『ジーザス・クライスト・スーパースター』(1973)

この週末は、ブルーレイで『ジーザス・クライスト・スーパースター』を見た。

1973年のアメリカ映画。
監督はノーマン・ジュイソン
華麗なる賭け』や『屋根の上のバイオリン弾き』の監督だから、こういう作品はお手の物だろう。
ジーザス・クライスト・スーパースター』と言えば、日本では劇団四季版が有名なのだろうか。
テーマ曲は、誰でも一度は耳にしたことがあるだろう。
もっとも、我々の世代では、安達かおるのAVを連想してしまうが。
そもそも、僕は洋楽には全く疎いので、ロック・オペラなんてものにも興味はなかった。
だが、有名な作品なので、ブルーレイが出たと聞いて、ちょっと見てみようと思ったのである。
本作は全編、イスラエルで撮影されたらしい。
最初は、砂漠の中にある廃墟らしき建物が映し出される。
走って来るバス。
ロック調の音楽が流れる。
バスから降りて来るヒッピーのような若者達。
彼らは、衣装に着替える。
怪しい踊りを始める。
どうやら彼らが役者のようだ。
如何にも宗教映画である。
イエス・キリスト(テッド・ニーリー)は、山ピーと若くした麻原彰晃を合わせたよう。
黒人(カール・アンダーソン)が歌っている。
後に、彼がイスカリオテのユダだと分かる。
裏切り者の代名詞だが、「彼も悩める一人の人間であった」というのが、本作のテーマらしい。
思い切りロックである。
高らかに歌う。
いい曲だ。
ロック・オペラなので、ストーリーは歌で語られる。
エスジーザス)は、人々からメシアと崇められている。
彼は、このままだとローマから目を付けられてしまう。
本作は、ユダの視点で描かれているらしい。
工事現場の兄ちゃんみたいな格好の兵士達。
イエス・キリストも見事なミュージシャンである。
やっぱり、山ピーには無理だ。
マグダラのマリア(イヴォンヌ・エリマン)はアジア系のようだ。
彼女はイエスを慕っている。
エスは「周りの者達は誰も私のことを理解しない」と嘆く。
大祭司カイアファ(ボブ・ビンガム)はバリトンの素晴らしい声である。
空気がビリビリと振動する。
彼は「イエスを許すな」と言う。
最初は、「野外で演技し歌っている役者をフィルムに収めただけ」と思ったが、大自然の描写は見事である。
曲は、どれも素晴らしい。
予告編を見た時は、「どんな荒唐無稽な映画だろう」と思ったが、見ている内に引き込まれて行く。
マグダラのマリアは癒し系である。
まあ、ストーリー自体は誰でも知っているのだから、細かい説明は無用だろう。
とにかく、権力者達は「イエスを野放しにするな」と言う。
それにしても、彼は何故スーパースターなのだろうか。
ただのアメリカの若者達が歌いながら踊る。
まるで、TRFみたいだ。
これが、移り気な一般大衆の象徴なのだろう。
こういう構成の映画は、この時代としては大変斬新だったに違いない。
エルサレムの街の賑わいは、うまく表現されている。
何故か、聖徳太子の1万円札が一瞬映る。
エスは、堕落した俗世間に対し、怒りの破壊活動を行う。
「神殿は祈りの場だ」と。
彼が、現代の日本を見たら、どう思うだろうか。
民衆は奇跡を求める。
エスに魅かれるマリアの気持ち。
砂漠の真ん中で、ユダに向かって来る戦車の群れ。
ここなんかは、イアン・マッケラン主演の『リチャード3世』のようだが、追い詰められたユダの心情を表しているのだろう。
本作のユダは、単なる悪役ではなくて、苦悩する人間として描かれている。
そして、ユダはとうとう寝返ってしまうのだ。
それにしても、何故ユダが黒人なのだろうか。
人種差別ではないのか。
エスに逮捕命令が出される。
ユダは、「イエスの居場所を教えろ」と迫られる。
「報酬をやる」と言われ、銀貨まで受け取ってしまう。
上空にはジェット機が飛んで行く。
時々、本作は時間を現代に引き戻す。
続いて、最後の晩餐。
何故か真っ昼間である。
エスが「この中の一人が私を裏切る」という。
ユダは緊張している。
ユダ以外のイエスの弟子は、ほとんど存在感がない。
エスは、ふがいない弟子どもに呆れているようである。
エスから「さっさと行け」と命じられ、ユダは逃げる。
ここで、イエスとユダの(歌による)掛け合いがあるのだが、これがスゴイ迫力だ。
ユダだけでなく、イエスも苦悩しているのである。
ぺテロは、「私のことを知らないと3回言う」とイエスが予言した通りになった。
ついに、イエスは逮捕される。
カイアファは、イエスをローマ総督ピラト(バリー・デネン)のところへ連れて行く。
このピラトも軟弱なオッサンだ。
本当はイエスを磔になどしたくない。
しかしながら、移り気な大衆の声に気圧されて、仕方なく処分を下すのである。
いつの時代も、愚かなのは大衆だ。
今の日本を見れば分かる。
本作でのイエスは、ただの空気を読めない人のようにも見える。
まあ、実際にそうだったのかも知れないが。
本作公開時には、「神への冒涜だ!」という声も多かったようだ。
この時代には、もうキリストの顔を映画で写しても良かったのだろうか。
色々な意味で「革新的」と言える本作だが、74年のキネマ旬報ベスト・テンで外国映画の7位なので、評価されたと言えるだろう。