『ヴェニスの商人』を原書で読む(第1回)

僕のハンドル・ネームは、畏れ多くも「シェイクスピア」ですが、拙ブログでは未だシェイクスピアの作品をほとんど取り上げていません。
そこで、彼の喜劇の代表作である『ヴェニスの商人』を原書で読みたいと思います。
本作の初演は、学者によって諸説ありますが、大体1596~98年頃とされています(最初に出版されたのは1600年)。
日本で初めて上演されたシェイクスピア劇であり、また、上演回数も『ハムレット』をしのいで、最も多いのだそうです。
日本での初演は、『新訳 ヴェニスの商人』(角川文庫)の「訳者あとがき」によると、1885年に大阪・戎座にて中村宗一郎により上演された『何桜彼桜銭世中(さくらどきぜにのよのなか)』という翻案作品だったとのこと。
学校演劇でも頻繁に上演されているので、シェイクスピアに関心のない人でも、何らかの形で一度くらいは触れたことがあるでしょう。
この作品は、ユダヤ人の金貸し・シャイロックのキャラクターがあまりに際立っているため、悲劇として演出されることが多いですね。
特に、学校演劇などでは、有名な「人肉裁判」の場面だけを切り取って、「人種差別反対」をテーマに打ち出した芝居に仕立てたりします。
僕が初めて観たシェイクスピアの舞台は、中学生の時に文化祭で先輩方が演じた『ヴェニスの商人』ですが、やはり、裁判のシーンのみの上演でした。
シャイロックの「公明正大なお方だ」というセリフは、今でも鮮明に覚えています。
しかしながら、シェイクスピアがこの作品を書いた頃は、ユダヤ人は差別されるのが当たり前の存在であり、これは、あくまで「喜劇」として書かれたのだということに留意しておく必要があるでしょう。
それでも、主役もかすんでしまうほどの、これだけ深みのある人物を生み出したのは、さすがシェイクスピアと言わざるを得ません。
僕がかつて在籍していた大学の英文科では、必修で「英語原書講読」という授業がありました。
小説や詩など、幾つかのクラスがあったのですが、その中で一番人気があったのは、「エリザベス朝演劇」だったと思います。
僕も、当然のように、そのクラスを選択しました。
例年、シェイクスピアの作品を講読し、僕の年は、『恋の骨折り損』だったような気がします。
何故、「気がします」かと言うと、僕は情けないことに、その授業にロクに出席せずに、単位を落としてしまったのです。
シェイクスピア入門的な位置付けの授業で、ちゃんと出ていれば、色々と勉強になったと思うのですが。
この講座では、年によって違う作品が選ばれていて、『ヴェニスの商人』を読んだ年度もありました。
シェイクスピアは、さすがに英文学を代表する作家だけあって、大学での原書講読の歴史も古く、『英語教師 夏目漱石』(新潮選書)によると、漱石東京帝国大学の講師時代に『ヴェニスの商人』等の講義を行なっています。
ヤフー知恵袋」によると、シェイクスピアの原文の中で、最も読み易いのは『ヴェニスの商人』だそうです。
僕は、『ハムレット』と『ヴェニスの商人』を原書で読みましたが、確かに、『ヴェニスの商人』の方が圧倒的に読み易かったと思います。
有名で、かつ読み易いということで、最初に読むシェイクスピア作品にふさわしいのではないでしょうか。
シェイクスピアについて
ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare, 1564-1616)は、言うまでもなく、イギリスを代表する文学者です。
それでは、『はじめて学ぶイギリス文学史』(ミネルヴァ書房)から、彼の略歴を引いてみましょう。

劇作家、詩人。ストラットフォード・アポン・エイヴォンに生まれる。18歳のときに、8歳年上の豪農の娘と結婚するが、数年後に妻子を残してロンドンへ出て劇団に加わる。舞台に立つかたわら、既存の脚本に手を加えているうちに、創作をはじめたと推定されるが、20代の後半で、早くも先輩作家のねたみを買うまでに名をなした。20余年間に、37編の劇と3冊の詩集を書き、50歳足らずで引退した後は故郷に帰り、悠々自適の余生を送った。

また、彼の作品については、次のようにあります。

シェイクスピア劇は、史劇からロマンス劇にいたるまで多様である。構成には、複数の筋があり、悲劇的局面と喜劇的局面、日常性と非日常性など相反するものが巧みに混入され、融合されている。また登場人物は、あらゆる階層に及び、その性格描写には追随を許さぬものがある。語彙の広いこと、複数の意味をひきだす掛け言葉や隠喩、暗喩が豊富なことでも知られている。

テキストについて
一口にテキストと言っても、様々な版が出ていますが、僕が選んだのは下のペンギン版です。

The Merchant of Venice

The Merchant of Venice

初版は2015年。
注釈はW.Moelwyn Merchant氏。
一般的には、演劇関係者はペンギン版、大学関係者はアーデン版やオックスフォード版を選ぶと言われています。
確かに、僕が学生の時の「シェイクスピア研究」という講義でも、教科書はオックスフォード版でした。
では今回、僕はなぜペンギン版を選んだのでしょうか。
それは、この版が大型書店の洋書コーナーなどで普通に売られていて、最も入手しやすいからです。
近所の調布市立中央図書館に置いてあるのも、このペンギン版。
価格も手頃です。
学術関係では、どうしてペンギン版が使われないのかはよく分かりません。
おそらく、他の版では注釈がページの下半分にあるのに対し、ペンギン版では巻末にまとめらているため、本文と対照しづらいからではないかと想像しています。
逆に、役者の場合は、細かな注など不要だから、ペンギン版でいいのでしょうか。
僕は別に学術的な目的で『ヴェニスの商人』を読んでいる訳ではないので、この版で問題ないのです。
本書の注釈は全部で40ページ以上ありますが、概ね固有名詞の解説が中心で、語釈と呼べるようなものはあまりありません。
従って、普通の日本人が本書の注だけを頼りにして原文を読むことは、ほぼ不可能でしょう。
注の英語のレベルは、専門的な語も出て来ますが、辞書を引けば理解できる程度です。
翻訳について
シェイクスピア作品を原書で読むに当たって重要なのは、翻訳を参照しながら読むということです。
シェイクスピアの原書は難しいので、翻訳がなければ、分からないところがあった時に、確認する手段がありません。
翻訳を選ぶ際、『ヴェニスの商人』のような有名作品では複数の版が出ていることがありますが、その場合、なるべく新しいものを選択することです。
古い翻訳だと、日本語の意味を読み取るだけで一苦労、ということもあります。
また、新たに翻訳する人は必ず先行訳を参照しているので、仮に前の訳に欠点があったとしても、それが改められている可能性が高いので。
現在、日本では、廉価な文庫や新書版だけでも、6種類もの翻訳版が入手可能です。
それらを以下に紹介します。
岩波文庫
ヴェニスの商人 (岩波文庫)

ヴェニスの商人 (岩波文庫)

初版は、何と1939年。
現在流通しているのは、1973年に発行された改訳版です。
翻訳は英文学の大家・中野好夫氏。
古い版だけあって、活字は小さく、かすれて読みにくいですが、そんなことは全く気にならないほど、味のある言葉を駆使した名訳です。
確かに、今では使わないような言い回しが多用されているものの、それが何とも言えない情緒を醸し出しています。
初版刊行時は、参考になる先行の翻訳は坪内逍遥のものしかなかったそうですが、それでこの完成度はスゴイです。
改訳の際にも、それほど大幅には手を加えられていないそうなので、初版の風合いはそのまま残っているのでしょう。
中野氏は、巻頭の「改版にあたって」の中で、「学術的翻訳でも、上演用台本のつもりでもない」と述べています。
日本語としての自然さを意識しつつ、原文と併読する読者のことも考えて、極端な意訳は避けたそうです。
中野氏は、「独自の翻訳理論を持たない」などと謙遜していますが、翻訳に対して、達観のような境地に達していると思われます。
例えば、原文の「詩」を日本語に移すことは不可能だと認めながらも、散文との区別を付けるために、詩の部分を「わかち書き」にしました。
また、本文の下に行数が表示されています。
注解も、なかなか充実していますね。
巻末の「解説」は、ほとんど初版のままだそうですが、作品を理解するために必要な事項を簡潔にまとめてあります。
翻訳の底本はグローブ版。
新潮文庫
ヴェニスの商人 (新潮文庫)

ヴェニスの商人 (新潮文庫)

初版は1967年。
翻訳は劇作・演出でも高名な福田恒存氏。
福田氏の訳文は誠に格調高いものです。
僕が20年以上前、浪人時代に読んだのも、この福田氏の翻訳でした。
今回、久し振りに再読して、改めて「よく整理された作品だな」と感じました。
ちなみに、僕が以前観に行った、劇団四季の『ヴェニスの商人』も、福田氏の訳です。
本文中に注釈はありませんが、巻末の「解題」が充実しています。
また、英文学者の中村保男氏による「解説」、「シェイクスピア劇の執筆年代」、「年譜」もありますね。
福田氏が翻訳の原本として用いたのは、新シェイクスピア全集。
白水Uブックス
初版は1983年。
判型は新書サイズ。
翻訳は、日本で二人しかいない(もう一人は坪内逍遥シェイクスピア全訳という偉業を成し遂げた小田島雄志氏(東京大学名誉教授)。
訳文は、とてもリズミカルで、こなれた日本語なので極めて読み易いです。
韻文の形式に合わせて行分けがされています。
注は全くありません。
解説は英文学者の渡辺喜之氏。
訳者自身による解説は一切ないので、翻訳の底本などは分かりません。
ちくま文庫
シェイクスピア全集 (10) ヴェニスの商人 (ちくま文庫)

シェイクスピア全集 (10) ヴェニスの商人 (ちくま文庫)

初版は2002年。
翻訳は、目下シェイクスピア作品を精力的に訳し続けている松岡和子氏(翻訳家・演劇評論家)。
この調子で行くと、坪内逍遥小田島雄志に続き、日本で3人目のシェイクスピア全訳者になるかも知れません。
松岡氏の訳文は、素直な文体で、非常に読み易いです。
本文は、他の多くの翻訳と同じように、韻文の箇所が行分けされています。
注釈も豊富で、本文の下にあるため参照しやすく、また、原文を掲載してくれているのが、ありがたいですね。
「訳者あとがき」では、松岡氏が訳出に際して、代名詞の訳し分けに気を遣ったという記述が大変興味深かったです。
現在の英語では、二人称は全てyou一語に統一されていますが、シェイクスピアの時代には、まだ区別が存在していました。
目下や親しい相手に対して使う親称のthou(ドイツ語のduに当たる)と、目上やそれほど親しくない相手に対して用いる敬称のyou(ドイツ語のSieに当たる)です。
これらの代名詞の使い方に注目することで、登場人物たちの人間関係が浮き彫りになります。
この部分は一読の価値があるでしょう。
「アントーニオとポーシャのメランコリー」という題の解説は中野春夫氏(学習院大学教授)。
巻末の「戦後日本の主な『ヴェニスの商人』上演年表」は、資料的価値が高いです。
錚々たる役者の名前が散見されます。
本書の翻訳の底本はアーデン版。
角川文庫版
新訳 ヴェニスの商人 (角川文庫)

新訳 ヴェニスの商人 (角川文庫)

初版は2005年。
翻訳は河合祥一郎氏(東京大学大学院教授)。
河合氏によると、本書の主な特徴は次の二つです。
一つ目は、上演を目的として、原文の持つ面白さや心地良さを日本語で表現するように努めたこと。
シェイクスピアの原文には駄洒落がたくさん出てきますが、それを何とか日本語に移し替えようと苦心された様子が伺えます。
二つ目は、原典(翻訳の底本とした、1600年出版の初版本である第一・四折本)に忠実に訳したこと。
原典通り、本文中に幕場割り(第○幕第○場という区分け)をなくし、人物名の指示についても原典を尊重したそうです。
これは、ちょっと裏目に出ていて、同じ登場人物を違う呼び名で指示している箇所があり、少々読み難くなっています(もちろん、注で解説されてはいますが)。
しかしながら、訳文は分かり易く、本文中の注釈も充実していますね。
「訳者あとがき」では、本作品について簡潔に解説されています。
河合氏は、シャイロックを、単なる悪役か悲劇の主人公かといった二元論で考えるのではなく、この作品が放つ多様な問題提起を今日的に捉えようという立場です。
この部分を読むだけでも、本作を理解する上で、大いに参考になるでしょう。
光文社古典新訳文庫
ヴェニスの商人 (光文社古典新訳文庫)

ヴェニスの商人 (光文社古典新訳文庫)

初版は2007年。
翻訳は安西徹雄氏(上智大学名誉教授)。
本書の訳文は、読んでいると、一人ひとりの役者の声が聞こえて来そうな名訳です。
それもそのはず。
本書は、1990年に安西氏自身が訳・演出した舞台の上演台本を基に加筆訂正した完訳版だからです。
シェイクスピアの作品は、読むためではなく、実際に舞台で上演するために書かれました。
ですから、舞台の洗礼を受けている本書の訳が「生きて」いるのは当然です。
翻訳のテキストは新オックスフォード版。
本文中の注釈は最小限なので、流れを追い易いです。
巻末の「解題」は、特に同時代の劇作家クリストファー・マーロウの『マルタ島ユダヤ人』と本作を詳細に比較して論じています。
また、「シェイクスピア略年表」も付いていますね。
注釈書・対訳などについて
シェイクスピアの原文は難しいですが、さすが英文学史上最も有名な作家だけあって、注釈書の類いが非常に充実しています。
その分だけ、他の作家よりも与し易いと言えるかも知れません。
ヴェニスの商人』については、現在流通している主なものだけで、下の3種類があります。
研究社小英文叢書
ヴェニスの商人 (研究社小英文叢書 (53))

ヴェニスの商人 (研究社小英文叢書 (53))

初版は何と1950年。
注釈者は英語英文学の大家・岩崎民平氏
古い本なので、活字はかすれ、また旧漢字で書かれているため、慣れるまでは読みにくいかも知れません。
「序」によると、岩崎氏は戦災で蔵書を焼かれてしまい、同僚の梶木隆一氏(元東京外国語大学名誉教授。2012年5月8日に101歳で逝去されました。)からシェイクスピアの注釈書を借りて本書を完成させた旨のことが書かれています。
日本における英文学研究の歴史の一端が垣間見えますね。
古い本なので誤植が多かったですが、これは仕方がないでしょう。
このシリーズは、ご存知のように、さほど注釈が詳しくありません。
最初の方は驚くほど懇切丁寧で、「この調子で最後まで息切れしなければいいが」と思っていたら、案の定、スペースが足りなかったのでしょう。
段々と簡潔になって行きました。
しかし、余計なことが書いていない分、分かり易いとも言えます。
研究社の対訳本や大修館の注釈書と比べると、本書の注釈が最も簡潔明瞭です。
学生や一般の読書人にとって大切なことは、目先の語句の意味ではないでしょうか。
辞書で調べても載っていないような古い言い回し等が、注にきちんと挙げられていることが一番ありがたいのです。
どのテキストではどの綴りになっているとか、この部分は学者によってこう意見が分かれているなどというのは、研究者にとっては大事かも知れませんが、普通の人にはあまり関係がありませんから(作品を理解する上で必要なこと以外は)。
大修館シェイクスピア双書
ヴェニスの商人 (大修館シェイクスピア双書)

ヴェニスの商人 (大修館シェイクスピア双書)

この本は、「大修館シェイクスピア双書」という全12巻のシリーズのうちの1冊です。
初版は1996年。
編注者の喜志哲雄氏(京都大学名誉教授)は、日本有数のシェイクスピア学者です。
ですから、内容は信頼できると思います。
(※本シリーズは、他の巻も、日本のシェイクスピア学者としては相当著名な方ばかりが執筆しています。)
最近は、大学の英文科などでシェイクスピア作品を講読する際にも、このシリーズをテキストにすることが多いようです。
本シリーズの『ハムレット』は紙質がイマイチで、蛍光ペンを使うと裏側にインクが染みてしまったのですが、『ヴェニスの商人』はそのようなこともありません。
本書は、右ページに原文、左ページに解説という見開き構成になっています。
原文は、研究社の対訳本と若干違う部分がありますが、『ハムレット』のように底本の問題はないので、気になるほどではありません。
解説は、かなり的確です。
上述の対訳本の解説で触れられていなかった部分にも注釈があるので、相互に補完できるでしょう。
この2冊で、原文の難しい箇所の大半は読み解けるのではないでしょうか。
ただ、最初の方は日本語の注が多いのですが、次第に英語の注が増えて来るので、読むのに多少骨が折れます。
また、発音表記が時折アメリカ式だったのが気になりました。
対訳・注解 研究社シェイクスピア選集
シェイクスピアの原文を読むに際して、最も取り組みやすいのは、英文が左ページ、日本語訳が右ページに掲載されている「対訳本」でしょう。
僕が尊敬する伊藤和夫先生(駿台予備学校英語科元主任)も、原書を読む前段階として、対訳本を読むことを推奨されていました。
シェイクスピア作品に関しては、研究社から立派な対訳本が出ています。
ヴェニスの商人 (対訳・注解研究社シェイクスピア選集 (3))

ヴェニスの商人 (対訳・注解研究社シェイクスピア選集 (3))

初版は2004年。
著者の大場建治氏は明治学院大学の元学長。
現在の日本においてシェイクスピア研究で著名な学者は何人かいますが、大場氏も間違いなくその一人でしょう。
本文は1600年発行の第一・四折本(Q1)に基づいていますが、異本(第一・二折本=F1など)と違う箇所がある場合はきちんと解説されているので、他の版を読んでいる人でも使えます。
ただ、現在出回っている『ヴェニスの商人』の原書は、概ねQ1に基づいているようです。
大場氏は、本来はF1を尊重しているのですが、『ヴェニスの商人』に関しては、Q1が最も「善本」だとのことでした。
テキストに関しては、本文の前の「凡例」や「The Merchant of Veniceのテキスト」という章で、詳しく解説されています。
また、作品そのものについても「The Merchant of Veniceの創作年代と材源」で説明されているので、あまり予備知識のない人でも大丈夫です。
単語の綴りは、基本的に現代綴りに直されていますね。
(※シェイクスピアの時代には、まだ正書法が確立していなかったため、原文には現代綴りと違う箇所がたくさんあるのです。)
シェイクスピアのセリフは、韻を踏んだり、ある語を強調したりするために、意図的に語順が変えられていることが多々あります。
ですから、日本語訳を見ても、原文との対応関係が理解しづらいこともあるのですが、これについては「シェイクスピアの詩法」という章で簡潔に説明されているので、大いに参考になるでしょう。
大場氏は前書きで「高校卒業程度の英語力があれば、後は辞書を引くだけで読み進める」ように配慮した旨のことを書いており、注釈は非常に詳しいと思います。
ただし、英語の注が多いです。
本文の下に掲載し切れない注については、巻末に「補注」としてまとめられています。
ところどころに挿入されている図版も大変興味深く、本文を読む合間の、良い息抜きになるでしょう。
最後に、付録として「シェイクスピアのFirst Folio」という解説が収められています。
しかしながら、訳文が意訳過ぎて、原文と対照し辛いというのは如何ともし難いです。
「他の翻訳者に負けたくない」という著者のプライドもあるのでしょうが、学生や一般読者が対象の本なのですから、ここはなるべく直訳に近付けて欲しかったと思います。
もっとも、昔は、このような便利な対訳本はなかったのですから、こういった本でシェイクスピアの原文を読むことが出来るのは、大変ありがたいのですが。
辞書・文法書などについて
辞書には色々ありますが、英文学を原書で読むには、最低でも大学生・社会人用の中辞典が必要になります。
本当は、シェイクスピアを読むには『OED(Oxford English Dictionary)』が必要なのだそうですが、全20巻もあり、アマゾンの中古でも20万円位するので、一般の人が所有するのはまず不可能です。
我が家でも、財務大臣に一蹴されました。
従って、中辞典から大辞典までを手元に置き、それらに載っていないものは諦めるしかありません。
ただ、辞書に載っていない様なことは、大抵、前述の注釈書に書かれていますが。
新英和中辞典
さて、中辞典の中で最も伝統があるのは、研究社の『新英和中辞典』(初版1967年)です。
新英和中辞典 [第7版] 並装

新英和中辞典 [第7版] 並装

歴史のある辞書の方が、改訂される度に内容が良くなっている可能性が高いと思います。
『新英和中辞典』の収録語数は約10万語。
僕も高校生の頃から愛用しています。
リーダーズ英和辞典
英文学を原書で読んでいると、時には、中辞典には載っていない単語も出て来ますが、そういう場合には、プロの翻訳家にも愛用されている『リーダーズ英和辞典』(研究社)の登場です。
リーダーズ英和辞典 <第3版> [並装]

リーダーズ英和辞典 <第3版> [並装]

収録項目数は28万(見出し語、派生語、準見出し、イディオムを含む)。
リーダーズ・プラス
更に、『リーダーズ英和辞典』には、『リーダーズ・プラス』(研究社)という補遺版があります。
リーダーズ・プラス

リーダーズ・プラス

  • 作者: 松田徳一郎,高橋作太郎,佐々木肇,東信行,木村建夫,豊田昌倫
  • 出版社/メーカー: 研究社
  • 発売日: 2000/03/01
  • メディア: 単行本
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収録語数は19万語。
文学作品のタイトルや登場人物名等も詳細に載っているので、とても便利です。
新英和大辞典
2冊の『リーダーズ』があれば、かなりの範囲をカバー出来ますが、それでも載っていない語については、『新英和大辞典』(研究社)を引いてみましょう。
新英和大辞典 第六版 ― 並装

新英和大辞典 第六版 ― 並装

これは、日本で最も伝統と権威のある英和辞典です(初版1927年)。
収録項目数は26万ですが、さすが「ITからシェイクスピアまで」を歌い文句にしているだけあって、これまで挙げた辞書には載っていない語でも見付かることがあります。
語彙については、洋書で『A Shakespeare Glossary』または『Shakespeare-Lexicon』というものもありますね。
僕が学生の頃に受講した「シェイクスピア研究」という授業のガイダンスで、先生が「辞書に載っていない単語は、この2冊を引けば載っていますね」と、こともなげに仰いましたが。
当たり前ですが、語義は全部英語で書かれています。
ただでさえ難解なシェイクスピアの英文を読むだけでも大変なのに、その上、辞書まで読解しなくてはならないとなると、挫折の可能性が極めて高くなります。
学生がひけらかしのためにカバンに入れておくのは自由ですが、時間も英語力もない一般社会人は手を出さない方が無難でしょう。
英文法解説
文法書については、有名な『英文法解説』(金子書房)等は、あくまで現代英語の参考書です。
英文法解説

英文法解説

シェイクスピアの英語は初期近代英語で、もちろん、現代英語とそんなに大きく変わらない部分も多いのですが、これだけでは足りません。
かつては、大塚高信氏の『シェイクスピアの文法』(研究社)、あるいは、荒木一雄氏と中尾祐治氏の共著『シェイクスピアの発音と文法』(荒竹出版)という定評のある参考書があったのですが、これらは残念ながら絶版になっています。
従って、図書館を利用するか、中古で買うかしかありません。
ただ、大抵のことは、上の注釈書と大辞典で解決すると思います。
これから、どれくらい時間が掛かるか分かりませんが、頑張って『ヴェニスの商人』を原書で再読したいと思います。
次回以降は、例によって、僕の単語ノートを公開しましょう。
【参考文献】
1995年度 二文.pdf - Google ドライブ
英語教師 夏目漱石 (新潮選書)川島幸希・著
シェイクスピアを英語で読んでみようと思うのですが、内容的&文章的に読み... - Yahoo!知恵袋
はじめて学ぶイギリス文学史神山妙子・編著(ミネルヴァ書房

『修道女』

この週末は、ブルーレイで『修道女』を見た。

修道女 Blu-ray

修道女 Blu-ray

1966年のフランス映画。
監督は、ヌーヴェルヴァーグの巨匠ジャック・リヴェット
彼の長編第2作である。
ジャック・リヴェットと言えば、『美しき諍い女』でカンヌ国際映画祭のグランプリを受賞した。
僕の好きなエマニュエル・ベアール(まさに、フランス人形のように可愛い)がヌードになっているというので、レンタル屋で借りて来て、見た覚えがある。
4時間もある長い映画(ビデオは2本組)で、延々と、エマニュエル・ベアールが裸になって、絵のモデルをしているという映画だった。
しかも、結局、完成した絵は映らない。
まあ、しかし、当時の映倫は、アンダー・ヘアの写っている映画は皆、修正して公開させていたが、さすがに、カンヌでグランプリを受賞した作品を修正するのはまずいだろうということで、ついに「ヘア解禁」されたといういわくつきの話題作であった。
はっきり言って、日本は後進国である。
僕は、ポルノも解禁すべきだと思っている。
人間に普通に付いているものや、普通の営みを、わざわざ修正しないといけないなんておかしい。
いつの時代の検閲制度だ。
そして、守らなければ、取り締まられる。
国家権力は、そんな下らないことに労力を使っているヒマがあるのなら、もっと巨悪を懲らしめろ!
(と言っても、絶対にやらないだろうが。)
話しを元に戻そう。
あと、ジャック・リヴェットの作品だと、『セリーヌとジュリーは舟でゆく』は、僕が学生時代、フランス映画を片っ端から見まくっていた頃に公開されているので、観たような気がするのだが、内容は全く覚えていない。
で、『修道女』だが。
製作は、『勝手にしやがれ』『気狂いピエロ』のジョルジュ・ド・ボールガール。
主演は、『気狂いピエロ』のアンナ・カリーナ
アルファヴィル』にも出ていたな。
まあ、この頃のゴダールの奥さんだからな。
共演は、『フレンチ・コネクション2』のシャルル・ミロ。
カラー、ワイド。
本作は、修道院の腐敗を描いているので、反対運動が起こって、上映禁止になったらしい。
だから、最初に、字幕で「この映画はディドロの小説『修道女』から翻案したもので、18世紀の修道院の実態を描写したものではない」と言い訳している。
でも、多分、実態は似たようなものだったのだろう。
本作で描かれる修道院は、ディドロが責任者。
ディドロダランベールと並んで、世界史の教科書に出て来た(何をした人だったかは、もう忘れたが)。
当時の修道院は、結婚まで娘を閉じ込めておく所だった。
そして、腐敗堕落していたという。
原作にはモデルが実在するらしい。
俗世を逃げ出し、神に仕えるフリをするだけ。
以上のような解説がある。
最初に、「実態を描写したものではない」と言いながら、「モデルが実在する」って。
この映画の置かれた、苦しい立場がうかがえる。
舞台は、1757年のパリ。
貧乏貴族の三女マリ・シュザンヌ・シナモン(アンナ・カリーナ)は、修道女となる誓願の儀式で、「貞潔、清貧、服従を誓いますか?」と問われ、「いいえ」と答える。
「私は強制され、この場に連れて来られた!」と叫んで、大騒ぎになる。
さらに、「修道女にだけはなりたくない!」とわめいて、黙らされる。
これだけを見ても、宗教というのが、如何に偽善まみれか分かる。
けれども、当時は、公の場では到底、こんなことは言えなかったんだろうな。
最近だと、大川隆法の息子が教団の実態を暴露して、面白かったが。
僕は、完全な無神論者なので、如何なる宗教も一切、信じていない。
神も仏も、所詮は人間が考え出したものだ。
しかし、当時は、貧乏人の娘は、修道女になるくらいしか選択肢がなかったのだという。
一種の人身売買だな。
シュザンヌの実家は破産寸前であった。
だから、修道女になるしかないのであった。
3ヶ月が経過。
一旦は実家に戻ったシュザンヌであったが、神父に説得される。
しかも、母親から、シュザンヌは今の父親の実の娘ではないと打ち明けられる。
だから、今の父親は彼女に辛く当たるのであった。
財産も残されない。
しかも、母親も彼女のことを突き放す。
シュザンヌの実の父は、既に亡くなっていた。
母親は狂ったようにシュザンヌを罵る。
シュザンヌは、幾ばくかの供託金と引き換えに、ある有名な修道院に受け入れられる。
当然、前回は大スキャンダルを引き起こしたのだから、最初は難色を示されたのだが、最後はカネだ。
余談だが、当時の修道院が、どこからの資金で運営されていたのかにも興味が湧いた。
カネがなきゃ回らんからな。
如何に宗教と言っても、結局はカネだ。
僕の母は、某日本最大の新興宗教の熱心な信者だったが、毎年、「財務」という名の集金があった。
さらに脱線するが、彼らは選挙も宗教活動と思っているから、非常にタチが悪い。
自分達の主張とは全く違うはずの痔民や維チンに、組織上部の指示一つで、平気で一斉に票を回す。
しかも、それがかなりのまとまった数だから、結果として、日本の政治を左右してしまう。
つまり、一宗教団体に、日本の政治は動かされてしまっているのだ。
さすがに、先の沖縄知事選では、こうした動きに反発する末端の信者が現れたが。
ある宗教団体の中で、異端者がどんな扱いを受けるかは、想像だに難くない。
また、話しが逸れた。
シュザンヌは、歌が得意だったので、歌をうたわされる。
連れて来た母親は、娘を置いて、去って行った。
「意志を絶ち、本能を捨てよ、祈れ」と命じられ、修道院に入ることが認められた。
明日、2度めの修道誓願が行われるという。
シュザンヌは、前日から不安であった。
まあ、でも、一応、ここの修道院長モニは信用出来る人のようで、彼女のことを導こうとする。
当日、シュザンヌは儀式の最中に何を話したか、全く覚えていなかった。
しかし、これで正式に修道女になったのだ。
そんな折、彼女は母親の死を知らされる。
だが、母からの手紙は焼いてしまった。
更に、彼女は苦行衣を焼き、ムチを捨てた。
それは彼女なりの宗教的信念に基づくものであった。
今度は、院長のモニが亡くなる。
新しく院長になった聖クリスティーヌ修道女(美人!)は、前任者とは違い、狭量で独善的な女性であった。
突然、シュザンヌは部屋を検査され、所持を禁じられた聖書を没収される。
何故、キリストに仕える身なのに、聖書を所持してはいけないのだろうか。
シュザンヌは懲罰に掛けられる。
1週間、部屋から出ることを禁じられ、他のシスターにも近付くなと命じられる。
シュザンヌは、自分は会派に従うのではなく、キリスト教徒であるという自負があったが、そんな理想は、ここでは通用しない。
どうして、宗教は必ず派閥に別れてしまうのであろうか。
左翼の内ゲバと似ている。
で、シュザンヌは「死にたい」と思う。
彼女に対する集団の仕打ちは、完全にイジメである。
彼女は、今度は、部屋を移され、元の部屋を家探しされる。
新しい院長は、「あなたのやることはすべて罪よ!」とまで叫ぶ。
シュザンヌは、とうとう大司教に訴える手紙を書いた。
そのことを院長に疑われた彼女は監禁される。
三日目に、ようやく出され、「この件を口外しないで」と釘を差される。
シュザンヌは、「自由が欲しい」と強く願うようになった。
彼女に接見するために、弁護士がやって来る。
彼女は、修道女を辞めるための訴訟の手続きを依頼した。
弁護士は「ヒドイ仕打ちがあるだろう」と告げる。
当然ながら、院長は怒り狂い、激しい口論になる。
シュザンヌは全てがイヤになった。
「閉じ込められたくない!」
とうとう、院長は「悪魔に憑かれているのよ!」とまで言い出す。
最早、シュザンヌはここを出て行けなければ死にたいと思っていた。
彼女は、当分の間、聖務を禁じられる。
食事もなし。
他のシスターと話すことも禁止。
いじめ、唾吐き、罵り、虐待。
もう凄まじいね。
さあ、これからどうなる。
後半、彼女を襲う運命。
アンナ・カリーナは美人だから、説得力がある。
修道院を抜け出した者が、世間ではどんな扱いを受けたかも分かる。
本当に、個人の自由がない時代だったんだな。
ちょっと話しは逸れるけど、個人の自由がないという意味では、天皇制だって同じである。
だって、この現代においてすら、生まれた時から、天皇になることが決められている。
自分の意志などない。
まあ、今の天皇は退位が認められたが、これだって、全く自由な訳ではない。
七面倒臭い手続きが山程あるはずだ。
世間は「新元号」とか言って浮かれているが、僕は、平成で天皇制を廃止にすれば良かったのに、と真剣に思っている。
まあ、いいや。
で、本作はスゴイ結末を迎える。
そりゃ、キリスト教団体は上映に反対するわな。
図星なんだろ。

The Nun - Official Re-Release Trailer (1966)

イギリス文学史I(第4回)『カンタベリー物語』(その1)

チョーサーについて
ノルマン・コンクエスト(1066)以降、フランスからの新しい文化の影響を受けて、14世紀になると、詩の形式や種類、主題は豊富になりました。
この時代の代表的な詩人はジェフリー・チョーサー(Geoffrey Chaucer, 1340-1400)で、彼の代表作は『カンタベリー物語』(The Canterbury Tales, 1387-1400)です。
僕の手元にある高校世界史の教科書(『詳説世界史』)には、次のようにあります。

ルネサンス文芸は、古代ローマの伝統が強かったイタリアでまず展開した。イタリアには、『神曲』で知られる詩人ダンテやボッカチオらが出たが、その影響下にイギリスでもチョーサーが『カンタベリ物語』を著した。

なお、この教科書には、数行下にシェイクスピアが載っています。
200年も違う時代の人を、「ルネサンス文芸」の括りで同じページに載せてしまうとは、高校世界史恐るべしです。
それはさておき、『カンタベリー物語』は教科書に載っているものの、実際に読んだことがある人は少ないのではないでしょうか。
では、『カンタベリー物語』の著者・チョーサーとは、どのような人物だったのでしょうか。
『イギリス文学の歴史』(開拓社)から、チョーサーの生涯について書かれた箇所を引きます。

チョーサーは、ロンドンのぶどう酒商を営む豊かな家庭に生まれた。若いころから、小姓(page)として、宮廷に仕えた。このため貴族階級の人々と近づきになり、宮廷の風習・作法を学び、高い教養を身につけることができた。当時の宮廷は、まだフランス語が話され、フランスの文学や音楽などが楽しまれていた世界ではあった。したがって、チョーサーはフランス文学に接する機会に恵まれた。

彼は「百年戦争」の折、フランスの戦場へ赴き、また外交官として、フランス、イタリア、その他の国へ行く機会を持った。豊かな文学的天分に恵まれ、しかも大の読書家であった。各地の風物・人間に接し、細心の観察を続け、詩人としての成長をとげていった。
彼は生涯を通じ、外交官・税関の監督官・治安判事・国会議員などの仕事に従事し、余技・教養として詩作を行なったのである。1400年死亡。ウェストミンスター寺院の「詩人の墓所」(Poet's Corner)に葬られた。

チョーサーの作品は、通例、三つの時代に区分して考えられます。
再び、『イギリス文学の歴史』から引きます。

第1期――フランス期(1359-72) フランス語の作品や模倣の類の作品が多く、この時代のフランス文学の影響は、生涯を通じて、持続した。ことにフランスの韻文の寓意物語『バラ物語』(Roman de la Rose)を翻訳したことの意義は重要であった。この物語によって、チョーサーは、「宮廷風恋愛」といわれて来た中世ヨーロッパ文学における愛の伝統について知ることができた。この恋愛観は、彼の作品の随所に現われている。

第2期――イタリア期(1372-85) イタリアの詩人たちの影響を受けた時期で、この期の代表作は『トロイラスとクリセイデ』である。

第3期――イギリス期(1385-1400) 晩年の約15年間で、円熟の域に達し、もはや模倣的態度を脱し、独自の世界を確立した時期。この時期の成果が、『キャンタベリー物語』である。

第2期の『トロイラスとクリセイデ』とは、どんな作品なのでしょうか。
『はじめて学ぶイギリス文学史』(ミネルヴァ書房)には、「この作品は、ボッカチオ(Giovanni Boccacio, 1313-75)の『恋の虜』(Il Filostrato)にもとづいて書かれた物語詩で、トロイ戦争の一挿話を枠組に、トロイの王子トロイラスと若く美貌の未亡人クリセイデの悲恋を情熱的に、しかも気品高く描いたものである」とあります。
ちなみに、シェイクスピアの『トロイラスとクレシダ』は、元ネタの一つとしてチョーサーの『トロイラスとクリセイデ』も使っています。
先を急ぎましょう。
岩波文庫版『完訳 カンタベリー物語(上)』の巻末にある「チョーサーについて」には、更に詳しく、30ページ以上に渡って、彼のことが解説されています。
上で書いたことと重複する部分もありますが、簡単にまとめてみましょう。
ジェフリー・チョーサー(1343?~1400)が『カンタベリー物語』を書いたのは、44歳頃から晩年14年くらいの間でした。
シェイクスピアが、最後の作品『テンペスト』を書いた47歳で筆を絶った(共同執筆を除く)のと対照的です。
チョーサーは、ウェストミンスター寺院の境内に借りた小さな家で亡くなるまで『カンタベリー物語』を書き続けました。
それでも、本作は未完に終わったのです。
チョーサーは、14世紀のイギリスで国王に仕えた宮廷人あるいは公務員のジェフリー・チョーサーと同一人と考えられています。
14世紀の英国の王室記録には、宮廷人ジェフリー・チョーサーの記録はあっても、「詩人」チョーサーの名は記録されていません。
宮廷人チョーサーと詩人チョーサーを同一人とするのは、状況証拠によるのだそうです。
ジェフリー・チョーサーは、1340年頃、おそらくロンドンで生まれ育ち、ロンドンで一生を過ごしたのでしょうが、少年時代の記録は何も残っていません。
父親は、テムズ街で葡萄酒貿易商を営んでいたと考えられます。
チョーサーの家は、祖父の代に商売のためにロンドンへ移住して来たようです。
彼の家柄は、ロンドンでは裕福な上流市民階級でした。
これが、チョーサーの作品にも影響を与えています。
この時代のロンドンは人口4万で、イギリス最大の都市であり、国王の干渉からも比較的自由で独立していました。
チョーサーは、おそらくグラマー・スクールでラテン語の手ほどきを受けたのでしょう。
この時に、既にオウィディウスの『変身譜』等を読んだのかも知れません。
また、学校では、教授するのにフランス語が使われていました。
当時のグラマー・スクールの教育は、徹底的に宗教的・道徳的な色彩が強かったので、そこでキリスト教的な素養を身に着けたのでしょう。
その後、チョーサーは宮廷に出仕します。
ブルジョワ階級の者が宮廷に仕えるのは、立身出世のためでした。
1357年頃から、彼の名が王室記録に登場します。
彼は、環境の異なる中で、実に多くのことを学びました。
その頃、英国はフランスと百年戦争の最中にあり、チョーサーも従軍し、そして、フランス軍の捕虜になります。
1360年、英仏両国の講和が結ばれ、彼も自由の身となりました。
チョーサーの教養は、法律から、フランス語、ラテン語、イタリア語の語学の知識、歴史、神学、医学、錬金術の専門語、天文学占星術、文芸修辞学に至るまで、大変幅広いものです。
彼は、フランスやイタリアの詩を英語に翻訳し、その面でも才能を発揮していました。
例えば、フランスの恋愛詩『薔薇物語』等です。
更に、若い騎士見習だった彼は、公爵に命じられて、黒死病で亡くなった公爵夫人に対するエレジー『公爵夫人の書』を著します。
また、1370年代には、外交の重要な用務で、たびたびフランスやイタリアに派遣されました。
中でも、二度に渡るイタリアへの旅行の経験は、後に、『名声の館』『鳥の議会』『トロイルスとクリセイデ』等に表れています。
チョーサーは、英文学史上ほとんど初めて、イタリアの詩人ダンテ、ペトラルカ、ボッカチオの文芸をイギリスにもたらしました。
『トロイルスとクリセイデ』は、ボッカチオの『恋の虜』を創作的に英語に翻案したものです。
チョーサーは、国内でも税関監査長等の重要な任務を拝命しました。
彼は、社会の様々な階層の人々のことをよく知り、それを創作に活かしたのです。
税関長を解任された後は、国会議員や治安判事、土木工事監督官をも務めます。
チョーサーは、妻が亡くなった1387年頃から『カンタベリー物語』の執筆に取り掛かりました。
そして、上に書いたように、未完のまま、1400年に亡くなります。
死後は、ウェストミンスター寺院に葬られました。
チョーサーの生きた14世紀は、古いものが滅び、新しいものが生まれようとしている、正に過渡期の時代でした。
世界史の教科書でも、「ルネサンス」の章に載っていますからね。
カンタベリー物語』は、このような新しい時代の胎動を告げる作品であり、また、中世的な古い慣習や精神も、その背景に見られる作品でもあります。
このような社会の活力が、ロンドンの英語の力で、より一層反映されました。
チョーサーが用いたのは、単純、直截な英語でした。
その上に、フランス語の柔らかな音律と響きを加え、フランス、イタリア、ラテンの言葉の意味の陰影を取り込んで、芸術的に洗練させたのです。
チョーサーは「英詩の父」と呼ばれています。
『講談・英語の歴史』(PHP新書)に、チョーサーの英文学史における位置付けについて、とても分かり易く書かれているので、見てみましょう。

チョーサーは「英文学の汚れなき泉」などと讃えられる大詩人で、英文学はここから始まるという人も大勢いる。オックスフォードから上智大学にいらしたミルワード先生は英文学をチョーサーから始めるのが普通だった。
これは伝統的な英文学のとらえ方である。今はオールド・イングリッシュから始めるが、それでも本当の英文学はチョーサーあたりから始まるといわれるほど、チョーサーの存在は大きい。

確かに、古英語時代の代表的な作品である『ベーオウルフ』なんかは、チョーサー以降の英文学と全く趣が違いますからねえ。
チョーサーの功績は、上にも何度も書いたように、イギリス文学の中に、フランス、イタリア等の南方文学の特徴を取り入れたこと。
それから、新しい作詩法を導入したことです。
これについては、『イギリス文学の歴史』に、次のようにあります。

チョーサーは、フランスの作詩法を学び、古期英語時代のイギリス詩の特徴であった頭韻の代わりに、脚韻を取り入れた。さらに、「弱強五歩格」(iambic pentameter)の行が、2行ずつ韻を踏む詩形を案出した。

更に、英語史においても重要なのは、標準英語を確立したことです。
『イギリス文学の歴史』を見てみましょう。

チョーサーは英語で作品を書いた。このことは英語史上で重要な意味を持つことであった。
当時、英語は、徐々に、威信を高めてはいたが、まだ多くの著作は、ラテン語かフランス語で書かれていた。チョーサーは英語で書くことによって、英語が適切な文学的表現の手段となりうることを証明した。
なお、そのころ、英語は、多くの方言に分かれていて、共通に理解される方言は、まだ存在していなかった。チョーサーがロンドン英語で書いたことが、(他の条件とともに)ロンドン英語が、標準英語(Standard English)の地位を確立することに大いに貢献した。

チョーサーは、後の英文学に多大な影響を与えました。
近代英語を確立させたのはシェイクスピアですが、それも、チョーサーの土台があってこそなのではないでしょうか。
カンタベリー物語』について
それでは、チョーサーの代表作である『カンタベリー物語』について、詳しく見て行きましょう。
再び、『イギリス文学の歴史』から引用します。

約1万7千行に及ぶ長大な物語詩。チョーサーの作品中の最大作であり、イギリス中世文学の最高傑作とされる。

キャンタベリー大聖堂のトマス・ア・ベケット墓所に参詣しようとする29名の巡礼が、テムズ河南岸の宿に落ち合い、旅の道中の退屈しのぎに、各人が、おもしろい話をすることになる。このようにして、集められた多くの話をまとめて、この物語集が構成されている。

本作の主題となったカンタベリー詣でについて、『イギリス文学の歴史』では、次のように解説されています。

キャンタベリーの町はロンドンから東南東約112キロ。巡礼の目指す大聖堂のある町。当時はロンドンから、馬または徒歩で3日か3日半の旅であった。巡礼者は、国中から集まり、ロンドンの旅宿で落合い、グループを作って出かけた。グループの方が、旅は楽しいし、道中の盗賊に対しても安全策となった。

『イギリス文学史入門』(研究社)には、カンタベリー詣でについて、「わが国のお伊勢参り善光寺参りを考えればよい」とありますが、うまいこと言うものですね。
そして、同書では、それぞれの巡礼者が、旅のつれづれに、面白い物語を聞かせることについても、「今日の観光バスの旅行で、マイクがつぎつぎに回されるのと、同じ趣向である」と言っています。
僕も高校時代、京都から長野へと向かうバスの中で、自分の持ち込んだテープをバックに、オフコースを歌ったものでした。
当時は、カラオケと言えば、未だ演歌しかなかったので、皆、自分の好きな歌(もちろん、ボーカル入り)をカセット・テープにダビングして、持って来るしかなかったんですね。
カンタベリー物語』は、最初の「総序の歌(プロローグ)」が有名ですが、この部分について、『イギリス文学の歴史』には、次のようにあります。

この物語は、全体の「序」ともいうべき「プロローグ」で始まる。この中で、物語に現われる全登場人物が紹介されている。宮廷人と乞食を除き、当時のあらゆる階層・職業のものから成る一行の人々は、簡潔ながら個性を持ったいきいきとした人間として、的確に描写されている。このプロローグは、チョーサーの文学的才能の偉大さを充分に示していて、それ自体で、独立の読みものとして高い評価を得ている。

チョーサーの作品は、英語史の時代区分で言うところの中英語(1100~1500年頃)で書かれています。
カンタベリー物語』は、正に中英語の代表的な作品です。
中英語は、古英語ほどではありませんが、現代英語とは語の綴りがかなり異なっているので、まるで別の言語のように見えます。
大学の英文科でも、中英語という科目が設置されている大学は少なく、仮に設置されていても、選択する学生は滅多にいません。
僕の在籍した大学でも、中英語の授業はありましたが、果たして受講者がいたのかは謎です(もちろん、僕も選択していません)。
渡部昇一氏は、『講談・英語の歴史』の中で、「私はミドル・イングリッシュの演習でチョーサーの『カンタベリー物語』のプロローグを読むことから始めたが、これは中英語の総まとめのようなものであり、プロローグが『カンタベリー物語』の神髄ともいえるから、初歩としては適切だったと、今でも思っている」と述べています。
まあ、大学の授業時間数を考えると、『カンタベリー物語』は余りにも長過ぎるので、最初の章だけ読んでお茶を濁していると言えなくもないでしょうが。
カンタベリー物語』全体については、『イギリス文学の歴史』では、次のように述べられています。

『キャンタベリー物語』に取り上げられている多種多様な物語の中には、ロマンス・笑い話・動物寓話・宗教物語・説教・結婚談義などがあり、これらが巧みに組み合わされていて、中世イギリス社会の一大絵巻を見る思いがする。
これらの物語は、すべてが、チョーサーが創作したものというわけではなく、多くは当時の人々によく知られていた物語である。チョーサーは、これらの通俗な物語を借りて、自分の考えを表現する手段として用いたのである。通俗な物語が、詩人の息吹を吹きこまれ、みごとな芸術品に仕上げられている。

岩波文庫版の下巻の巻末には、訳者・桝井迪夫氏による「『カンタベリー物語』について」が収められています。
しかし、研究者だから当たり前かも知れませんが、ひたすらチョーサーと『カンタベリー物語』を礼賛しているのです。
何の予備知識もなく初めて本作を読んだ僕のような初心者とは、かなりかけ離れたお考えなので、着いて行けません。
でも、仕方がないので、少し内容を紹介します。
チョーサーがいつ、どのようにして『カンタベリー物語』を構想し、具体化したかは、誰にも分かりません。
だから、学者が色々と推測しています。
物語にフレーム(枠)、いわば「額縁」をはめ込む様式は、オウィディウスの『変身譜』やボッカチオの『デカメロン』を初めとして、中世に例が多いそうです(オウィディウスは中世ではありませんが)。
カンタベリー物語』も、巡礼行という枠組みの中で、一人一人に話しを語らせるという形式を採っています。
現在の『カンタベリー物語』には、24の物語があり、その内の二つの物語(「料理人の話」及び「トパス卿の話」)は未完のままです。
この24の物語の内、散文である二つを除いても、1万7千行以上になります。
チョーサーの生きていた時代には、未だイギリスに活版印刷の技術は伝えられておらず、書物は主に写本の形で作られました。
カンタベリー物語』の最良の写本は、「エルズミア写本」と言われています(現在では、異論もあるそうですが)。
写本について、うまくまとめられているので、下に引用してみましょう。

中世は写本の時代であり、印刷文化ないし写本文化とも言われる時代である。チョーサーの作品は、はじめすべて写本によって伝えられた。『カンタベリー物語』の写本も、現存するものは八十種以上である。その最も古い写本として残っているものも、チョーサーの死後、一四一〇年代に作られた写本である。しかもチョーサーが校訂した写本ではない。写本文化の時代は口誦的な文化を中心とする。一方、読書による文化の獲得は印刷文化によらなければならないが、チョーサーの生きた十四世紀の後半においてはすでに写本を読む人たちもいたことが、チョーサーの「汝、読者よ」という呼びかけや、「聞きたいと思われない方はどなたもページをめくって別の話をお選びになって下さい」と言っているところなどからも知ることができる。

一方で、『カンタベリー物語』は、口誦文学でもあったのです。
再び、引用します。

カンタベリー物語』はしかし、口誦を中心とした構想で、語り手が聴衆に向かって話をするという、中世の語りものの伝統の上に立っている。語り手は巡礼として登場する人たちであり、そのときの聴衆は巡礼一同である。チョーサーも巡礼の一人であり、巡礼の仲間を紹介し、その役が終ると巡礼の中に入り、司会の役をハリー・ベイリーという宿の主人に任せて自分もその命令に従って話をする、というフィクションである。

『出版文化史の東西』(慶應義塾大学出版会)によると、イングランド活版印刷を導入したウィリアム・キャクストンが初めて出版した書物は、『カンタベリー物語』だったそうです。
なお、同書には、『カンタベリー物語』の写本と印刷の歴史が、大変詳しく述べられているので、興味のある方は、是非お読みになってみて下さい。
テキストについて
ペンギン版(原文)
原文(中英語)のテキストで最も入手し易いのは、次のペンギン版でしょう。

The Canterbury Tales: (original-spelling edition) (Penguin Classics)

The Canterbury Tales: (original-spelling edition) (Penguin Classics)

アマゾンで注文すれば、数日でイギリスから送られて来ます。
初版は2005年。
編者はJill Mann氏。
日本語訳だと岩波文庫で3巻にもなる全文を掲載しているため、1200ページ以上もあり、枕のように分厚い本です。
本文は、上段に原文、下段に語注というレイアウトになっていますが、本書の後半の3分の1以上が「Notes」や「Glossary」に充てられています。
それでも、中英語の知識のない一般人が、本書だけで内容を理解することは不可能でしょう。
そのため、現代英語版を参照する必要がありますが、こちらも入手し易いのは、僕の近所の調布市立図書館にも置いてあるペンギン版です。
ペンギン版(現代英語)
The Canterbury Tales (Penguin Classics)

The Canterbury Tales (Penguin Classics)

初版は1951年。
現在の改訂版が出たのは2003年。
訳者はNevill Coghill氏。
現代英語なので、辞書さえあれば読めますが、韻文にするためか、原文と微妙に表現が違う箇所が散見されるので、注意が必要です。
また、現代英語とは言っても、原文の雰囲気を出すためか、妙に格調高くて、難しいような気がします。
とは言っても、一般人が読めるのは、こちらしかないのですが。
翻訳について
岩波文庫版(上巻)
最終的に、一番頼りになるのは、やはり翻訳(日本語訳)版でしょう。
手に取り易い文庫版は、上述のように、全3巻で岩波から出ています。
完訳 カンタベリー物語〈上〉 (岩波文庫)

完訳 カンタベリー物語〈上〉 (岩波文庫)

改版発行は1995年。
翻訳は桝井迪夫氏。
「はしがき」によると、『カンタベリー物語』は聴衆を意図して作られた作品なので、翻訳に当たっては、なるべくその口調を出すように努めた、とあります。
一方で、原文におけるスタイルの違いにも応じるように配慮したそうです。
訳文は、比較的直訳調ですね。
原文は韻文で書かれていますが、翻訳は散文です。
上巻には、人名、地名、出典、事柄等について、60ページに及ぶ詳細な「訳注」が、また、巻末には原作者チョーサーについての解説が付いています。
「はしがき」の「付記」によると、昭和48年に『カンタベリー物語』上巻が刊行された後、訳者桝井迪夫博士は病に倒れ、続巻の原稿は出来上がっていたものの、出版は長い間、中断されていたそうです。
その後、3人の方々が改訳作業に当たられ、平成5年にようやく完成しました。
さて、『カンタベリー物語』は、身分も職業も様々な29人の巡礼達が、カンタベリーへの道中に、順番に話しをするという体裁を取っています。
それぞれの物語に内容的な関連はありません。
つまり、短編集のようなものですね。
上巻には、「総序の歌」「騎士の物語」「粉屋の話」「家扶の話」「料理人の話」「弁護士の物語」の6編が収められています。
「総序の歌」は、平たく言うと、登場人物の紹介のようなものです。
具体的なストーリーは、次の「騎士の物語」から。
まあ、よくあるギリシアやローマを舞台にした昔話のようなもので、現代人の感覚からは、さして面白いものではありません。
ところが、身分の高い騎士の物語から、次の粉屋や家扶の話になると、何とまあ、下ネタのオンパレード!
これが、本当にイギリス文学の古典中の古典なのかと思ってしまいます。
僕が初めて『カンタベリー物語』の名を知ったのは、昔、『キネマ旬報』の広告で、映画版のビデオ発売の広告を見た時でした。
未だ子供だったので、よく分かりませんでしたが、何だか、とてもエロそうな雰囲気です。
監督は、あのピエル・パオロ・パゾリーニ
どうしてパゾリーニが、こんな古典を映画化したのだろうかと、ずっと疑問に思っていましたが、原作を読んで、ようやく謎が解けました。
如何にも、彼の好きそうな内容です。
あと、全編を通して、キリスト教的な説教臭い教訓が、非常に目立ちます。
巡礼の話しですから、当たり前なのですが。
これが、クリスチャンでない我々には、退屈な部分です。
『ベーオウルフ』では、ほのめかされる程度だったキリスト教的なテーマが、本作では前面に出ています。
やはり、英文学を学ぶには、キリスト教の素養が必要とされるのでしょう。
岩波文庫版(中巻)
完訳 カンタベリー物語〈中〉 (岩波文庫)

完訳 カンタベリー物語〈中〉 (岩波文庫)

初版は1995年。
翻訳は桝井迪夫氏。
中巻には、「バースの女房の話」「托鉢僧の話」「召喚吏の話」「学僧の物語」「貿易商人の話」「近習の物語」「郷士の物語」「医者の物語」「免罪符売りの話」「船長の話」「尼僧院長の話」「トパス卿の話」「メリベウスの物語」の13編が収録されています。
相変わらず、チョーサーの教養をひけらかしているだけのような、大して面白くもない話しが続きますが、唯一の例外が「学僧の物語」でした。
これは、身分違いの侯爵と結婚した、余りにも従順な妻の話しですが、大変引き込まれ、最後まで一気に読んでしまいました。
有吉佐和子の『華岡青洲の妻』と、シェイクスピアの『冬物語』を合わせたような物語ですが。
まあ、現代では有り得ない話しですね。
それでも、考え込んでしまいました。
なお、僕は別に男尊女卑ではありません(フェミニストは大嫌いですが)。
巻末の「訳注」は30ページ弱。
この巻には、「解説」等はありません。
岩波文庫版(下巻)
完訳 カンタベリー物語〈下〉 (岩波文庫)

完訳 カンタベリー物語〈下〉 (岩波文庫)

初版は1995年。
翻訳は桝井迪夫氏。
下巻には、「修道僧の物語」「尼僧付の僧の物語」「第二の尼僧の物語」「錬金術師の徒弟の話」「賄い方の話」「教区司祭の話」の6編が収められています。
最初の「修道僧の物語」は、歴史上の偉人の転落の話しを列挙していて、「おっ」と思いましたが、何故か、途中で遮られてしまいました。
後の話しは、相変わらず面白くありません。
とにかく、宗教色が強過ぎるのです。
特に、最後の「教区司祭の話」は、延々と聖書の解説が続きます。
当時の文学は、一般大衆にキリストの教えを説くという意味もあったのでしょうか。
「訳注」は少なく、10ページほど。
映画化作品について
映画化作品としては、上述した、イタリアの鬼才ピエル・パオロ・パゾリーニ監督のものがありますが、僕は未見です。
【参考文献】
詳説世界史B 改訂版 [世B310]  文部科学省検定済教科書 【81山川/世B310】』木村靖二、岸本美緒、小松久男・著(山川出版社
イギリス文学の歴史』芹沢栄・著(開拓社)
はじめて学ぶイギリス文学史神山妙子・編著(ミネルヴァ書房
講談・英語の歴史 (PHP新書)渡部昇一・著
イギリス文学史入門 (英語・英米文学入門シリーズ)』川崎寿彦・著(研究社)
出版文化史の東西:原本を読む楽しみ』徳永聡子・編著(慶應義塾大学出版会)

『ハムレット』を原書で読む(第2回)

WILLIAM SHAKESPEARE

Shakespeare, William(名)シェイクスピア(1564-1616/英国の劇作家・詩人)

Hamlet

Hamlet(名)ハムレットShakespeareの四大悲劇の一つ/その主人公)
(テキスト3ページ、1行目~)

The Characters in the Play

character(名)(小説などの)人物、(劇の)役
in(前)(範囲を表わして)~において、~内で
play(名)劇、戯曲、脚本

GHOST of Hamlet, lately King of Denmark

ghost(名)幽霊、亡霊、怨霊(おんりょう)(英米の幽霊は夜中の12時に現われ、ニワトリの声を聞いて姿を消すとされ、その姿は生前のままで足もある)
lately(副)最近、近ごろ(=recently)
Denmark(名)デンマーク(ヨーロッパ北西部の王国/首都Copenhagen)

Claudius, his brother, now KING of Denmark

Claudius クローディアス(Shakespeare, HamletでHamletの父で自分の兄デンマーク王を毒殺して王位につき、Hamletの母と結婚している/最後にHamletに刺される)
his(代)彼の
now(形)現在の、今の

Gertrude, QUEEN of Denmark, widow of the late King and now wife of his brother Claudius

Gertrude(名)ガートルード(女性名)
widow(名)未亡人、寡婦(かふ)
late(形)先の、前の

HAMLET, son of the late King Hamlet and of Gertrude

POLONIUS, counsellor to the King

Polonius ポローニアス(Shakespeare, Hamlet中の人物/LaertesとOpheliaの父/饒舌で子煩悩な内大臣/Claudiusと人違いしたHamletに殺される)
counsellor(名)相談役、相談相手、顧問
to(前)(行為・作用の対象を表わして)~に対して、~に

LAERTES, son of Polonius

Laertes レアティーズ(Shakespeare, Hamlet中のPoloniusの息子で、Opheliaの兄)

OPHELIA, daughter of Polonius

Ophelia(名)オフィーリア(Hamletの恋人)

REYNALDO, servant of Polonius

servant(名)召し使い、使用人(=domestic)

FOLLOWERS of Laertes

follower(名)信奉(追随)者、学徒、信者、門人、弟子

HORATIO, friend of Prince Hamlet

Horatio ホレイショー(Hamlet中のHamletの親友)

VOTTEMAND members of the Danish court
CORNELIUS
ROSENCRANTZ
GUILDENSTERN
OSRICK
LORD
GENTLEMEN

Danish(形)デンマーク(人(語))の
court(名)宮廷、宮中、王室
Cornelius(名)コーネリアス(男性名/愛称Connie)
Rosencrantz ローゼンクランツ(Shakespeare, Hamletに登場する王の廷臣で、Hamletの旧友/Guildensternと共にClaudiusの命を受けてHamletを殺そうとしたが、見破られ、2人ともHamletの身代わりに殺される)
Guildenstern ギルデンスターン(Shakespeare, Hamletに登場するHamletの幼な友だち)
Osrick→Osric(命)オズリック(Shakespeare, Hamletに出てくる愚かしく流行を追う気取った宮廷人)
lord(名)(英)(Lordの敬称を持つ)貴族、華族
gentleman(名)紳士(育ちがよく他人に対して礼儀正しく名誉を重んじる男子/⇔lady)

FRANCISCO soldiers
BARNARDO
MARCELLUS

Fransisco フランシスコ(男子名)
soldier(名)(将校に対して)兵士
Barnardo バーナードー
Marcellus マーセラス(男子名)

TWO MESSENGERS

two(形)(基数の2)2の、2個の、二人の
messenger(名)使いの者、使者

SAILOR

sailor(名)船員、船乗り、水夫

FIRST CLOWN, a gravedigger

clown(名)(劇・サーカスなどの)道化役者、道化師
gravedigger(名)墓掘り(人)

SECOND CLOWN, his companion

companion(名)仲間、友

PRIEST

priest(名)(特にカトリックの)司祭

FORTINBRAS, Prince of Norway

Fortinbras フォーティンブラス(Shakespeare, Hamletで、デンマークの王位を継ぐノルウェーの王子)
Norway(名)ノルウェースカンジナビア半島西部の王国/首都Oslo)

CAPTAIN, a Norwegian

captain(名)長、頭領(=chief)、指揮者
Norwegian(名)ノルウェー

English AMBASSADORS

ambassador(名)(公式または非公式の)使節

FIRST PLAYER, who leads the troupe and takes the part of a king

player(名)役者、俳優
who(代)(関係代名詞)(非制限的用法で/通例前にコンマが置かれる)そしてその人は
lead(他)(~を)先導する、指揮する、(~の)先頭に立つ
troupe(名)(俳優などの)一座、一団
take(他)(~を)(~から)引用する、借用する
part(名)(俳優の)せりふ

SECOND PLAYER, who takes the part of a queen

THIRD PLAYER, who takes the part of Lucianus, nephew of the king

nephew(名)甥(おい)(配偶者の兄弟・姉妹の息子も指す)

FOURTH PLAYER, who speaks a Prologue

fourth(形)(序数の第4番)(通例the ~)第4(番目)の
speak(他)(人に)(言葉を)話す
prologue(名)(演劇の)プロローグ、前口上、序幕

Lords, attendants, players, guards, soldiers, sailors

attendant(名)付添人、随行員、侍者、お供
guard(名)守衛、護衛、警備員、見張番、番人、監視(者)
【参考文献】
Hamlet』William Shakespeare・著(Penguin Classics)
新訳 ハムレット (角川文庫)河合祥一郎・訳
新英和中辞典 [第7版] 並装』(研究社)
リーダーズ英和辞典 <第3版> [並装]』(研究社)
リーダーズ・プラス』(研究社)

『高慢と偏見』を原書で読む(第38回)

(テキスト41ページ、1行目〜)

CHAPTER IX

chapter(名)(書物・論文の)章 ・chapter one 第1章
I(名)(ローマ数字の)I ・IX(ix)=9
X(名)(ローマ数字の)10

Elizabeth passed the chief of the night in her sister's room, and in the morning had the pleasure of being able to send a tolerable answer to the enquiries which she very early received from Mr. Bingley by a house-maid, and some time afterwards from the two elegant ladies who waited on his sisters.

Elizabeth(名)エリザベス(女性名/愛称Bess、Bessie、Bessy、Beth、Betty、Eliza、Elsie、Lily、Lisa、Liz、Liza、Lizzie、Lizzy)
pass(他)(時間などを)過ごす、つぶす
chief(名)(物の)主要部
her(代)彼女の
in the morning 朝から晩まで
have(他)(感情・考えなどを)(心に)抱いている
pleasure(名)(the ~)(~の)喜び、光栄(of doing)
of(前)(同格関係を表わして)~という、~の、~である
able(形)(~することが)できて、(~し)えて(⇔unable)(+to do)
tolerable(形)まあまあの、悪くない、そこそこの(=reasonable)
answer(名)(行為による)反応、応答
to(前)(行為・作用の対象を表わして)(間接目的語に相当する句を導いて)~に
enquiry(名)=inquiry(名)質問
which(代)(関係代名詞)(制限的用法で)~する(した)(もの、事)(通例「もの」を表わす名詞を先行詞とする形容詞節をつくる)/(目的格の場合)
early(副)(時間・時期的に)早く(⇔late)
from(前)(送り主・発信人などを表わして)~から(の)
housemaid(名)家政婦、女中
time(名)(またa ~)(ある一定の長さの)期間、間
afterwards(副)(英)=afterward(副)のちに、あとで
two(形)(基数の2)2の、2個の、二人の
elegant(形)(人・行動・服装・場所など)上品な、優雅な、しとやかな
who(代)(関係代名詞)(制限的用法で)~する(した)(人)(通例「人」を表わす名詞を先行詞とする形容詞節をつくる)/(主格の場合)
wait on ~ ~に仕える
his(代)彼の

In spite of this amendment, however, she requested to have a note sent to Longbourn, desiring her mother to visit Jane, and form her own judgment of her situation.

in spite of ~ ~にもかかわらず
this(形)(指示形容詞)この/(対話者同士がすでに知っているもの(人)をさして)
amendment(名)(事態の)改善、(健康の)回復
request(他)(~に)(ものごとを)懇願する、要請する、(~するよう)頼む
have(他)(もの・人を)(~して)もらう、(~)させる(+目+過分)
note(名)(略式の)短い手紙(=message)
to(前)(方向を表わして)(到達の意を含めて)~まで、~へ、~に
desire(他)(人などに)(~して)ほしいと願う(+目+to do)
Jane(名)ジェイン(女性名/愛称Janet、Jenny)
form(他)(概念・意見などを)形づくる
judgement(名)判断(すること)、審査 ・form a judgement of ~ ~について考えをまとめる
of(前)(関係・関連を表わして)~の点において、~に関して、~について
situation(名)(事の)状態、情勢、事態

The note was immediately dispatched, and its contents as quickly complied with.

immediately(副)直ちに、即座に、早速
dispatch(他)(通信文を)(~へ)急いで送る
its(代)それの、あれの、その
content(名)(複数形で)(書物・文書などの)内容
as(副)(通例as ~ as ~で、形容詞・副詞の前に置いて)(~と)同じ程度に、同様に、同じくらい(as ~ as ~で前のasが指示副詞、後のasは接続詞)
comply(自)(要求・規則に)応じる、従う、(基準を)満たす(with)
with(前)(処置・関係の対象を導いて)~に対して、~について、~にとっては

Mrs. Bennet, accompanied by her two youngest girls, reached Netherfield soon after the family breakfast.

Bennet ベネット(Jane Austen, Pride and Prejudiceに登場する一家)
accompany(他)(人が)(別の人に)同行する、ついていく
two(形)(基数の2)2の、2個の、二人の
girl(名)(しばしばone's ~)(年齢に関係なく)娘
family(形)家族の、家庭の

Had she found Jane in any apparent danger, Mrs. Bennet would have been very miserable; but being satisfied on seeing her that her illness was not alarming, she had no wish of her recovering immediately, as her restoration to health would probably remove her from Netherfield.

find(他)(~が)(~であると)知る、感じる、わかる(+目+補)
in(前)(状態を表わして)~の状態に(で)
any(形)(疑問文・条件節で名詞の前に置いて)(可算の名詞の複数形または不可算の名詞につけて)いくらかの~、何人かの~
would(助動)(仮定法(叙想法)で用いて)(would have+過分で/過去の事柄について帰結節で無意志の仮定を表わして)~しただろう
miserable(形)(人が)(貧困・不幸・病弱などのために)みじめな、不幸な、哀れな
satisfied(形)納得して、確信して(=convinced)(+that)
on(前)(時間の接触を表わして)~するとすぐに、~と同時に(動作名詞または動名詞に伴う)
see(他)(人に)会う、面会する
that(接)(名詞節を導いて)(~)ということ/(目的語節を導いて)
illness(名)病気
alarming(形)大変な
wish(名)願い、願望、希望、要請
recover(自)(~から)(健康を)回復する
immediately(副)直ちに、即座に、早速
as(接)(原因・理由を表わして)~だから、~ゆえに
restoration(名)もとの状態(地位)に戻る(戻す)こと、復帰(to)
would(助動)(条件節の内容を言外に含め陳述を婉曲(えんきょく)にして)~であろう、~でしょう
remove(他)(もの・人を)(~から)(~へ)移す、移動させる(from)
from(前)(分離・除去などを表わして)~から(離して)

She would not listen therefore to her daughter's proposal of being carried home; neither did the apothecary, who arrived about the same time, think it at all advisable.

would(助動)(過去の意志・主張・拒絶を表わして)(どうしても)~しようとした
listen(自)(~に)耳を貸す、従う(to)
therefore(副)それゆえに、従って、それ(これ)によって(=consequently)
to(前)(行為・作用の対象を表わして)~に対して、~に
proposal(名)提案
carry(他)(~を)(他の場所へ)(持ち)運ぶ、運搬する
home(副)わが家へ
neither(副)(否定を含む文または節に続いて)~もまた~しない(でない)(この用法のneitherは常に節または文の先頭に置かれ、そのあとは「助動詞+主語」の語順となる)
do(助動)(強調・釣り合いなどのため述語(の一部)を文頭に置く時に)
apothecary(名)(古)薬屋(人)(もと医療も行なった)
who(代)(関係代名詞)(非制限的用法で/通例前にコンマが置かれる)そしてその人は
about(前)(周囲を表わして)~ごろ(に)、およそ~
time(名)(特定の)時、時期
think(他)(~を)(~だと)思う、みなす(+目+補)
advisable(形)(通例it is ~で)当を得て、賢明で(=wise/⇔inadvsable)

After sitting a little while with Jane, on Miss Bingley's appearance and invitation, the mother and three daughters all attended her into the breakfast parlour.

little(形)(時間・距離など)短い(⇔long)
while(名)(a ~)(短い)間、暫時(ざんじ) ・a while しばらくの間
appearance(名)(通例単数形で)出現(すること)
three(形)(基数の3)3の、3個の、3人の
all(代)(複数扱い)(同格にも用いて)だれも、みな
attend(他)(召し使いなどが)世話をする、(人に)随行する
parlour(名)客間

Bingley met them with hopes that Mrs. Bennet had not found Miss Bennet worse than she expected.

with(前)(様態の副詞句を導いて)~を示して、~して
hope(名)期待(+that)
that(接)(名詞節を導いて)(~)という/(同格節を導いて)
worse(形)(illの比較級で)(病人など)(容態・気分など)(~より)よくなくて、悪化して

Indeed I have, sir,” was her answer.

sir(名)(意見などをする時または皮肉に)君!、おい!、こら!

“She is a great deal too ill to be moved. Mr. Jones says we must not think of moving her. We must trespass a little longer on your kindness.”

great(形)(通例数量を表わす名詞を伴って)多数の、多量の、たくさんの
deal(名)(a great dealで)(副詞的に/強意句としてmore、less、too many、too muchまたは比較級の前につけて)かなり、ずっと、だいぶ
too(副)(形容詞・副詞の前に置いて)(~するには)~すぎる、非常に~で(~する)ことができない(to do)
Jones ジョーンズ
say(他)(人に)(~と)言う、話す、述べる、(言葉を)言う(+that)
must(助動)(否定文で禁止を表わして)~してはいけない
think of ~ ~のことを考える(+doing)
trespass(自)(人の好意などに)つけ込む、迷惑をかける(on)
little(副)(a ~で肯定的用法で/しばしば比較級の形容詞・副詞に伴って)少し、少しは
long(副)長く、長い間、久しく
on(前)(不利益を表わして)~に対して
your(代)あなた(たち)の、君(ら)の
kindness(名)親切、優しさ、いたわり

“Removed!” cried Bingley.

cry(他)(~を)大声で叫ぶ、どなる(+引用)

“It must not be thought of. My sister, I am sure, will not hear of her removal.”

my(代)私の
sure(形)確信して(⇔unsure)(+that)
will(助動)(話し手の推測を表わして)~だろう
hear of ~ ~のこと(消息)を聞く
removal(名)移動、移転
【参考文献】
Pride and Prejudice (Penguin Classics)』Jane Austen・著
自負と偏見 (新潮文庫)小山太一・訳
新英和中辞典 [第7版] 並装』(研究社)
リーダーズ英和辞典 <第3版> [並装]』(研究社)

『ロビンソン・クルーソー』を原書で読む(第147回)

(テキスト149ページ、3行目〜)

Such were these earnest wishings, that but one man had been sav'd!

such(代)(単数または複数扱い)(先行の名詞に代わり、また既述内容をさして補語に用いて)そのような人(もの)
earnest(形)まじめな、真剣な
wish(自)(容易に得られ(そうに)ないものを)望む、願う、欲する
that(接)(感嘆文をなして)(that節中に仮定法過去形を用い願望を表わして)~すればよいのだが!
but(副)ただ、ほんの、~だけ
sav'd→saved

O that it had beeb but one!

O(間)(常に大文字で、直後にコンマまたは!は用いない)(驚き・恐怖・苦痛・願望などを表わして)ああ!、おお!、おや!
it(代)(心中にあるかまたは問題になっている人・もの・事情・出来事・行動などをさして)
one(名)(通例無冠詞)ひとつ、一人、1個

I believe I repeated the words, O that it had been but one! a thousand times; and the desires were so mov'd by it, that when I spoke the words, my hands would clinch together, and my fingers press the palms of my hands, that if I had had any soft thing in my hand, it would have crush'd it involuntarily; and the teeth in my head would strike together, and set against one another so strong, that for some time I could not part them again.

believe(他)(~と)思う、信じる(+that)
word(名)(しばしば複数形で)(口で言う)言葉
thousand(形)(通例a ~)何千もの
time(名)(頻度を表わし、通例副詞句をなして)回、度
desire(名)(~を求める)欲望、欲求
so(副)(程度・結果を表わして)(so ~ that ~で)(順送りに訳して)非常に~なので~
mov'd→moved
that(接)(副詞節を導いて)(so ~ thatの形で程度・結果を表わして)(非常に)~なので、~(する)ほど
when(接)~する時に、~時(時を表わす副詞節をつくる)
speak(他)(人に)(言葉を)話す
my(代)私の
would(助動)(話し手の過去についての推測を表わして)~だったろう
clinch(他)(ものを)締めつける、固定する(together)
together(副)(しばしば合同・結合の意の動詞に伴って強意的に)
palm(名)手のひら
any(形)(可算の名詞の単数形につけて)何か(どれか)一つの、だれか一人の
would(助動)(仮定法(叙想法)で用いて)(~ have+過分で/過去の事柄について帰結節で無意志の仮定を表わして)~しただろう
crush'd→crushed
crush(他)(~を)押しつぶす、押し砕く
involuntarily(副)思わず知らず
strike(自)衝突する、当たる
set against(~を)けしかけて~を攻撃させる
one another お互い(に、を)
strong(副)強く、力強く、猛烈に、途方もなく
for(前)(時間・距離を表わして)~の間(ずっと)
time(名)(またa ~)(ある一定の長さの)期間、間
part(他)(~を)分ける

Let the naturalists explain these things, and the reason and manner of them; all I can say to them, is to describe the fact, which was even surprising to me when I found it; though I knew not from what it should proceed; it was doubtless the effect of ardent wishes, and of strong ideas form'd in my mind, realizing the comfort, which the conversation of one of my fellow-Christians would have been to me.

let(他)(使役を表わして)(人に)(働きかけて)(~)させる(+目+原形)
naturalist(名)博物学
thing(名)(無形の)こと、事(柄)、事件
all(代)(単数扱い)(関係詞節を従えて)(~の)すべてのこと(関係代名詞は通例省かれる)
to(前)(行為・作用の対象を表わして)~に対して、~に
describe(他)(~を)言葉で述べる、記述する、描写する
which(代)(関係代名詞)(非制限的用法で/通例前にコンマが置かれる)(主格・目的格の場合)そしてそれは(を)
surprising(形)驚くべき、意外な(⇔unsurprising)
to(前)(行為・作用の対象を表わして)~にとっては、~には
know(他)(~を)知る、知っている、(~が)わか(ってい)る(+that)/(+wh.)
from(前)(出所・起源・由来を表わして)~から(来た、取ったなど)
what(代)(疑問代名詞)(不定数量の選択に関して用いて)何、どんなもの(こと)、何もの、何事/(目的語の場合)
should(助動)(可能性・期待を表わして)きっと~だろう、~のはずである
proceed(自)(~から)発する、生ずる、由来する(from)
doubtless(副)疑いなく、確かに
effect(名)(原因から直接引き起こされる)結果(⇔cause)
ardent(形)燃えるような、熱烈な、熱心な(=fervent)
wish(名)願い、願望、希望、要請
strong(形)(精神力・記憶力など)強い、強力な
form'd→formed
form(他)(ものを)形づくる、形成する
realize(他)(事実などを)はっきり理解する、悟る、了解する
comfort(名)慰め、慰安
conversation(名)会話、談話、対話、座談、会談
one(代)(単数形で)(特定の人(もの)の中の)一つ、1個、一人(of)
of(前)(部分を表わして)~の中の
fellow(形)仲間の、同輩の、同僚の、同業の
Christian(名)キリスト教徒、キリスト(教)信者、クリスチャン

But it was not to be; either their fate or mine, or both, forbid it; for till the last year of my being on this island, I never knew whether any were sav'd out of that ship or no; and had only the affliction some days after, to see the corps of a drowneded boy come on shore, at the end of the island, which was next the shipwreck:

either(副)(either ~ or ~で相関接続詞的に)~かまたは~か(どちらでも、いずれかを)
their(代)彼ら(彼女ら)の
fate(名)運命、宿命
or(接)(eitherと相関的に用いて)~かまたは~か
mine(名)私のもの(さす内容によって単数または複数扱いとなる)
both(代)(複数扱い)両者、両方、双方
forbid(他)(状況などが)(~(すること)を)許さない、妨げる、不可能にする
for(接)(通例コンマ、セミコロンを前に置いて、前文の付加的説明・理由として)という訳は~だから(=as、since)
never(副)(notよりも強い否定を表わして)決して~ない
any(代)(疑問文・条件節でany of ~の形か既出名詞の省略の形で用いて)何か、だれか
sav'd→saved
out of(前)~の中から外へ、~の外へ(⇔into)
no(副)(~ or noで)(~であるのか)ないのか ・I don't know whether it's true or no. 事の真偽は知らない。
have(他)(感情・考えなどを)(心に)抱いている
only(副)ただ~だけ、~にすぎない
affliction(名)(心身の)苦悩、苦痛、難儀
after(副)(時を表わして)あとに、後に
see(他)(~を)見る、(~が)見える(+目+原形)
corps→corpse(名)(特に人間の)死体、死骸(しがい)
drownded→drowned(形)おぼれ死んだ、溺死した
on shore 陸に、上陸して ・come on shore 上陸する
end(名)(細長いものの)端、末端、先端(of)
next(前)~の次(隣)の(に)、~に最も近い(近く)
shipwreck(名)難破船

He had on no clothes, but a seaman’s wast-coat, a pair of open knee'd linnen drawers, and a blew linnen shirt; but nothing to direct me so much as to guess what nation he was of:

have on(着物・帽子・靴などを)身につけている、着て(かぶって、はいて)いる
seaman(名)船乗り、海員、船員、水夫(=sailor)
wast-coat→waistcoat(名)(英)チョッキ、ベスト
pair(名)(ズボンの)1着(a piece of ~は単数扱い)
of(前)(分量・内容を表わして/数量・単位を表わす名詞を前に置いて)~の
knee'd→kneed(形)knee(ひざ)をもった
linnen→linen(形)リンネル(型)の
drawers(名)(複)ズボン下、ズロース ・a pair of ~ ズボン下1着
blew→blue
direct(他)(~に)(~するように)指図する、指示する、命令する(+目+to do)
so much as ~(not、withoutに伴い、また条件節に用いて)~さえも、~すらも
guess(他)(十分知らないで、また十分考えないで)推測する(+wh.)
what(形)(疑問形容詞)(間接疑問の節を導いて)何の、どんな
nation(名)(1の国民から成る)国家
of(前)(起源・出所を表わして)~から、~の ・be of ~の出である

He had nothing in his pockets but two Pieces of Eight, and a tobacco pipe; the last was to me of ten times more value than the first.

his(代)彼の
but(前)(no one、nobody、none、nothing、anythingやall、every one、またwhoなどの疑問詞などのあとに用いて)~のほかに(の)、~を除いて(た)(=except)
two(形)(基数の2)2の、2個の、二人の
piece of eight(昔のスペインの)ペソ銀貨
tobacco(名)(紙巻きたばこ(cigarette)・葉巻き(cigar)と区別して)たばこ、刻みたばこ
pipe(名)(刻みたばこ用の)パイプ、きせる
last(名)(the ~、one's ~、this(etc.)~)最後に挙げた人(もの)
of value 価値のある、貴重な
ten(形)(基数の10)10の、10個の、10人の
time(名)(複数形で)倍
first(代)(通例the ~)(~する)最初の人(もの)

It was now calm, and I had a great mind to venture out in my boat, to this wreck; not doubting but I might find something on board, that might be useful to me; but that did not altogether press me so much, as the possibility that there might be yet some living creature on board, whose life I might not only save, but might by saving that life, comfort my own to the last degree; and this thought clung so to my heart, that I could not be quiet, night nor day, but I must venture out in my boat on board this wreck; and committing the rest to God’s Providence, I thought the impression was so strong upon my mind, that it could not be resisted, that it must come from some invisible direction, and that I should be wanting to my self if I did not go.

now(副)(過去時制の動詞とともに)(物語の中で)今や、そのとき、それから、次に
calm(形)(海・天候など)(波やあらしがなく)穏やかな、静かな(⇔stormy)
have(他)(感情・考えなどを)(心に)抱いている
mind(名)(通例単数形で)(+to do)(~する)意向、つもり ・have a great mind to do よっぽど~したいと思う
venture(自)(副詞句を伴って)危険を冒して(思い切って)行く
out(副)(船など)陸を離れて、沖へ(出て)
in(前)(場所・位置・方向などを表わして)(乗り物など)に乗って
my(代)私の
to(前)(方向を表わして)(到達の意を含めて)~まで、~へ、~に
this(形)(指示形容詞)この(⇔that)/(対話者同士がすでに知っているもの(人)をさして)
wreck(名)難破船、破船
not(副)(不定詞・分詞・動名詞の前に置いてそれを否定して)(~し)ない
doubt(他)(~を)疑う、(~に)疑念をもつ、(~かどうかを)疑わしいと思う
but(接)(従位接続詞)(しばしばbut thatで否定文または疑問文に用いられたdoubt、denyなどのあとに名詞節を導いて)~ということ
might(助動)(直説法過去)(主に間接話法の名詞節中で、時制の一致により)(不確実な推量を表わして)~かもしれない
find(他)(探して)(人・ものを)見つけ出す
on board 船上(船内、機内)に(の)
that(代)(関係代名詞)(人・ものを表わす先行詞を受けて通例制限用法で)(~する(である))ところの/(主語として)
to(前)(行為・作用の対象を表わして)~にとっては、~には
that(代)(指示代名詞)(前に言及しているか、場面上了解されている物事をさして)そのこと
not(副)(all、both、every、alwaysなどとともに用いて部分否定を表わして)~とは限らない、必ずしも~でない(しない)
altogether(副)まったく、完全に(notとともに用いると部分否定になる)
press(他)(人を)せきたてる、強いる
so(副)(程度を表わして)(so ~ as ~で)(否定語の後で)~ほどには~、~と同じ程度には~(でない)
much(副)(動詞を修飾して)おおいに、たいそう、非常に
as(接)(as(so)~ as ~で同程度の比較を表わして)~と同じく、~と同様に、~のように、~ほど
possibility(名)(またa ~)あり(起こり)うること、可能性(⇔impossibility)(+that)
that(接)(名詞節を導いて)(~)という/(同格節を導いて)
there(副)(thereは形式上主語のように扱われるが、動詞の後に通例不特定のものや人を表わす主語が続く/「そこに」の意味はなく、日本語はthere isで「~がある」の意になる)/(beを述語動詞として)
might(助動)(直説法過去で)(主に間接話法の名詞節中で、時制の一致により)(不確実な推量を表わして)~かもしれない
yet(副)(進行形かそれ自体継続の意味を持つ動詞とともに肯定文で用いて)今(まだ)、今なお、依然として
some(形)(不明または不特定のものまたは人をさして)(単数形の可算の名詞を伴って)何かの、ある、どこかの
living(形)生きている(⇔dead)
creature(名)(特に)動物
on board 船上(船内、機内)に(の)
whose(代)(関係代名詞)(非制限的用法で/通例前にコンマが置かれる)そしてその人(たち)の
life(名)(個人の)命、生命 ・save a person's life 命を救う
not only ~ but ~ ~だけでなくまた~
by(前)(手段・方法・原因・媒介を表わして)(doingを目的語にして)(~すること)によって
that(形)(指示形容詞)(対話者同士がすでに知っているもの・人・量をさして)あの(⇔this)
comfort(他)(人を)慰める
own(代)(one's ~/独立用法で)わがもの、わが家族、いとしい者
to the last degree 極度に
thought(名)(理性に訴えて心に浮かんだ)考え
clung(動)clingの過去形・過去分詞
cling(自)(~に)くっつく、くっついて離れない、ぴったりつく(to)
to(前)(接触・結合・付着・付加を表わして)~に、~へ
heart(名)(感情、特に優しい心・人情が宿ると考えられる)心、感情
could(助動)(過去形の主節の時制の一致により従属節中のcanが過去形に用いられて)~できる、~してよい
quiet(形)心の安らかな、静かでくつろいだ
day(名)(日の出から日没までの)日中、昼(間)(⇔night)
but(接)(従属接続詞)(しばしばbut thatで否定の主節に対して条件節を導いて)~しないなら、~でなければ(butの節中の動詞は直説法)
commit(他)(仕事・人などを)(~に)ゆだねる、任す(to)
rest(名)(the ~)残り、残余(不可算をさす時は単数扱い、可算(複数名詞)をさす時は複数扱い)
providence(名)(しばしばProvidence)(またa ~)摂理、神意、神慮、天佑神助
think(他)(~と)思う、考える(+that)
impression(名)(通例単数形で)(漠然とした)感じ、気持ち(=feeling)
strong(形)(精神力・記憶力など)強い、強力な
resist(他)(~に)抵抗する、反抗する
that(接)(名詞節を導いて)(~)ということ/(目的語節を導いて)
must(助動)(当然の推定を表わして)~にちがいない、~に相違ない、きっと~だろう
come(自)(~から)生じる、起こる(from)
invisible(形)目に見えない
direction(名)方向、方角
should(助動)(可能性・期待を表わして)きっと~だろう、~のはずである
wanting(形)(~が)なくて(=deficient、lacking)
myself(代)(再帰的に用いて)(前置詞の目的語に用いて)私自身を(に)

Under the power of this impression, I hasten'd back to my castle, prepar'd every thing for my voyage, took a quantity of bread, a great pot for fresh water, a compass to steer by, a bottle of rum; for I had still a great deal of that left; and a basket full of raisins:

under(前)(状態を表わして)(~の支配・監督・影響など)のもとに
power(名)影響力、権力、勢力、支配力
hasten'd→hastened
hasten(自)(副詞句を伴って)急ぐ、急いで行く(する)
back(副)戻って、逆戻りして、戻して
prepar'd→prepared
for(前)(目的・意向を表わして)~のために、~を目的として
voyage(名)(船・飛行機・宇宙船による)旅、船旅、航海、航行、飛行
quantity(名)(ある特定の)分量、数量(=amount)(of)
pot(名)ポット(丸くて深い陶器・金属・ガラス製のつぼ・鉢・かめ・深なべなど/取っ手のあるものもないものもある/日本語で「魔法瓶」を「ポット」と言うが、その意味は英語にはない)
fresh(形)(水が)塩分のない ・fresh water 淡水、真水
compass(名)羅針盤(儀)
steer(自)(~に向けて)かじを操る
by(前)(手段・媒介を表わして)~で
bottle(名)ひと瓶の量(of)
rum(名)ラム酒(糖みつまたはサトウキビから造る)
have(他)(~を)(~)してしまう(+目+過分) ・She had little money left in her purse. 彼女の財布には少ししかお金が残っていなかった。
great(形)(通例数量を表わす名詞を伴って)多数の、多量の、たくさんの
deal(名)(a great deal of ~で)かなりたくさんの~
that(代)(反復の代名詞として)(~の)それ
leave(他)(~を)(余りとして)残す、とり残す(しばしば受身)
of(前)(目的格関係を表わして)(形容詞に伴って)~を
raisin(名)干しぶどう、レーズン
【参考文献】
Robinson Crusoe (Penguin Classics)』Daniel Defoe・著
ロビンソン・クルーソー (河出文庫)』武田将明・訳
新英和中辞典 [第7版] 並装』(研究社)
リーダーズ英和辞典 <第3版> [並装]』(研究社)

『みずうみ(湖畔、インメンゼー)』を原文で読む(第10回)

(テキスト18ページ、2行目〜)

„Nach Indien, nach Indien!“ sang er und schwenkte sich mit ihr im Kreise, daß ihr das rote Tüchelchen vom Halse flog.

nach(前)(3格とともに)(方向・目標)~(の方)へ、~に向かって(英:to)
Indien(中)(国名)インド(共和国)(首都はニューデリー
singen(他)(歌など4格を)歌う(過去:sang)(過分:gesungen)(完了:haben)
schwenken再帰)旋回する、回転する(完了:haben)
mit(前)(3格とともに)~と(いっしょに)(英:with)
in(前)(方法・様態)(3格と)~で
der Kreis(男)円、円周(英:circle)(複:Kreise)
dass(接)(従属接続詞/動詞の人称変化形は文末)(結果)その結果~、そのため~
rot(形)赤い、赤色の(英:red)(比較:röter)(最上:rötest)
das Tuch(中)(さまざまな用途のために加工された)布(英:cloth)(複:Tücher)
~el(名詞につけて中性の縮小名詞をつくる/幹母音の変音を伴う)(→-chen)「小さい。かわいい」の意
~chen(中性の縮小名詞をつくる接尾/幹母音がa、o、u、auの場合は変音する)(小・親愛・軽蔑)
von(前)(3格とともに)(2格・所有代名詞の代用)~の(英:of)
der Hals(男)首、首すじ(英:neck)(複:Hälse
fliegen(自)(旗・髪などが)はためく、なびく(過去:flog)(過分:geflogen)(完了:sein)

Dann aber ließ er sie plötzlich los und sagte ernst:

dann(副)それから、そのあと(英:then)
aber(接)(並列接続詞)(相反・対比)しかし、けれども、だが(英:but)
los|lassen(他)離す(過去:ließ ~ los)(過分:losgelossen)(完了:haben) ・du lässt ~ los、er lässt ~ los
plötzlich(副)突然、急に、不意に(英:suddenly)
sagen(他)(事4格を)言う、述べる(英:say)(過去:sagte)(過分:gesagt)(完了:haben)/(引用文とともに)
ernst(形)まじめな、真剣な(英:serious)(比較:ernster)(最上:ernstest)

„Es wird doch nichts daraus werden; du hast keine Courage.“

es(代)(人称代名詞)(形式的な主語として)(自動詞の受動文および再帰的表現で)
werden(助動)(未来の助動詞)(他の動詞の不定詞とともに未来形をつくる)(未来・推量)~だろう(過去:wurde)(過分:geworden)(完了:sein) ・du wirst、er wird
doch(接)(並列)しかし、だが(→aber)
nichts(代)(不定代名詞/無変化)何も~ない(英:nothing)
daraus(副)(werden、machenとともに)daraus werden それが~になる
werden(自)(~に)なる(英:become)(過去:wurde)(過分:geworden)(完了:sein) ・du wirst、er wird/(非人称のesを主語として)
kein(冠)(否定冠詞)一つも(少しも)~ない、一人も~ない(英:no、not a)
die Courage(女)勇気、大胆さ(=Mut)(複:なし)

 ――„Elisabeth! Reinhard!“ rief es jetzt von der Gartenpforte.

Elisabeth(女名)エリーザベト(複:なし)
Reinhard(男名)ラインハルト(複:なし)
rufen(他)(~と)叫ぶ、大声で言う(過去:rief)(過分:gerufen)(完了:haben)
es(代)(人称代名詞)(形式的な主語として)(主語を明示しないで出来事に重点を置く表現で)
jetzt(副)(過去形の文で)そのとき、今や(英:now)
von(前)(3格とともに)(空間的な起点)~から(英:from)
der Garten(男)庭、庭園(英:garden)(複:Gärten)
die Pforte(女)(小)門、木戸、通用門(英:gate)(複:Pforten)

„Hier! Hier!“ antworteten die Kinder und sprangen Hand in Hand nach Hause.

hier(副)(空間的に)ここに、ここで(英:here)/Hier!(名前を呼ばれて)はい
antworten(他)(事4格と)答える、返事する(過去:antwortete)(過分:geantwortet)(完了:haben) ・du antwortest、er antwortet
das Kind(中)子供(英:child)(複:Kinder)
springen(自)(~へ)駆けつける、急いで行く(過去:sprang)(過分:gesprungen)(完了:sein)
die Hand(女)手(英:hand)(複:Hände)/(前置詞とともに)Hand in Hand 手に手を取って、いっしょに
das Haus(中)家、建物(英:house)(複:Häuser)/(nach Hauseまたはnachhauseの形で)nach Hause gehen(またはkommen)家へ帰る、帰宅する、帰郷する
【参考文献】
みずうみ (対訳シリーズ)』中込忠三、佐藤正樹・編(同学社)
アポロン独和辞典』(同学社)
新コンサイス独和辞典』(三省堂
新現代独和辞典』(三修社

フランス語を学ぼう

フランス語を学ぼう
僕には、昔からフランス文化への憧れがありました。
思い起こせば、高校1年の頃、太宰治にハマりまして。
この太宰の出身校(ただし、中退)が東京帝国大学文学部仏文科だというので、「大学は仏文科に進むぞ」と、漠然と思ったのでした。
実は、仏文科が何をするところなのかも、よく知らなかったのですが。
(そして、太宰が実はフランス語を学んでおらず、教授のコネで仏文科に入れてもらったということも、遥か後に知ることになるのですが。)
続いて、高校2年の時、確か『AERA』だったと思うのですが、『小さな泥棒』という映画の紹介記事を、たまたま目にしました。
主演はシャルロット・ゲンズブール
僕は、この記事の小さな写真で、彼女のことが大変気になりました。
当時、僕の出身地である京都には「朝日シネマ」というミニシアターがあり、東京で公開されたフランス映画などを、半年遅れくらいで上映していたのです。
そして、『小さな泥棒』も朝日シネマで上映されるということで、僕はいそいそと出掛けました。
映画を観て、簡単に言うと、僕は彼女に恋してしまったのです。
彼女の写真集やCDなども買いました。
CDを聴きながら、全く分からないフランス語の音マネをし、歌詞カードを見ては、「大学に入学したら、フランス語を勉強しよう」と思ったものでした。
高校の卒業文集にも、僕が尊敬する映画監督であるスタンリー・キューブリックと共に、彼女のことを書いています。
ちなみに、今でも、昔ほどの思い入れはありませんが、「好きな女優は?」と訊かれたら、「シャルロット・ゲンズブール」と答えますね(ちなみに、好きな俳優はアル・パチーノ)。
まあ、彼女も今や、カンヌ映画祭の女優賞なんかも獲って、押しも押されもせぬ大女優です。
という訳で、僕は、大学は仏文科のある文学部を受験したのですが。
結局、二浪したものの、第一志望には不合格で、第二志望(夜間部)に入学しました。
そこは文学部だったのですが、仏文科はありませんでした。
ただし、年度によっては、2年次に進級する時に、昼間部への転部試験を受けられると聞きました。
仏文科に空きがあるかどうかは分かりませんが。
そこで、転部試験のことも念頭に、また、それ以前に、憧れのフランス文化に触れたいという思いで、第二外国語は、当然のようにフランス語を選択しました。
ところが、僕はフランス語の授業に、最初の1回しか出席しませんでした。
正確に言えば、バイトと映画と酒に夢中で、大学に通うことそのものに挫折したのですが。
もちろん、フランス映画はさんざん観ましたし、シャルロットから始まって、フレンチ・ポップスなどもよく聴いてはいました。
でも、最終的に大学は中退してしまったのです。
その後、社会人になってしばらく経ってから、大学を中退したことを後悔し、再度、勉強し直そうと、日大通信に編入します。
ただ、外国語は、その頃、旧制高校文化に関心があったのと、当時、仲の良かった女の子(現・細君)が大学ではドイツ語選択だったということで、僕もドイツ語を選びました。
ドイツ語の方は、その後、独学で『若きウェルテルの悩み』を原書で読破したので、マスターしたとは到底言えないものの、自分では納得しています。
しかしながら、フランス語のことは、キレイさっぱり忘れていました。
たった1時間だけ大学の授業を受けてから四半世紀。
つい先日のことですが、仕事の後で、付き合いのある編集者の方と飲みに行きました。
その方は、僕と同じ学部の出身ということで、学生時代の話しなどで盛り上がったのですが。
「好きな女優は誰ですか?」と訊かれたので、僕は、例によって、「シャルロット・ゲンズブールです」と答えました。
それから、フランス映画の話しなどをひとしきりしたのですが、そうしているうちに、忘れていたフランス文化への関心がムクムクとよみがえって来たのです。
「よし、フランス語を勉強しよう!」
そう決意した翌日、僕は新宿の紀伊国屋語学書コーナーへ、辞書と参考書を購入しに向かったのでした。
フランス語入門書について
事前に、アマゾンで検索すると、フランス語の初級文法書で、売れ筋のものは3点ありました。
一つ目は、『フラ語入門、わかりやすいにもホドがある!(CD付・改訂版)』清岡智比古・著(白水社)。
これは、タイトルがふざけ過ぎているのと、練習問題がないとのことで、除外しました。
確かに、フランス語の文法概念には、英語にはないものもあり(特に時制)、初心者にはとっつき難いかも知れません。
とは言え、しょせんは同じインド・ヨーロッパ語族なので、日本語と比べると、遥かに似ています。
ですから、わざわざ話し言葉でくだけた説明を受けなくても、普通に解説してくれれば理解出来るでしょう。
僕は、それでドイツ語もラテン語も勉強しました。
それに、文法学習において、練習問題は重要です。
説明を聞いて分かったつもりになっても、練習問題を解いてみると、全然理解していなかったということが、よくあるからです。
二つ目は、『これならわかるフランス語文法 入門から上級まで』六鹿豊・著(NHK出版)。
これは、500ページ以上もある大部の参考書ですが、「入門から」とうたっているにも関わらず、「発音」の章がないので、やはり除外しました。
フランス語は、発音が非常に難しいです。
僕は、会話には全く興味がなく、フランス文学を原書で読みたいと思っているのですが、それでも発音が重要なのは言うまでもありません。
文法学習が終わってからも、後々、折に触れて参照するはずの文法書に、発音の章がないというのは、致命的です。
という訳で、結局、次の本を選びました。

増補改訂版 新・リュミエール―フランス文法参考書

増補改訂版 新・リュミエール―フランス文法参考書

初版は2013年(増補改訂版)。
著者は、森本英夫(大阪市立大学甲南女子大学名誉教授)氏、三野博司(奈良女子大学名誉教授、放送大学特任教授)氏。
この参考書は、改訂される前の初版は1992年とのことで、伝統のある本です。
僕が大学で受けたフランス語のガイダンスでも、先生がこの本を薦めていました。
実際に使ってみると、少し章分けが細か過ぎたり、練習問題に、未だ習っていない文法事項が出て来たりもしますが。
それでも、初級文法の必要事項を網羅した、良い参考書だと思います。
語学学習の基本は、こうした定番的な文法書(英語で言えば、『フォレスト』のような)を、まずは一通り終えることだと思います。
僕は、昨年(2018年)の12月から今年(2019年)の2月中旬まで、2ヵ月強の間、毎日、仕事が終わった後に、会社の近くの喫茶店に寄って、本書に取り組みました。
辞書について
学習用の仏和辞典(英語で言えば、『クラウン』『アンカー』『ライトハウス』などに当たる)については、売れ筋のものが3点あります。
『クラウン仏和辞典』(三省堂)、『プチ・ロワイヤル仏和辞典』(旺文社)、『ディコ仏和辞典』(白水社)です。
このうち、『プチ・ロワイヤル』と『ディコ』は、僕が受けたフランス語のガイダンスでも、先生が薦めていたような気がします(『クラウン』を何故、薦めていなかったのかは分かりません)。
これらは、3万語から5万語程度の収録語数があり、第二外国語として2年間学ぶ、つまり、初級文法から中級の講読までは使えるように作られているはずです。
ほかに、入門用の辞書として、『パスポート初級仏和辞典』(白水社)や『ベーシック・クラウン仏和・和仏辞典』(三省堂)などがあります。
これらは、初級文法の教科書だけを学んでいるうちは良いのですが、実際に講読の授業が始まると、語彙数が少ないので、すぐに使えなくなるでしょう。
ですので、本格的にフランス語を学びたいなら、避けた方が無難です。
僕は、上述の学習用仏和辞典のうち、一番伝統があるという理由で、『クラウン』を選びました。
クラウン仏和辞典 第7版

クラウン仏和辞典 第7版

初版は2015年(第7版)。
ただし、改訂前の初版が発行されたのは1978年で、日本で最初の学習仏和辞典です。
実際に使ってみると、例えば、カナ発音表記が重要語にしかないとか、該当英単語が一部にしか記されていないとか、不便な点はあります。
また、ドイツ語と比べて、フランス語は動詞の活用が複雑なので、結局、巻末の活用表や文法書を参考しなければなりません。
まあ、これは辞書のせいではないのでしょうが。
英語に比べれば、選べる辞書の種類は少ないですが、それでも、ドイツ語と並ぶ第二外国語の王者(もっとも、今では中国語や韓国語も人気なのでしょうが)なので、たくさんのものが発行されています。
単語集について
単語集については、僕は否定派です。
ただ単に単語と意味が羅列してあるだけで、あんなものでは、到底覚えられません。
例文も、あったとしても一文くらいで、多義語になると、全く足りないでしょう。
結局は、辞書を引きながら、出会ったものを一つ一つ覚えて行くしかありません。
もし、単語集に意味があるとすれば、リストとしてのみでしょう。
例えば、初心者向けの単語集なら、初級に必要な約1500の単語が、一体どれとどれなのかが分かります。
ですから、単語集を買ったら、載っている単語について、辞書にアンダーラインを引いておくと、どれが重要語なのか、ひと目で分かって便利です。
もっとも、そんなことをしなくても、ほとんどの学習辞典では、重要語は色刷りにしたり、大きな活字を使ったりしていますが。
なお、仏検などの検定用単語集は、範囲が偏っていて、その試験を目指す人にしか役に立ちません。
アマゾンによると、単語集の売れ筋は、次のものだそうです。
CDブック これなら覚えられる!  フランス語単語帳

CDブック これなら覚えられる! フランス語単語帳

初版は2008年。
著者は、六鹿豊(元・白百合女子大学教授)氏。
ただし、単語集については、僕は実際に使っていないので、何とも言えません。
さあ、それでは、上に紹介した本を使って、フランス語を学びましょう!

『恐怖の岬』

この週末は、ブルーレイで『恐怖の岬』を見た。

1962年のアメリカ映画。
監督は、『ナバロンの要塞』『猿の惑星・征服』『最後の猿の惑星』の巨匠J・リー・トンプソン
音楽は、『地球の静止する日』『ハリーの災難』『間違えられた男』『知りすぎていた男』『めまい』『シンドバッド七回目の航海』『北北西に進路を取れ』『サイコ』『鳥』『マーニー』『タクシードライバー』のバーナード・ハーマン
主演は、『大いなる西部』『ナバロンの要塞』『西部開拓史』『アラバマ物語』『オーメン』の大スター、グレゴリー・ペック
共演は、『眼下の敵』『史上最大の作戦』のロバート・ミッチャム、『十二人の怒れる男』『サイコ』『ティファニーで朝食を』『トラ・トラ・トラ!』『大統領の陰謀』のマーティン・バルサム、『アパートの鍵貸します』のジャック・クルーシェン、『女王陛下の007』『戦略大作戦』のテリー・サバラス、『理由なき反抗』のエドワード・プラット。
なお、本作のリメイクがマーティン・スコセッシ監督、ロバート・デ・ニーロ主演の『ケープ・フィアー』である。
僕は見ていないが、公開当時、大変話題になっていたことを覚えている。
当時は、カタカナなので全く気付かなかったが、「恐怖の岬」って「cape fear」じゃないか。
ユニヴァーサル映画。
モノクロ、ワイド。
不安げなテーマ曲から始まる。
葉巻を加えたマックス・ケイディロバート・ミッチャム)という男が、弁護士のサム・ボーデン(グレゴリー・ペック)を訪ねて法廷にやって来る。
サムをじっと見つめるマックス。
駐車場で、サムに声を掛ける。
サムは、マックスのことを一瞬思い出せない。
「お宅には美人の奥さんと娘さんがいるんだろ」と不気味な言葉を吐くマックス。
サムは帰宅し、妻のペギー、一人娘のナンシーとボーリングに出掛ける。
ボーリング場にもマックスがいる!
気味が悪い。
サムは彼に気付いて、声を掛けた。
マックスは「先生の家族を見ておきたくてね」などとのたまう。
サムは、友人である警察署長マーク・ダットン(マーティン・バルサム)に電話をする。
「ヤツが神経戦を仕掛けて来た。」
サムはマークに会う。
マックスは、かつて女性に暴行し、サムが法廷で証言したために有罪になったと、彼のことを恨んでいた。
ここで、マックスが無実の罪で有罪になったのならば、弁護士を恨むのも分かるのだが。
本作のマックスの描写を見ている限り、明らかに性犯罪者として描かれている。
かと言って、サムがヒーローかと言うと、そうでもなく、なかなか強引な弁護士である。
マークは、マックスの住所が「波止場」と登録されていると聞いて、「放浪罪で引っ張れ」と命じる。
「放浪罪」って、そんな罪があるのか!
じゃあ、僕が休みの日に調布駅前をブラブラしていたら、駅前交番のポリスマンが僕を逮捕出来るのか!
まあ、僕の住所は「波止場」ではないが。
本作は、警察権力の横暴にも一石を投じている。
警察は、解釈の仕様によって、如何様にも一般市民を逮捕出来る。
僕だって、いつ何時、逮捕されるか分からない。
まあ、今のところ、逮捕されたことはないが。
しかも、日本の場合、いったん逮捕されてしまうと、99パーセント有罪になる。
こんなことが許されるのだろうか!
もちろん、本作のマックスは明らかな犯罪者なのだが。
それにしても、警察の微罪による別件逮捕も目に余る。
ここまで、主要キャストを実に手際良く紹介している。
で、マックスが酒場で飲んでいると、警察がやって来て、彼は連行されてしまう。
警察署でサムが登場すると、マックスは「Well, well, well!」と迎える。
逮捕時、マックスの所持金は7ドルであったが、銀行には5400ドルの預金があった。
「俺はずっと居座るからな!」とマックス。
「私の家には近付くな!」とサム。
翌日、マックスは釈放された。
そりゃそうだろう。
「放浪罪」なんかで、カルロス・ゴーンみたいに何ヵ月も拘留されたら、たまらん。
一方、サムの家では、飼い犬が倒れていた。
急いで車で獣医のところへ向かうサム。
しかし、手遅れであった。
ストリキニーネによって毒殺されたようである。
泣くナンシー。
サムは、当然のことながら、マックスの仕業ではないかと疑う。
サムは、ペギーとナンシーにマックスのことを打ち明ける。
しかし、「人権があるから、見込みでは逮捕出来ない。」
これは当然のことで、本作では、明らかにマックスが犯罪者であるから、警察が手出し出来ないのが歯がゆいと観客も思うのだが。
もし、怪しいだけで逮捕出来るのなら、この国は罪のない一般市民が次から次へと逮捕される恐怖国家になってしまう。
スケベそうな男性が、「痴漢しそうだから」という理由だけで逮捕されるなら、全国の男性は、満員電車で通勤出来なくなってしまう。
もっとも、結果的に、電車がガラガラになって、痴漢は減るのかも知れないが。
夜、ペギーが目覚めると、サムがいない。
不安になって探すと、サムは外で警察と話していた。
おびえるペギー。
翌日、マークがサムを呼び出し、「マックスが弁護士を雇った」と告げる。
この弁護士は悪徳弁護士として名高いらしいが、彼が繰り出すマックスの微罪逮捕の数々を聞くと、僕は到底、この弁護士を悪徳だとは思えない。
むしろ、サムとマークが、弁護士と警察という権力を利用して、一般市民を貶めようとしているように見える。
サムはマークに抗議するが、マークは「公然たる行為がないと、私は動けん」と答える。
何度も言うが、当たり前田のセンターだ。
マークはサムに「私立探偵を雇え」と言う。
マックスは、酒場でナンパした女性とドライブしていた。
それを尾行する私立探偵チャーリー・シーバース(テリー・サラバス)。
で、マックスが女性とホテルへ入ると、シーバースは警察に電話をし、「わいせつ行為でパクれる」と。
いやいや、待てよ。
そうしたら、ラブホテルに入ったカップル(のうち、しかも男の方だけ)は全員逮捕じゃないか!
合意があれば、わいせつ行為をしても何ら問題はない。
でなければ、人類は絶滅してしまう。
問題なのは、合意がない場合だけだ。
もっとも、児童買春の場合は、同意があるにも関わらず、悪いのは一方的に買った側(ほとんどは男性)で、売った側の女性は、未成年というだけで、金銭を受け取っているのに、「被害者」という扱いになるが。
本作では、明らかに女はマックスに誘われて、喜んでデートに応じている。
ホテルに入ったのも、同意の上とみなせるのではないか。
彼女はベッドに下着姿で横たわっているし。
でも、警察がやって来るんだな。
すると、さっきまでマックスにしなだれかかっていた女が、暴力をうずくまっている。
どうやら殴られたようである。
当時の検閲の問題で、はっきりとは言えないのだろうが、彼女は強姦されたことになっている。
これは、現代の感覚だと、ちょっと無理があると思う。
ドメスティック・バイオレンスが問題になるなら分かるが。
女は詳細を話したがらない。
シーバースがやって来て、「ヤツを告訴しないか」と言うが、女は首を縦に振らない。
要するに、被害者なのに、法廷で性暴力の詳細を証言しなければならないのが耐えられないのだ。
これはまた別の問題提起で、現代でも、性犯罪が親告罪であると、なかなか女性の方から訴え難いのは、これが理由だろう。
最近でも、真相は分からないので、軽々しいことは言えないが、某アイドル・グループみたいに、もみ消されたりもする。
女性は被害者なのに、女性の方が更に立場が悪くなる。
女性が解放されていなかった当時なら、もっとそうだろう。
さて、サム一家が自家ヨットに乗ろうとして波止場に来ている。
昨今の日本と違い、当時のアメリカの弁護士はヨットを所有出来るような上流階級であったようだ。
で、ナンシーが一人になったのを、じっと見つめているマックス。
手にはバドワイザーの缶。
サムが「何をしている?」と声を掛ける。
「ビールを飲んでいる。それが法律違反か?」とマックス。
「あの娘もカミさん同様に、味は良さそうだ」とのたまうマックスに、殴り掛かるサム。
だが、マックスは手出ししない。
これこそ、サムの方が暴行罪で逮捕される案件ではないのか。
しかも、サムはマックスを襲わせるために、暴力団を雇ったりしている。
如何に明らかな犯罪者が相手だとしても、余りにもダーティーではないか。
グレゴリー・ペックが男前だから許されるのかも知れないが、僕はとても感情移入出来ないね。
で、別の日。
ナンシーの学校帰り。
ペギーが毎日、車で迎えに来ているのだが。
たまたまその日は、車のところにナンシーが行っても、ペギーがいなかった。
不安になるナンシー。
彼女が車に乗って待っていると、マックスが現われる。
逃げるナンシー。
追って来るマックス。
ナンシーは校内へ。
更に追って来るマックス。
恐怖で校外へ飛び出したナンシーは、車とぶつかってしまった。
何とか無事だったものの、さあ、これからどうなる?
本作には、上述のように、問題点が多数ある。
結末の回収の仕方も、当時のハリウッド映画の限界なんだろうけど。
ただ、荒削りながらも、サスペンス映画としての要素は多分にあり、マーティン・スコセッシがリメイクしたがったのも分からなくもない。

Cape Fear (1962) Trailer

日本近代文学を文庫で読む(第1回)ガイダンス

日本近代文学を学ぼう
僕は、これまでの半生において、ロクに本を読んで来ませんでした。
小学校2年生の時、母親に初めて駅前の書店に連れて行かれてからは、毎日、学校帰りに立ち読みに寄っては店主に追い返される日々。
でも、読んでいたのは、主に雑誌や、当時、学研や小学館などから出ていた漫画版の雑学本などです。
初めて日本近代文学に触れたのは、小学校4年生の時、母に買ってもらった夏目漱石の『吾輩は猫である』でした。
母が小学生の頃、漱石の『猫』や『坊っちゃん』を夢中になって読んだから、「あんたも読みよし」ということでです。
もちろん少年版で、文章は原文どおりだったと思いますが、上・下巻に分かれており、最初は上巻だけを買い与えられました。
「上巻を読み終わったら下巻も買うたげる」とのことで、確か、上巻は読み終えたと思うのですが、結局、下巻は買ってもらえませんでした。
理由は、今となっては思い出せませんが、多分、忘れていたのでしょう。
少し飛びますが、高校1年生の時、全国の多くの高校生と同様、国語の授業で芥川龍之介の『羅生門』を読みました。
それから、芥川の作品を読んでみようと思い立ち、新潮文庫から出ていたものを何冊か読みましたが、それっきりでした。
同じ頃、高校生にありがちですが、太宰治にハマりました。
学校の図書館で、筑摩書房から出ていた全集を1巻から順に借りて、全巻(10巻)読破したのです。
後にも先にも、文学作品の全集を読破したのは、これ一度きり。
太宰は読みやすかったですし、この年代特有の鬱々とした気分に響くものがありました。
夏休みには、『人間失格』で読書感想文を書いて賞をもらったりして、ちょっと有頂天でした。
数学の授業中に太宰を読んでいて、「だから君はダメなんだ!」と本を取り上げられたこともありましたが。
何せ、数学は赤点だったもので。
ただ、それ以外に、特に日本近代文学を積極的に読んだ記憶はありません。
国語の教科書の巻末に載っている文学史の年表を見て、「ここに載っている作品を全部読もう」などと思ったこともありますが、当然ながら挫折しました。
高校時代は、学校図書館での本の貸し出し冊数は年間100冊くらいで、学年の3本指には入っていましたから、本を読まなかった方ではないと思います。
もっとも、学年1位の生徒は300冊くらい借りていたそうなので、越え難い壁がありました。
当時、読んで印象に残っている本は、講談社現代新書の『全学連全共闘』や『60年安保闘争』などです。
高校2年生の夏休みには、生まれて初めて上京して、東大の安田講堂を見に行ったりしました。
さて、高校も3年生になり、進路を決める時期です。
僕は、学校の成績はクラスでビリから2番目と、壊滅的でしたが、国語の成績だけは学年でトップだったので、当然のように文学部を目指すことにしました。
僕の第一志望だった私立大学の文学部の国語では、現代文・古文・漢文とも、毎年必ず1問ずつ文学史の問題が出題されていたのですが。
怠惰な僕は、文学史の対策を一切行ないませんでした。
唯一、当時人気講師だった代々木ゼミナールの田村秀行先生が薦めていた奥野健男氏の『日本文学史』(中公新書)を読んだくらいです。
奥野氏は太宰の評論で著名な方で、文庫の巻末の解説などもよく書かれていたので、馴染みはありました。
しかし、僕は作家と作品名はともかく、あのナントカ派というのを、興味もなかったので、全く覚えられませんでした。
ですから、この本を読んでも、何が書いてあったのか、ほとんど記憶に残っていません。
進学校だと、例えば、明治書院の『精選 日本文学史』のような、文学史のテキストを使うようです。
今、僕の手元にもありますが、ずいぶんと細かい事柄まで書かれていて、記憶力の悪い僕には、到底覚えられませんね。
僕が大学に入ってから出た『田村の「本音で迫る文学史」』(大和書房)は、読みやすくて面白い本でしたが、今では絶版になっているようです。
そんな訳で、文学史については、古文・漢文も含めて、ほとんど勉強せずに受験に挑みました。
結局、二浪しましたが、第一志望には3年連続で不合格で、第二志望に進学します。
都内の私大の文学部(夜間部)です。
僕が入学したのは1993年で、当時のシラバスを見ると、一般教養科目で「文学」という授業がありました。
国文科の先生が担当です。
確か、僕も選択したような気がするのですが、授業に出席した記憶がほとんどありません。
僕は学生時代、バイトと映画と酒に明け暮れて、ほとんど学校に行っていないのです。
僕の在籍していた学部では、1年生の時の成績で、2年生に進級する時に所属する学科が決まるのですが、僕は入学初年度はほとんど単位を取っていなかったので、留年しました。
2回目の1年生は、さすがに心を入れ替えたので、今度は進級出来ました。
その時に、文学の授業も再履修したような気がするのですが。
どうも記憶が曖昧で、シラバスを見ると、95年度の授業を受けたのではないかという気がします。
と言うのが、シラバスには、主に鴎外と漱石の作品を読むと書かれているのです。
教科書には、授業を担当された先生が書かれた『鴎外と漱石』という本が指定されています。
僕が受けた授業では、最初のガイダンスで、先生が「鴎外と漱石の作品を読んで行きます」と仰ったような記憶があるのです。
まあ、もう四半世紀前のことなので。
しかしながら、情けないことに、僕は学生時代、ロクに日本近代文学を読みませんでした。
いや、日本近代文学だけではありませんが。
進学したのが英文科だからというのもありますが、だからと言って、英文学も全く読んでいません。
結局、大学は7年在籍して、中退してしまいます。
社会人になってすぐの頃は、何も感じませんでしたが、30歳代になると、じわじわと自らの不勉強さを省みるようになりました。
それで、突然、漱石の作品を幾つか読んでみたり。
日々の忙しさに負けて、なかなか継続しなかったのですが。
ところが、ある時、水村美苗氏の『日本語が亡びるとき』を読んで、衝撃を受けます。
こんなにも深く、日本文学を読み解こうとしている人がいるのかと。
僕も、せめて日本近代文学の代表作くらいは一通り読んでおかなければ、と思ったのです。
日本人のアイデンティティーとして。
たとえ英文科の学生であったとしても、英文学を学ぶ前に、その前提として近代日本文学の教養は必要だと思うのです。
そこで、これから、日本近代文学の代表作を少しずつ読んで行きたいと思います。
テキストについて
羅針盤となる国文学史のテキストとしては、前述の高校生向けのものでも良いのですが、どうしても事項の羅列になってしまうので、ここでは、もう少し本格的な大学生向けのものを選んでみましょう。
いかに文学部が衰退しているとは言っても、国文科はさすがに最もポピュラーな学科なので、国文学史のテキストも無数に出版されています。
ところが、1冊で上代から近代まで網羅しているものは多くありません。
日本文学は、英文学とは違い、学生が高校までで多数の作品(少なくとも、作品名)に触れているため、多くの大学の国文科の国文学史の授業は、時代ごとに詳しい内容を扱うようになっています。
そのため、国文学史のテキストも、ほとんどが時代ごとに分かれているのです。
1冊もので、僕の近所の調布市立図書館にもあるようなポピュラーなもので、かつ、新刊書店で流通しているものとなると、次の本しか見当たりませんでした。

はじめて学ぶ日本文学史 (シリーズ・日本の文学史)

はじめて学ぶ日本文学史 (シリーズ・日本の文学史)

初版は2010年。
編著者は榎本隆司氏(早稲田大学名誉教授)。
500ページ以上の大部の本ですが、1冊で上代から近代まで網羅されています。
偶然ですが、僕は、このシリーズの『イギリス文学史』や『アメリカ文学史』も持っているので、親しみ易いのです。
通読するのは大変ですが、その都度、時代の概観や作家・作品の解説などを参照したいと思います。
それから、ここで読むのは、文庫で現在手に入るものに限ることにしました。
その方が入手し易いからです。
もっとも、日本文学の「代表作」ですから、ほとんど複数の文庫版があると思いますが。
僕の手元に、早稲田大学教育学部の2012年度の教科書目録があります。
それによると、同学部の名物教授である石原千秋先生の「文学の近代」という授業では、岩波文庫版の『舞姫うたかたの記』『にごりえたけくらべ』『金色夜叉(上・下)』『破戒』『蒲団』『浮雲』『小説神髄』などが教科書として指定されていますが、そんなイメージです。
本来なら、学生の内に、日本近代文学の代表作など、一通り読んでおくべきなのでしょうが。
後悔しても仕方がないので、今から読みましょう。
読んで行く作品は、『詳説日本史』(山川出版社)に載っているものを基準にします。
何故、日本史の教科書かと言うと、文学史の教科書だと、細かくなり過ぎて、「代表作」でないものも多数、含まれるからです。
僕の細君は、大学受験の時に日本史を選択しましたが、国語の文学史の問題は、特に勉強はしなくても、日本史の知識だけで対応出来たと言っていました。
それでは、次回以降、具体的に作品を読んで行きましょう。
【参考文献】
日本文学史―近代から現代へ (中公新書 (212))奥野健男・著
精選日本文学史』(明治書院
田村の〈本音で迫る文学史〉 (受験面白参考書)』田村秀行・著(大和書房)
1993年度 二文.pdf - Google ドライブ
1995年度 二文.pdf - Google ドライブ
鴎外と漱石―終りない言葉』佐々木雅発・著(三弥井書店
増補 日本語が亡びるとき: 英語の世紀の中で (ちくま文庫)水村美苗・著
詳説日本史B 改訂版 [日B309] 文部科学省検定済教科書 【81山川/日B309】笹山晴生佐藤信五味文彦、高埜利彦・著(山川出版社