『ドクトル・ジバゴ』

新年あけましておめでとうございます。
今年も拙ブログをよろしくお願いします。
さて、新年最初のブルーレイ鑑賞は『ドクトル・ジバゴ』。

ドクトル・ジバゴ アニバーサリーエディション [Blu-ray]

ドクトル・ジバゴ アニバーサリーエディション [Blu-ray]

1965年のアメリカ・イタリア合作映画。
監督はデヴィッド・リーン
『戦場にかける橋』や『アラビアのロレンス』と並んで有名な作品なので、いつか見たいなとは思っていたのだが、恥ずかしながら未見であった。
原作はボリス・パステルナーク。
旧ソ連の大作家で、本作によりノーベル文学賞に選ばれたが、共産党の圧力で辞退させられる。
シェイクスピア作品のロシア語訳等でも名高い。
製作はカルロ・ポンティ
イタリアの大プロデューサーで、『道』『軽蔑』『ひまわり』『カサンドラ・クロス』等を手掛けた。
音楽はモーリス・ジャール
デヴィッド・リーン作品の常連であり、それ以外にも、『史上最大の作戦』『グラン・プリ』『ブリキの太鼓』等がある。
本作でアカデミー賞作曲賞受賞。
主演はオマー・シャリフ
アラビアのロレンス』でリーン監督に見出された。
本作では、アラビア人なのにロシア人の役を演じている。
相手役はジュリー・クリスティ
高名なシェイクスピア女優。
トリュフォーの『華氏451』なんかにも出ていたな。
ケネス・ブラナーの『ハムレット』でガートルードを演じているが、本作と比べると、時の流れの残酷さを感じさせられる。
ジバゴの奥さん役(奥さん役=相手役ではないのが、本作の難しいところ)はジェラルディン・チャップリン
チャップリンの実の娘で、リチャード・アッテンボロー監督の『チャーリー』にも出ていたらしいが、覚えていない。
ジバゴの兄を演じるのはアレック・ギネス
彼もデヴィッド・リーン監督作の常連。
しかも、毎回違った毛色の役を演じている。
いい役者やね。
本作で最も印象的な悪役コマロフスキーを演じたのはロッド・スタイガー
立ち回りが、ちょっとシェイクスピアの悪役っぽい。
パステルナークも影響を受けているのだろう。
本作は、『アラビアのロレンス』同様70ミリ・フィルムで撮影されている。
本来なら大画面で観てこそ意味のある作品だ。
ロシアが舞台になっているが、当時の国際情勢から、当然ソ連で撮影することは出来ず、カナダとスペインで撮影されたようだ。
ロシア(ソ連)を舞台にした映画と言えば、『ひまわり』と『デルス・ウザーラ』が真っ先に思い浮かぶ。
これらとは別物とは言え、酷寒の大自然の雰囲気はよく出ている。
本作も上映時間3時間20分という大作なので、途中に休憩がある。
最初はOVERTURE(序曲)から始まる。
本作のテーマ曲『ラーラのテーマ』は有名で、映画を見たことがなくても、誰でも一度は耳にしたことがあるだろう。
原作が大河小説なので、映画にするには、かなりストーリーをはしょる必要があったと思うが、その点はうまくまとめている。
最初は女性達の集団から始まる。
本作では、劇中の本や手紙、看板等はロシア語で書かれているが、セリフが英語なので違和感がある。
エフグラフ(アレック・ギネス)は軍人。
一人の若い娘が目に留まる。
本作の人間関係は非常に複雑だ。
エフグラフは、実はジバゴの異母兄で、行方不明になったジバゴの娘を探している。
今目の前にいる若い娘がその娘なのではないかと疑っているが、彼女は否定する。
この謎解きが本作の主筋。
答えは最後に判るようになっている。
回想シーンへ。
寒そうな山のふもとの平野。
葬式の列。
墓穴に棺を埋める。
母を亡くした少年のアップ。
母親は、どうやら自殺したらしい。
彼は、モスクワにいる裕福な親戚に引き取られる。
母の形見の楽器を持って。
場面換わって、猛烈な吹雪。
大人になったジバゴ(オマー・シャリフ)は、医者を志して医学を学びながら、詩の勉強もしている。
時代は革命前夜。
この後、第一次大戦の描写等も出て来るので、20世紀初頭ということか。
この辺りは世界史の授業でも触れなかったので(授業がそこまで行かなかった)、僕の知識は全くないに等しい。
通りではデモ行進が行われ、革命歌が歌われている。
デヴィッド。リーンの得意な大群衆シーンである。
デモ隊を軍が制圧。
それを、家のバルコニーから見ているジバゴ。
上流階級と労働者階級との対比である。
ジバゴは、家を出てケガ人の手当てをしようとするが、兵士に阻止される。
で、ジバゴの近所に住んでいる仕立て屋の娘ラーラ(ジュリー・クリスティ)の婚約者パーシャ(トム・コートネイ)は革命の闘士。
しかし、この時点では軍隊に排除されるひ弱な青年に過ぎない。
これから、時代の変化と共に彼の立場も変わって行く。
ラーラの母親が服毒自殺し、主治医である医学部の教授が呼ばれる。
この教授の教え子がジバゴであり、彼は助手として一緒に連れて行かれる。
これがジバゴとラーラとの最初の出会い。
ただし、二人が恋に落ちるのは、もっとずっと先のことになる。
ラーラは、実は不倫をしていた。
相手はコマロフスキー(ロッド・スタイガー)という中年のオッサンで、こいつがとんだスケコマシ。
彼は、『マクベス』のイアーゴー張りの悪役ぶりを発揮する。
で、このオッサンはジバゴの父親の遺産執行人でもあった。
ある日、ラーラはコマロフスキーに無理やり犯される。
ラーラはそれを恨み、クリスマス舞踏会の会場でコマロフスキーを撃つ。
幸か不幸か、彼は手に軽いケガを負っただけ。
そこにジバゴもいて、ケガの手当てをする。
コマロフスキーは、ジバゴに「ラーラを君に贈呈する」と言う。
何という卑劣な。
だが、当時は、上流階級の男が自分より身分の低い女を好きに扱うということが普通に行われていたのだろう。
それはさておき、ジバゴは結婚する。
相手は幼なじみのトーニャ(ジェラルディン・チャップリン)。
正直言って、彼女はそんなに美人ではない。
一方、ジバゴの異母兄エフグラフは革命のために入隊する。
ラーラは、婚約者であったパーシャと結婚。
しかし、悲惨な戦争でパーシャは大きなケガを負う。
ロシアとドイツとの戦争が始まり、ジバゴは医師として戦地に派遣され、そこに看護婦として来ていたラーラと再会。
でも、二人とも既婚者なので、恋愛には発展しない。
本作は、この二人のラブ・ストーリーのはずなのに、一体どうなるのか。
ロシアで革命が起き、皇帝が投獄され、レーニンがモスクワに入る。
ジバゴはラーラを見送り、自分の家に戻る。
ジバゴが家に戻ると、屋敷は占拠され、見知らぬ貧民が多数住み、地区委員に管理されていた。
要するに、革命のため私有財産制が否定され、上流階級の邸宅は没収して貧民に分け与えたということだろう。
街では物資が極端に不足し、燃料の薪もない。
本作がソ連共産党からにらまれたのは、ロシア革命のこうした暗部を描いたからなんだろうな。
性急な革命は、やはりうまく行かない。
そして、冷戦期のアメリカ映画だから、余計に旧ソ連を批判的に描いている。
まあ、世界史の教科書にも、革命後のロシアの物資不足については書かれているが。
ジバゴは、こっそりと外に出て、塀の板を剥がす。
そこを、共産党員の兄に見付かってしまう。
本当はいけないのだが、エフグラフはジバゴを見逃す。
ジバゴ一家は、エフグラフの勧めで、田舎にある別荘に移り住むことにする。
ついこの間まで上流階級だったのに、彼らは何と、貨物列車に乗せられてしまう。
この貨物列車の中が、寒いし、狭いし、不潔だし、それでも人がいっぱいで、悲惨なことこの上ない。
ちょっと『蟹工船』を思い出してしまった。
しかも、こちらは革命が成就した後なのに。
途中で通過する町も、革命の影響で、焦土と化している。
彼らの運命や如何に、というところでINTERMISSION(休憩)。
ジバゴ達を乗せた列車はひたすら走る。
トンネルを抜けると、そこは雪国であった。
列車が停まる。
隣の列車には赤旗がひらめいている。
ジバゴは列車の外に出てみた。
夢のような幻想的なシーン。
夢かと思ったが、現実であった。
ジバゴは捕らえられ、連行されてしまう。
どうして外へなんか出るかね。
ジバゴを取り調べたのは、何とラーラの夫・パーシャであった。
彼は戦死したかと思われていたが、今や赤軍の将・ストレーリニコフとして生きているのであった。
ジバゴは彼のことを(顔の傷で)よく覚えていたが、彼はジバゴのことを全く記憶していない。
そして、ラーラは別の土地で暮らしており、長い間会っていないという。
ストレーリニコフは、革命のために、家族も捨ててしまったのであった。
まあ、革命というのも一種の宗教みたいなものだから、こういう人もたくさんいたんだろうな。
ジバゴは釈放され、ようやく別荘に辿り着くが、ここも差し押さえられていた。
止むを得ず、隣の荒れ果てた門番小屋に暮らすことにする。
そんな折、皇帝が銃殺されたというニュースが飛び込んで来る。
更に、革命勢力内の争いにより、ストレーリニコフが失脚したとか。
この辺は、世界史が苦手な僕には難しいところだが、要するにボリシェビキとメンシェビキの争いだろうか。
まるで、中核派革マル派の争いみたいだな。
それにしても、左翼の内ゲバはこんな頃からあったということか。
春になった。
ジバゴは図書館でラーラと再会する。
こんな辺境の地で何故?
ここからはメロドラマになる。
ジバゴは奥さんと子供がいるにも関わらず、ラーラのもとへせっせと通い続ける。
しかも、奥さんは身重である。
ラーラだって、旦那とは長らく別に暮らしているとはいうものの、離婚した訳ではない。
彼女にだって子供がいる。
つまり、唐突にW不倫のドラマになるのだ。
ここが、どうにも本作に感情移入し難いところである。
まあ、これもジバゴの弱さと言えば言えなくはないのか。
過酷な自然のロシアと革命の激動の時代を舞台にして、生き抜くことは大変だっただろうが、だからと言ってW不倫が許される訳ではない。
アラビアのロレンスだって、最初は主人公の優柔不断さを受け入れ難かったが、あれは分からんでもない。
しかし、こっちはなあ。
おまけに、ジバゴの奥さんはラーラの存在を知っていても何も言わず、ラーラの子供はジバゴに懐いていたりする。
どうにも都合のいい話に思えるのだ。
これを「美しいラブストーリー」と言われてもなあ。
この後、ジバゴはパルチザンに捕らえられて、更に運命が二転三転する。
パステルナークが、社会主義ソ連で生きている自分をジバゴに投影したのは分かるが。
映像の美しさは比類ないが、物語には大いに疑問が残る。
アカデミー賞で脚色賞以外の主要部門の受賞を逃したのも理解出来る。
それに、脚色賞は大河小説をうまく映画にまとめたから獲れたのだろう。
アカデミー賞脚色賞、撮影賞、作曲賞、美術監督・装置賞、衣装デザイン賞受賞。
1966年度洋画興行収入8位。