『わが谷は緑なりき』

この週末は、ブルーレイで『わが谷は緑なりき』を再見した。

1941年のアメリカ映画。
この年のアカデミー賞では、あの『市民ケーン』と争った。
監督は、『荒野の決闘』『西部開拓史』の巨匠ジョン・フォード
製作は、『イヴの総て』『史上最大の作戦』『トラ・トラ・トラ!』の大プロデューサー、ダリル・F・ザナック
音楽は、『荒野の決闘』『イヴの総て』『七年目の浮気』『西部開拓史』『大空港』のアルフレッド・ニューマン
美術は、『波止場』『トラ・トラ・トラ!』のリチャード・デイ、『地球へ2千万マイル』『シンドバッド七回目の航海』(いずれも監督)のネイサン・ジュラン。
主演はウォルター・ピジョンモーリン・オハラ
共演は、『史上最大の作戦』『クレオパトラ』『猿の惑星』『新・猿の惑星』『猿の惑星・征服』『ポセイドン・アドベンチャー』『最後の猿の惑星』『ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー』『地中海殺人事件』のロディ・マクドウォール
子役なので、クレジットは5番目だが、実質は彼が主役である。
他に、『サウンド・オブ・ミュージック』のアンナ・リー
20世紀フォックス
モノクロ、スタンダード・サイズ。
画質は良い(特典映像の予告編とは比較にならない)。
タイトル・バックは労働者の合唱。
母のショールに荷物を包み、50年いた家を出ようとしている私。
思い出、友の死。
本作は、実質的な主役のヒュー・モーガンロディ・マクドウォール)の回想で進められる。
舞台はウェールズの美しい谷、炭鉱の町・ロンダ。
かつて、谷は緑だった。
ヒューの家は、父ギルム(ドナルド・クリスプ)を始め、5人の兄達が皆、炭鉱で働いていた。
労働者は炭鉱から町までの道を、集団で歌いながら歩く。
これが、まるでグリー・クラブのような、ハモリのある合唱である。
家に帰り、身体を洗う。
炭鉱労働者の誇り。
食事の前のお祈りも大事。
僕は父から小遣いをもらい、通りの向こうのお菓子屋へ行くのが楽しみだった。
物語は全編、ヒューのナレーションと共に、エピソードを積み重ねて淡々と進む。
最初は、あらすじを見ているようだとも思ったが、進んで行く内に、これが味になる。
若い娘ブローウィンアンナ・リー)が家を訪ねて来る。
長兄イヴォール(パトリック・ノウルズ)に嫁入りするためであった。
結婚式。
大学を出たての牧師グリュフィールド(ウォルター・ピジョン)が家を訪ねて来る。
ウォルター・ピジョンは当時、40歳を過ぎているから、どう見ても大学出たてには見えない。
ヒューの姉アンハード(モーリン・オハラ)と引かれ合う。
炭鉱に日当減額の告知が貼り出された。
不穏な空気。
近くの町の鉄工所が閉鎖され、失業者が大量に流れ込んで来たため、賃金が下がったのである。
兄達は賃金交渉のために組合を作ろうと立ち上がる。
本作は、労働者の映画だ。
しかし、保守的な旧世代の父は、「社会主義者か!」と猛反対し、兄達と対立する。
兄達は家を出て行く。
男の兄弟では、僕一人が家に残される。
炭鉱ではストライキが行なわれた。
22週にも及び、人心は荒廃する。
空腹と絶望。
労働者達にとって、同士でない者は敵であった。
組合の結成に反対していた父は、彼らから眼の敵にされる。
家に投石されたりもする。
ある吹雪の夜、丘で集会が開かれた。
母ベス(サラ・オールグッド)は、ギルムを擁護するため、集会に出掛けて、大演説をブチ上げる。
帰りに、母と僕は冷たい川の中に落ちる。
周囲の人達に助け出され、何とか帰宅する母と僕。
翌日、アル中の医者が診察にやって来て、重度の凍傷なので、ヒューは再び歩けるようになるか分からないと告げる。
落ち込む僕を、グリュフィールドが励ます。
僕は病床で『宝島』を愛読する。
他にも、ベッドの傍には、ディケンズの『ピクウィック・ペーパーズ』や、ウォルター・スコットの『アイヴァンホー』、ボズウェルの『サミュエル・ジョンソン伝』等が置かれている。
僕は、読書をする聡明な人間だと言いたいのだろう。
これは、後半への伏線。
しばらくは、母も寝たきりであった。
春が来る(Spring has come)。
母はようやく歩けるようになった。
労働者達が家にお見舞いに来る。
兄達も帰って来る。
母は、皆を招いて、「家で食事を」と言う。
グリュフィールドは、集まった労働者達に「組合を作れ」と告げる。
ストはグリュフィールドとギルムの力で解決した。
だが、職にあぶれる者も出た。
二人の兄がアメリカへ行くと言い出す。
そんな中でも、宗教心の篤い父は、聖書を読む。
ウィンザー城から、長兄イヴォール・モーガンに手紙が届く。
「女王陛下の御前で合唱を」というのだ。
一方、グリュフィールドは僕を背負って、水仙の花を摘みに出掛ける。
「歩いてごらん」というグリュフィールドの言葉に、僕は勇気を持って一歩を踏み出し、歩くことが出来た。
教会で助祭が、不貞で子供を産んだメイリンという女性を断罪する。
その様子を見ていたアンハードは、「彼女だって苦しいのに!」と怒って、その場を飛び出す。
その頃、炭鉱主が父を訪ねて来た。
早い話しが、「息子にお宅の娘を寄越せ」というのであった。
然る後に息子がやって来る。
これが、とんでもない不遜な輩であった。
グリュフィールドを想うアンハードは、彼の家を訪ねる。
グリュフィールドは、彼女を愛するが故に、不安定な牧師という職に、彼女を道連れに出来ないと告げる。
お互いに愛し合う二人は、最後の口づけを交わす。
結局、アンハードは、炭鉱主のドラ息子に嫁入りする。
これが悲劇の始まりであった。
後半、聡明な僕は、一家で初めて、隣町にある学校へ進学する。
入学試験に向けた勉強は、大卒者であるグリュフィールドが面倒を見た。
労働者階級に学問は要らないという立場の母親は強く反対したが、賢い息子に立身出世を願う父親が押し切る。
ところが、田舎町の期待を一心に背負って来た神童は、教師や他の生徒から壮絶なイジメに遭う。
本作は、階級闘争の物語でもある。
ちなみに、学校の卒業証書はラテン語で書かれていた。
で、本作は、こんな調子で僕の少年時代を淡々と綴る。
正直な所、映画史上における重要性では、一般に『市民ケーン』に軍配が上げられるだろうが、家族、労働者、進学等、現在に通じる様々な問題について、考えさせられる作品だ。
いい映画だった。
アカデミー賞作品賞、監督賞、助演男優賞(ドナルド・クリスプ)、美術賞(白黒部門)、撮影賞(白黒部門)受賞。

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