『雨に唄えば』

この週末は、ブルーレイで『雨に唄えば』を見た。

雨に唄えば 製作60周年記念リマスター版 [Blu-ray]

雨に唄えば 製作60周年記念リマスター版 [Blu-ray]

1952年のアメリカ映画。
監督は、『踊る大紐育』のジーン・ケリースタンリー・ドーネン
脚本は、『踊る大紐育』のアドルフ・グリーン
製作は、『踊る大紐育』『巴里のアメリカ人』のアーサー・フリード
主演は、『錨を上げて』『踊る大紐育』『巴里のアメリカ人』のジーン・ケリー
共演は、『西部開拓史』のデビー・レイノルズ、『ウエスト・サイド物語』のリタ・モレノ
MGM、テクニカラー
雨の中で傘を差す主役3人。
テーマ曲「雨に唄えば」を彼らが歌っているところから始まる。
この曲を聞くと、僕はまず『時計じかけのオレンジ』が浮かぶ。
マルコム・マクドウェルがたまたま歌詞を知っていたから、この曲を使ったらしいが。
全然違う映画なのに、ハマっている。
曲は知っているが、本作のストーリーは全く知らなかった。
舞台は1927年、サイレント映画全盛時代のアメリカ。
チャイニーズ・シアターの前から中継。
映画『宮廷の反逆児』のプレミア。
映画スターが続々到着する。
現在でもよく見られる光景は、既にこの時代からあったということか。
主演の二人、ドン(ジーン・ケリー)とリナ(ジーン・ヘイゲン)が到着する。
群がる野次馬。
この二人はカップル。
ドンの生涯の親友コズモ(ドナルド・オコナー)も登場。
ドンの回想が始まる。
大スターが華麗に自らの生い立ちを美化して語るが、実際の映像は異なっている。
子供の頃のドンとコズモは、高尚な舞台ではなく、『キングコング』を只見(→ちょっと時代がおかしいか?)。
高級劇団ではなく、アマチュア劇場に出演。
かなり盛って話している。
でも、タップダンスは素晴らしい。
とにかく、タップ、タップ、タップ。
二人で全国を回る。
その内、モニュメンタル映画の撮影所へ。
ドンは偶然、スタントマンの代役を務めることになる。
既に大女優だったリナには当初、全く相手にされなかったが、スタントで認められ、彼女の相手役に選ばれる。
コロリと態度が変わるところから、彼女がイヤな女であることが分かる。
さて、プレミアで上映されるのはサイレント映画だが、内容は荒唐無稽なアクションもので、カラー・トーキーにすれば、ブルース・ウィリスジュリア・ロバーツが出て来そう。
この頃から、ハリウッド映画はハリウッド映画だったということか。
プレミアの間、しゃべるのはドンばかりで、リナは一言も話さない。
実は、彼女は声がヘンなのだった。
素っ頓狂な甲高い声。
実は、ドンとリナは宣伝用のロマンスだった。
彼は、彼女のことなど「クソ喰らえ」と思っていた。
それにしても、本作のセットは素晴らしい。
当時の街のセットなど、息を呑む出来栄えだ。
ドンは、会場の外でファンに囲まれる。
そこから逃れるために飛び乗った車を運転していたのが、キャシー(デビー・レイノルズ)。
これが二人の出会いだった。
キャシーは映画が大嫌い。
何故なら、セリフを聞けないから。
彼女は舞台女優であった。
それで、ドンとキャシーは大ゲンカになる。
「だったら、ハムレットでもジュリエットでもリア王でも演じていればいいじゃないか!」とドンは言い放つ。
ドンはパーティー会場へ到着。
パーティーの席では、モニュメント映画のシンプソン社長(ミラード・ミッチェル)がトーキー映画の試写をする。
初めてトーキーを見た人々は、「後ろで喋っているんじゃないか」と疑う。
シンプソンは熱心だったが、会場の評価は散々。
そこへ、先程のキャシーが踊り子の一人として登場する。
ドンは「舞台女優じゃなかったのか」と皮肉を飛ばす。
彼女は怒ってドンにパイを投げ付けるが、誤ってリナの顔に命中してしまう。
そんなことをしている間に、初のトーキー映画であるワーナーの『ジャズ・シンガー』が公開され、大ヒットを記録する。
いよいよトーキーの波が押し寄せて来た。
昔、日本映画がサイレントからトーキーに切り替わる頃を描いたドラマがあったと思うのだが、思い出せない。
僕が小学生の頃だったような。
勘違いかな。
本作の、撮影所の風景が、実に生き生きと描かれていて、面白い。
ドンは、つれなくされて、いよいよキャシーのことが頭から離れなくなっていた。
一方、サイレント映画は、次第にマンネリ化していた。
でも、「シェイクスピアでは食っていけない」とみんな思っている。
ドンとリナは新作の撮影をしていた。
フランス革命を舞台にした騎士の物語で、出演者達は『バリー・リンドン』みたいな衣装を着ている。
リナは、先日のパイ事件に痛く立腹して、キャシーを撮影所から追い出していた。
撮影しながら、リナに文句を言うドン。
ラブ・シーンの撮影ななのに、セリフと演技が全く噛み合っていない。
これも、サイレント映画ならでは。
余談だが、シンプソンの着ているスーツは、ラルフローレン・パープル・レーベルのようで、実に渋い。
クラシカルで、高級感が溢れている。
ダブルのグレン・チェックのスリー・ピースとか。
で、最早サイレントの時代は終わった。
シンプソンは「トーキーに変えるぞ!」と号令を掛ける。
撮影中の新作も、トーキーで作ることになった。
コズモは音楽主任に抜擢される。
さて、問題はリナの声としゃべり方だった。
どう考えても、トーキーには向いていないのである。
専門家が発生の指導をする。
フランス革命が舞台の映画なのに、セリフは英語。
でも、格調高いイギリス英語である。
もちろん、リナには喋れない。
日本でも、サイレントからトーキーに切り替わる時、東北弁の役者が大勢失業したとか。
時代の流れは、誰にも変えられない。
そんな時、ミュージカルの撮影現場で、シンプソンがキャシーを見出した。
ドンは大喜び。
ここから、二人の交流が始まる。
実は、つれなくしていたキャシーも、秘かにドンのファンなのであった。
ここからは、結構メロドラマになる。
本作は、昔の映画製作の苦労をユーモラスに描いている。
かなり笑えるシーンもある。
『巴里のアメリカ人』みたいな長回しもある。
まあ、監督も主演も同じだからな。
ただ、最後がちょっと気の毒過ぎる。
もちろんハッピー・エンドなのだが、僕はどうにも「めでたしめでたし」という気分にはなれなかった。
ヴェニスの商人』のシャイロックのよう。