛かった婦人が見ている。
パン屋に捕まる。
逃げたポーレットは、歩道の上でチャップリンとぶつかる。
警官がやって来る。
「この娘がパンを盗んだんです」
しかし、チャップリンは、「この娘じゃない。私です」と言って、身代わりになる。
連行されるチャップリン。
例の婦人が跳んで来る。
「この娘よ。あの男じゃないわ」
チャップリンは取り残され、カフェテリアへ。
ポーレットは捕まる。
カフェテリアで大量に飲食したチャップリンは、レジでカネを払わず、無銭飲食で警官を呼ぶ。
さらに、葉巻き屋の前で、警官の目を盗んで高級葉巻きをタダ吸い。
よく、刑務所に入りたいと言って、犯罪をおかす人がいる。
犯罪はいけないことだ。
だが、こういう娑婆世界の苦しい状況では、刑務所の中にいた方が、三食保証されているし、楽だという気持ちは理解出来る。
もちろん、現実世界がそういう状況なのは健全ではないが。
で、チャップリンは連行される。
護送車にポーレットも乗って来る。
「ぼくを覚えてる? あのパンを」
泣くポーレット。
チャップリンとポーレットは、二人して護送車から飛び降りる。
車が横転。
警官が路上で二人の横に倒れている。
「今のうちに逃げるんだ」
ポーレットと一緒に逃げるチャップリン。
一緒に歩く。
民家の庭の草地で休憩。
「家はどこ?」
「どこにもないの」
その民家に住んでいる夫婦は、幸せそうな中流家庭である。
出掛ける夫を見送る若い妻。
「ぼくたちにあんな家があるといいね」
そこから、ポーレットと一緒に幸せに暮らす生活を妄想するチャップリン。
さあ、これからどうなる?
後半、チャップリンが夜中のデパートの店内で目隠しをしたままローラースケートを滑りまくるシーンがあるが。
手すりもない吹き抜けのスレスレの所で滑っていて、正に身体を張っている。
チャップリンの身のこなしの軽さは本当にスゴイ。
チャップリンは、パントマイムだけで分からせようとする。
やはり、サイレント映画出身の役者なのだろう。
有名な「ティティナ」の歌も、歌詞の意味は全く分からないが(チャップリンが作ったインチキ外国語らしい)、何となく雰囲気は伝わる。
そして、メロディーが素晴らしい。
小学生の時にテレビの洋画劇場で見て、聴いたのが、未だに耳に鮮明に残っている。
それから、上にも書いたが、本作はセットがスゴイ。
詳しくは分からないが、ものすごく大掛かりで、カネが掛かっていると思う。
チャップリンは、本作で「共産主義者」のレッテルを貼られてしまう。
まあ、しかし、共産主義を目指した人類の壮大な実験は失敗したけれども、それは運用が間違っていたからだ。
もっとも、人間は権力を握ると間違える生き物であるが。
僕は『共産党宣言』を読んだが、マルクス自体は、そんなに間違ったことは言っていない。
当時の過酷な労働者の状況では、労働者が団結すべきというのは当然の発想だろう。
いや、今だってそうだ。
日本の労働者階級は、もっと国家権力に対して文句を言うべきである。
まあ、いいや。
また同じ話しの繰り返しになる。
本作の後半には、「浮浪罪」というのが出て来る。
昔の日本にもあったらしいが。
失業してホームレスになった人は、それだけで罪なのか。
むしろ、被害者じゃないか。
本作は、社会風刺的な側面が強いから、公開された当時は、結構散々な評価だったらしいが、やっぱり名作だと思う。
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