『カンタベリー物語』を原文で読む(第1回)

1年と数ヵ月を掛けて、ようやく『ガリア戦記』の第1巻を読み終えました。
引き続きラテン語を勉強したいところですが、現在の日本では、大学書林から出ている『ガリア戦記』のテキスト以外に、初心者向けのラテン語の読本がありません(もっとも、最近、山下太郎先生の『ラテン語を読む』が出ましたが)。
古典ギリシア語に手を出そうかとも思いましたが、TOEIC0点で、大学受験の時に3単現のsを理解していなかったほどの究極の語学音痴である僕には、ギリシア文字を覚えることは到底無理そうです。
悩んだ末、中英語を勉強しながら、ジェフリー・チョーサー(1340〜1400)の『カンタベリー物語』(1387〜1400)を原文で読むことにしました。
カンタベリー物語』は、世界史の教科書にも載っているので、名前だけは誰でも知っているでしょうが、実際に読んだことがある人は少なく、ましてや、原文で読んだことがある人は、ほとんどいないのではないでしょうか。
英語の歴史は、大きく「古英語(450〜1100)」「中英語(1100〜1500)」「近代英語(1500〜)」の三つの時期に分けられます。
チョーサーの『カンタベリー物語』は、「中英語」期の代表的な作品です(ちなみに、シェイクスピアは「初期近代英語」)。
中英語は、現代英語と文法や単語の綴り等が異なるので、専門的に勉強しないと読むことは出来ません。
中英語の参考書としては、唯一『中英語の初歩』というものが英潮社から出ていましたが、残念ながら、絶版になってしまったようです(アマゾンの中古でも入手不可)。
僕が在籍していた大学の英文科には、中英語(中世英語とも言います)の講座がありました。
それを選択しておけば良かったのですが、シラバスには「テキストを講読するので、予習に十分な時間を費す必要あり」とあったので、当時の怠惰な僕なら間違いなく早々に脱落したことでしょう。
後悔しても仕方がないので、『カンタベリー物語』の原文を読みながら、中英語を学ぶことにしました。
チョーサーは「英詩の父」とも呼ばれる大詩人なので、大学の英文科では、昔から何らかの形で読まれて来たようです。
『英文学者 夏目漱石』(松柏社)によると、漱石東京帝国大学の講師としてシェイクスピアを講義していた頃、上田敏が週4時間、チョーサーを教えていました。
もっとも、漱石の講義は他学部からも聴講者が押し寄せ、立ち見が出るほどの盛況でしたが、上田敏の方は、閑古鳥が鳴いていたとのことです(ということは、必修科目ではなかったのですね)。
漱石自身は、学生時代にチョーサーを教わった訳ではないようですが、東北大学の「漱石文庫関係文献目録」によると、イギリス留学中に読んだようです。
僕は以前、渡部昇一氏が「漱石は中英語を読めなかった」と書いているのを何かで読んだような気がするのですが、漱石の文学理論の集大成である『文学論』にも、チョーサーの原文が引用されています。
漱石の時代とは比べ物にならないほど大衆化した現在の大学でも、東大・京大を始め、幾つかの大学でチョーサーの『カンタベリー物語』が原書講読のテキストとして使われていることを確認しました。
渡部昇一氏は、『知的生活の方法』(講談社現代新書)の中で、チョーサーのような古典は、一行ずつなめるようにていねいに読む価値があると言っています。
渡部氏も、学生の頃に『カンタベリー物語』を読んだそうです。
『講談 英語の歴史』(PHP新書)には、「私はミドル・イングリッシュの演習でチョーサーの『カンタベリー物語』のプロローグを読むことから始めたが、これは中英語の総まとめのようなものであり、プロローグが『カンタベリー物語』の神髄ともいえるから、初歩としては適切だったと、今でも思っている」とあります。
ちなみに、同書には、昨今の英文科の実態について、次のようにも書かれていますが(なお、初版は2001年です)。

日本で英語を習う場合、最初は現代の英語から始める。大学の英文科で勉強を続けると、十八世紀、十九世紀の小説、十八世紀の詩などが取り上げられ(もっとも今の多くの英文科ではそんな高級なことはあまりやらない)、最終的には十六世紀から十七世紀にかけてのシェークスピアに行く。いわば時代を遡る。
古くなればなるほど、現代の英語と違ってくるから、お家がだんだん遠くなるような感じで難しくなり、ごく特殊な人がチョーサーを対象にして、ミドル・イングリッシュ(中英語)を学ぶ。

やはり英文科でも、ごく一部の人しかチョーサーは読まないということですね。
ジェフリー・チョーサーについて
ジェフリー・チョーサーは、上述のように、「英詩の父」と呼ばれ、英詩の基本的形式を整え、英文学の基礎を築きました。
代表作は、もちろん『カンタベリー物語』です。
『はじめて学ぶイギリス文学史』(ミネルヴァ書房)から、彼の略歴を引いておきます。

詩人。裕福な葡萄酒商の子としてロンドンに生まれる。国王の侍従となり、外交使節として、フランスやイタリアに派遣され、後に関税監査官、治安判事、林野官などを歴任した。これらの経験と幅広い読書は彼の作品の糧となり、これに深みを加えている。
初期の作品には、フランス文学の影響が強く、著名な中世フランス詩の一部を英訳した『バラ物語』(The Romance of the Rose)をはじめとして、当時流行の夢物語と寓意詩を結びつけたものが多かった。
その後、イタリアの文学に接してから、作品の形式が変わり、人間性に対する関心があらわれるようになった。この頃の代表作は、『トロイラスとクリセイデ』(Troilus and Criseyde, 1382-85)である。この作品は、ボッカチオ(Giovanni Boccaccio, 1313-75)の『恋の虜』(Il Filostrato)にもとづいて書かれた物語詩で、トロイ戦争の一挿話を枠組に、トロイの王子トロイラスと若く美貌の未亡人クリセイデの悲恋を情熱的に、しかも気品高く描いたものである。
晩年になり、円熟の境地に達したチョーサーは、イギリスの実社会を題材に創作に励み、彼の名を不朽にした『カンタベリ物語』を著わした。これは、騎士から農夫にいたるまでのさまざまな階級の人たちが、ロンドンからカンタベリへと巡礼に向かう旅のつれづれに物語を語って聞かせるという形式で書かれている。彼らの話は、昔話、艶笑滑稽譚、道徳的小話、聖人伝、ロマンスなど多様である。ここには各階層の人物像、人情、風俗などが、ユーモアと皮肉をまじえて見事に描き出されている。

先述の『講談・英語の歴史』には、次のようにあります。

チョーサーは「英文学の汚れなき泉」などと讃えられる大詩人で、英文学はここから始まるという人も大勢いる。オックスフォードから上智大学にいらしたミルワード先生は英文学をチョーサーから始めるのが普通だった。
これは伝統的な英文学のとらえ方である。今はオールド・イングリッシュから始めるが、それでも本当の英文学はチョーサーあたりから始まるといわれるほど、チョーサーの存在は大きい。

ただし、同書には、次のようにも書かれています。

実は、イギリス人自身は十七世紀以後、ほとんどチョーサーを読んでいないといっていい。カトリックだったチョーサーの著作は当然ながらカトリック的な内容であり、宗教改革以降、それが時代に合わなくなったということもある。
また、前章で述べたように大母音推移が十五世紀に起こり、読み方がスペリングのとおりでなくなったため、チョーサーの文章を読めなくなったという一面もある(ミドル・イングリッシュまではスペリングのとおりに発音すればよかった)。読んでも発音が変わったため韻律がつかめず詩として優れているとは考えないようになったのである。
こうしたことが原因で、チョーサーの作品をイギリス人が読まなくなった。

まあ、我々にとっての古文のような感覚でしょうか。
近世以前の文語文は、確かに中学・高校の古文の授業では習いますが、一般人が「読書」として読むことはまずありません。
読むとしても、現代語訳です。
一方、イギリス人(アメリカ人)は、シェイクスピアは原文で読みます。
シェイクスピアの作品が映画化される時は、例えば、レオナルド・ディカプリオ主演の『ロミオ+ジュリエット』のように、たとえ舞台が現代に移されていても、セリフは原文のままです。
それだけシェイクスピアに敬意を払っているからということも、もちろんあるでしょうが、現代の英語とそれほど違わないからということも、あるのではないでしょうか。
我々が、漱石や鴎外の作品を、普通に文庫で読むのと同じなのかも知れません。
ただ、実際にチョーサーの原文に目を通してみると、『英語の歴史』(講談社現代新書)にあるように、「見た目よりもずっと現代語に近いことがわかる」とは思います。
確かに、個々の単語の綴り等は現代英語とは違いますが、日本語に置き換えれば、旧仮名遣いで近代文学を読むような感じでしょうか。
同書に、チョーサーの英語の語形、文法について簡潔にまとめられているので、以下に引用しておきます(発音についても述べられていますが、省略します)。

名詞では、複数の場合-(e)nやゼロ複数(接辞がつかないもの)がしばしばみられる:ashen「灰」、winter「冬」。his lady grace「彼の婦人の恩寵」のようにゼロの所有格もみられる。代名詞ではtheir「彼らの」はhir(e)、them「彼らを」はhemといった。関係代名詞whoはまだ現れない。形容詞では-er/-estによる比較とmore/mostによる比較の選択に関する規則はない。clearer〜more clear「よりはっきりとした」のように。しばしば形容詞は名詞の後ろに置かれる。my sister dear「私の大切な妹」。動詞では、3人称単数現在の接辞はcomethのように-(e)thのみで-(e)sはまだ起こらない。疑問文や否定文はdoを欠く。doはしばしば「させる」の使役の働きをする本動詞で、例えば、do fetch a book=cause (someone) to fetch a book「本を持ってこさせる」といった。不定詞の印としてはゼロ、toの他にしばしばfor toが意味の差なく用いられた。例えばfor to have his rest「休むために」のように。

テキストについて
カンタベリー物語』の、現在新刊で入手可能な、注釈等が施された読解用のテキストは二つあります。
一つ目は研究社から出ている『カンタベリー・テールズ(新訂版)』です。

カンタベリー・テールズ

カンタベリー・テールズ

初版は、何と1934年。
編注者は、驚くなかれ、あの市河三喜氏ですよ。
初版を、1987年に松浪有氏が改定したものが、現在流通している版。
これが、如何にも研究社の古典の参考書といった感じの、ハードカバーの重厚な本なのです。
本文、発音、現代英語訳、注釈が付いていますが、日本語訳はありません。
昔の英文学のテキストは大抵そうなのですが、初心者には、見るからに敷居が高そうです。
もう一つは、松柏社の『原文対訳「カンタベリィ物語・総序歌」』。
原文対訳「カンタベリィ物語・総序歌」

原文対訳「カンタベリィ物語・総序歌」

初版は2000年という新しい本です。
編・訳・注者は、苅部恒徳氏(新潟国際情報大学教授)、笹川寿昭氏(新潟大学経済学部教授)、小山良一氏(新潟工科大学助教授)、田中芳晴氏(新潟高等学校教諭)(いずれも、刊行時)。
研究社のものとは打って変わって、B5の大判で、88ページと薄く、取っ付き易そうです。
少子化による大学進学率の急激な上昇と、中学・高校でのコミュニケーション重視という名の下の文法無視によって、昨今の大学生の英文読解力は、かつてと比べて信じられないほど下落していると聞きます。
そのような状況の中、英文科は次々に「英語コミュニケーション学科」などという陳腐で軽薄な名前に看板を架け替えていますが、それでも、果敢にチョーサーの原文に挑戦しようとする学生を想定して書かれたのでしょう。
「はしがき」によると、「中英語の原文の解釈に必要な道具(対訳・語彙解・解説・注解等)を付けて、一般読者から専門家までの幅広い読者層を対象に編まれたものである」とあります。
また、日本語の対訳を施したのが本書の特色だそうです。
「訳があると『演習』などで学生に訳させにくくなると先生方からお叱りを受けるかもしれないが…」「対訳があることで、一般読者がChaucerに容易に近づけることを期待しているのである」とのこと。
おそらく、現時点では、初心者がチョーサーを読もうとするなら、本書を選ぶのが最善の選択なのではないでしょうか。
ただし、日本語訳は、やや意訳されているので、そのままでは原文との対応が分かり難い箇所もあります。
その場合には、研究社版で現代英語訳を見た方が分かり易いかも知れません。
と言う訳で、松柏社版をメインに、研究社版をサブで使うことにしました。
チョーサーの時代は、『出版文化史の東西』(慶應義塾大学出版会)にあるように、活版印刷術が未だ発明されておらず、書物は「写字生」と呼ばれる人達が一冊一冊手で書き写した「写本」でした。
カンタベリー物語』には、80点以上の写本があるそうです。
写字生の誤読や誤記によって、原文とは違う綴りが転写され、それが繰り返されている可能性もあります。
上の2冊のテキストも、綴りが微妙に違っています。
中英語の読解は、古い綴りを、推測しながら現代英語のものに置き換えて、辞書を引いて行く作業です。
辞書・文法書などについて
辞書については、現在の日本では、中英語専用のものは出版されていないようです(古英語のものは、大学書林から出ていますが)。
僕は普段、英文学作品を原書で読む時には、『新英和中辞典』『リーダーズ英和辞典』『リーダーズ・プラス』『新英和大辞典』(いずれも研究社)の4冊を使っていますが、これらには、もちろん中英語は載っていません。
新英和中辞典 [第7版] 並装

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リーダーズ英和辞典 <第3版> [並装]

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リーダーズ・プラス

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新英和大辞典 第六版 ― 並装

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本格的に勉強するつもりなら、『OED』を買うしかないでしょうが、中古でも20万円位するので、とても細君の許可は得られないと思います。
松柏社のテキストの注に、現代英語との言い換えが載っている(全ての単語ではありません)ので、それで読み進めるしかないでしょう。
それでも分からなければ、研究社のテキストの現代語訳を見るという手もあります。
この現代語訳は、かなり逐語訳に近い感じなので、当該の単語の現代での綴り(または意味)がよく分かるでしょう。
前述のように、チョーサーの時代には未だ正書法が確立していなかったので、個々の単語は現代英語の綴りとはかなり異なっていますが、何となく推測できるものも多いです。
日本語に例えると、旧仮名遣いの文章を読むような感覚だと思います。
そして、『リーダーズ英和辞典』『リーダーズ・プラス』『新英和大辞典』には、古語や廃語もそれなりに収録されているのです。
もちろん、中英語の時代には、近代英語と意味が変わってしまっている語も多いですが。
そういった語は、大抵テキストの注に載っています。
チョーサーは、中英語とは言っても、かなり後期の、初期近代英語に近い時期なので、何とかなるでしょう。
専門家が厳密に研究するのではなく、素人が読むだけなのですから、大体の意味が分かれば良いのです。
また、そう考えないと、挫折してしまうと思います。
文法書も、前述のように、中英語専用のものは、現在の日本ではありません。
英文科の学生が、よく使うように薦められる『英文法解説』(金子書房)などは、あくまで現代英語の参考書です。
英文法解説

英文法解説

文法事項も、テキストの注に頼るしかないでしょう。
テキストには、原文の語学的読解に必要な解説が「Chaucerの英語」として、まとめられています。
体系的に中英語の勉強もしないで、いきなりチョーサーの原文に手を出して、果たしてどれだけ食らい付けるのか、全く分かりませんが、薄いテキストですから、頑張って読破したいと思います。
例によって、単語ノートを作りながら読むつもりです。
次回以降は、僕の単語ノートを公開しましょう。
【参考文献】
カエサル『ガリア戦記』〈第1巻〉』遠山一郎・訳注(大学書林
ラテン語を読む キケロ―「スキーピオーの夢」』山下太郎・著(ベレ出版)
詳説世界史B 81 世B 304 文部科学省検定済教科書 高等学校 地理歴史科用』木村靖二、佐藤次高、岸本美緒・著(山川出版社
英語の歴史―過去から未来への物語 (中公新書)』寺澤盾・著
中英語の初歩 (英語学入門講座)』荒木一雄・監修、水鳥喜喬、米倉綽・著(英潮社
英文学者 夏目漱石亀井俊介・著(松柏社
1983年度 二文.pdf - Google ドライブ
http://www.library.tohoku.ac.jp/collection/collection/soseki/catalog.pdf漱石文庫関係文献目録」
文学論〈上〉 (岩波文庫)夏目漱石・著
東京大学大学院総合文化研究科 言語情報科学専攻[時間割(シラバス)]
専修大学Web講義要項(シラバス)[学部用]
神奈川大学シラバス
中英語講読 - 『カンタベリー物語』を原文で読む| 読む| 2007年度春期公開講座| 過去の公開講座| 公開講座| 研究所・公開講座| 恵泉女学園大学
知的生活の方法 (講談社現代新書)渡部昇一・著
[asin:B00KLY4VQO:title]渡部昇一・著
はじめて学ぶイギリス文学史神山妙子・編著(ミネルヴァ書房
英語の歴史 (講談社現代新書)』中尾俊夫・著
出版文化史の東西:原本を読む楽しみ』徳永聡子・編著(慶應義塾大学出版会)
英文法解説』江川泰一郎・著(金子書房)