日本古典文学を原文で読む(第6回)『万葉集』

万葉集』について
今回は、『万葉集』を取り上げたいと思います。
古事記』『日本書紀』『風土記』『懐風藻』と読んで来ましたが、『万葉集』は『古事記』と並んで、最もメジャーなのではないでしょうか。
特に昨年、元号が変わった時、「令和」の出典が『万葉集』ということで、一大ブームになりました。
その時に、(たとえ一部でも)読んだという人も多いと思います。
僕の手元にある早稲田大学オープンキャンパスのパンフレット(2020年春)を見ても、『古事記』と並んで、『万葉集』の講座が、しかも三つもあるのです。
それどころか、小・中学校の国語の教科書にも、『万葉集』は登場します。
中学3年の国語の授業で読んだ「貧窮問答歌」などは、大変身につまされました。
ものすごく大雑把に言うと、『古事記』は日本最初の物語、『日本書紀』は日本最初の歴史書、『風土記』は日本最初の地理書で、『懐風藻』は日本最初の漢詩集、『万葉集』は(現存する)日本最初の和歌集ということになります。
当然ながら、日本文学史上で極めて重要な位置を占めているので、多くの大学の国文科で読まれているはずです。
僕が在籍していた大学のシラバス(95年度)を見ても、日本文学専修の日本文学演習IA(萬葉・古今)または日本文学演習IB(古代和歌研究)(どちらか1科目を選択必修)という授業で本作を読むとありました。
高校日本史の教科書にも出て来ます。
山川の『詳説日本史』を引いてみましょう。
本文には、次のようにあります。

日本古来の和歌も、天皇から民衆に至るまで多くの人びとによってよまれた。『万葉集』は759(天平宝字3)年までの歌約4500首を収録した歌集で、宮廷の歌人や貴族だけでなく東国の民衆たちがよんだ東歌や防人歌などもある。心情を率直に表わしており、心に強く訴える歌が多くみられる。

また、脚注には、次のようにあります。

天智天皇時代までの第1期の歌人としては有間皇子額田王、つづく平城遷都までの第2期の歌人としては柿本人麻呂天平年間(729~749)の初め頃までの第3期の歌人としては山上憶良大伴旅人淳仁天皇時代に至る第4期の歌人としては大伴家持大伴坂上郎女らが名高い。編者は大伴家持ともいわれるが、未詳である。

さらに、「貧窮問答歌」の引用も載っています。
歴史の教科書に実際の和歌が引用されているということは、それだけ重要だということですね。
僕の手元にある高校生用の文学史のテキストにも、1章を割いて詳しく解説されています。
少し長くなりますが、こちらも引いてみましょう。

和歌の発生 七世紀の初め、東北地方以遠や九州南部の辺境を除いて、ほぼ国内統一を終えた大和朝廷は、遣隋使、遣唐使を派遣して積極的に大陸文化を摂取した。この大陸文化の影響を受けて、歌謡はしだいに個人的感情を歌うものとなり、表現も洗練されていった。和歌はこのようにして成立した叙情詩であり、日本文学の中で最古の文学形式である。そして、『万葉集』は、このような古代叙情詩を集大成した歌集であると言ってよい。
万葉集の成立・組織 『万葉集』は現存する我が国最古の歌集である。『万葉集』以前にも、幾つかの歌集が存在したが、それらは『万葉集』編集の資料として利用された部分が、断片的に『万葉集』の中に残っているにすぎない。『万葉集』の成立過程は複雑で、不明な部分も多いが、数次の編集作業を経て、ほぼ現在の形に整えられたのは奈良時代末期と推定されている。
編者は、全巻に渡って手を加えた者として大伴家持が有力視されている。全二十巻から成り、長歌約二百六十首、短歌約四千二百首、旋頭歌約六十首、連歌体一首、仏足石歌体一首、合計四千五百余首の歌を収めている。
歌は雑歌、相聞、挽歌に分類され、その内部では年代順に配列されている。これは『万葉集』の基本的な分類法である。そのほかに、巻によっては正述心緒歌・寄物陳思歌という分類法や、四季によって配列する方法も行われている。表記は万葉仮名と呼ばれる独自のものが用いられた。歌の制作年代は、仁徳天皇時代から天平宝字三(七五九)年までの約三百年以上に及ぶが、舒明天皇時代以前のものは伝承歌謡であって、その時代、その作者のものではない。従って、大化改新前後から約百三十年ほどが『万葉集』の時代と言うことができる。この間の和歌の歴史は、歌風の変遷に従って、通常、四期に分けて考察されている。
第一期 壬申の乱(六七二)までの時期を言う。和歌の発生する時期で、記紀歌謡の末期と重なっている。有名歌人として、斉明・天智朝に活躍した額田王があり、ほかに、舒明天皇・有馬皇子・天智天皇・倭大后がある。素朴な、歌謡的な表現を残しながらも、個人的な心情の表された秀歌が多い。
第二期 壬申の乱以後、平城京遷都(七一〇)までの約四十年間が、律令国家の完成に呼応するかのように和歌が完成する時期である。五七調の韻律も整い、表現技巧も多彩になり、孤独な心情の表現や自然の叙景なども行われるようになった。この期も天武天皇持統天皇志貴皇子大津皇子・大伯皇女など皇室歌人が多いが、柿本人麻呂高市黒人など、歌を専門とする歌人が現れた。中でも人麻呂は『万葉集』最大の歌人で、優れた歌を多く作った。特に長歌は彼によって頂点を極め、後はしだいに衰えていった。
第三期 平城京遷都から山上憶良の没年とされる天平五(七三三)年までが第三期である。誕生したばかりの律令国家は、圧倒的な唐文化の影響下に新しい貴族文化の花を咲かせた。宮廷周辺にはみやびやかな雰囲気があふれ、個性を発揮した歌人が活躍した。柿本人麻呂の宮廷賛歌の伝統を守り、一方で叙景歌を完成した山部赤人、風流に遊びながらも素直に心情を歌った大伴旅人、家族を愛し運命や社会の矛盾に激しい感情を向けた山上憶良、伝説や説話を長歌で歌って、その世界に自己の心情を託した高橋虫麻呂らが主な歌人である。歌は知性的、美的になったが雄大さに欠けるようになった。
第四期 第三期の後、『万葉集』最後の歌が作られた天平宝字三(七五九)年までを第四期とする。政治権力をめぐる対立が相次ぎ、律令制の矛盾が大きく表面に現れ始めた時期である。叙情詩である和歌は、このような社会では力を発揮できず、しだいに男女の私的な感情や、個人の孤独なつぶやきを歌うだけになっていった。繊細優美な感覚の歌が多くなり、男性的な力強さは失われた。大伴坂上郎女・笠郎女。狭野茅上娘子・田辺福麻呂湯原王などの歌人があるが、大伴家持がこの期の最大の歌人である。彼は越中守赴任(七四六)後に独自の歌境をひらき、孤独の憂愁をたたえた繊細な感傷を歌い上げた。
東歌・防人歌 『万葉集』には作者未詳の歌が多いが、その中で異彩を放っているのが東歌である。東歌は東国の民衆が歌ったと思われるものが多く、方言を交えて生活に密着した感情を率直に歌っている。また同じ東国の民衆が防人に徴発されたときの歌(防人歌)も大伴家持の手によって記録されていて、民衆の痛切な悲しみを今日まで伝えている。
万葉集』には、そのほかにも各地の歌謡や乞食人と呼ばれる芸能者が曲節や身振りを伴って歌った歌謡、また説話とともに語られた歌物語的な歌もある。

このテキストにも、万葉集から数編の歌が引用されています。
全体の構成から見ても、破格の扱いです。
このことから見ても、『万葉集』の文学史上における重要性が推し測れます。
なお、『万葉集』は、「万葉仮名」で書かれているのです。
これは、本テキストによると、「中国の文字を用いて日本語を表記するために、上代の人々は漢字の持つ意味を捨てて音や訓を利用して日本語の音韻を表すことを考えた」とあります。
「『万葉集』に最も多彩に用いられているので、この名で呼ばれている」とのことです。
テキストについて
それでは、実際に読むには、どのようなテキストがあるのでしょうか。
万葉集』について書かれた本は、それこそ星の数ほどありますが、現在の日本で流通している、概ね全首について原文や現代語訳を収録したものは4社から出ています。
しかし、全部揃えると、文庫とは言え、ものすごい量です。
講談社文庫版

万葉集 全訳注原文付(一) (講談社文庫)

万葉集 全訳注原文付(一) (講談社文庫)

  • 作者:中西 進
  • 発売日: 1978/08/28
  • メディア: 文庫
初版は1978年。
著者は中西進氏(一般社団法人日本学基金理事長)。
万葉集』の本文を漢字かなまじりの読み下し文に改め、原文を傍らに記し、下段に口語訳と語句の注を記したものです。
このシリーズが出るまでは、文庫版の『万葉集』で、原文だけのもの、読み下し文だけのもの、簡単な脚注付きの読み下し文だけのものはあったそうですが、全てを収めるのは初めての試みだったそうです。
第一冊には、『万葉集』の巻第一から巻第五までを収録しています。
万葉集 全訳注原文付(二) (講談社文庫)

万葉集 全訳注原文付(二) (講談社文庫)

  • 作者:中西 進
  • 発売日: 1980/02/13
  • メディア: 文庫
初版は1980年。
著者は中西進氏(一般社団法人日本学基金理事長)。
第二冊には、『万葉集』の巻第六から巻第十までを収録しています。
万葉集 全訳注原文付(三) (講談社文庫)

万葉集 全訳注原文付(三) (講談社文庫)

  • 作者:中西 進
  • 発売日: 1981/12/11
  • メディア: 文庫
初版は1981年。
著者は中西進氏(一般社団法人日本学基金理事長)。
第三冊には、『万葉集』の巻第十一から巻第十五までを収録しています。初版は1983年。
著者は中西進氏(一般社団法人日本学基金理事長)。
第四冊には、『万葉集』の巻第十六から巻第二十までを収録しています。
万葉集事典 (講談社文庫)

万葉集事典 (講談社文庫)

  • 発売日: 1985/12/09
  • メディア: 文庫
初版は1985年。
著者は中西進氏(一般社団法人日本学基金理事長)。
これは、上の第一冊から第四冊までの分冊で、中身は「便覧」です。
便覧を別冊にしたのは、本文と併行してページが開けるように考慮した結果とのこと。
集英社文庫
集英社文庫ヘリテージシリーズ 萬葉集釋注 1

集英社文庫ヘリテージシリーズ 萬葉集釋注 1

  • 作者:伊藤 博
  • 発売日: 2005/09/16
  • メディア: 文庫
初版は2005年。
著者は伊藤博氏。
これまでの『万葉集』の注釈書は、一首ごとに注解を加えることが一般的でした。
しかし、万葉歌には、前後の歌とともに歌群として味わうことによって、初めて真価を表わす場合が少なくありません。
そこで、本書では、歌群ごとに本文を掲示し、これに注解を加えるという方針を取りました。
本書は、万葉歌を漢字仮名交じりに書き下した「本文」、歌群に対する考察を展開した「釈文」、各歌の語彙について注を加えた「補注」によって構成されています。
「補注」は、巻末に一括して掲げました。
本巻には、『万葉集』の巻第一、巻第二を収録しています。
集英社文庫ヘリテージシリーズ 萬葉集釋注 2

集英社文庫ヘリテージシリーズ 萬葉集釋注 2

  • 作者:伊藤 博
  • 発売日: 2005/09/16
  • メディア: 文庫
初版は2005年。
著者は伊藤博氏。
本巻には、『万葉集』の巻第三、巻第四を収録しています。
集英社文庫ヘリテージシリーズ 萬葉集釋注 3

集英社文庫ヘリテージシリーズ 萬葉集釋注 3

  • 作者:伊藤 博
  • 発売日: 2005/09/16
  • メディア: 文庫
初版は2005年。
著者は伊藤博氏。
本巻には、『万葉集』の巻第五、巻第六を収録しています。
集英社文庫ヘリテージシリーズ 萬葉集釋注 4

集英社文庫ヘリテージシリーズ 萬葉集釋注 4

  • 作者:伊藤 博
  • 発売日: 2005/09/16
  • メディア: 文庫
初版は2005年。
著者は伊藤博氏。
本巻には、『万葉集』の巻第七、巻第八を収録しています。
集英社文庫ヘリテージシリーズ 萬葉集釋注 5

集英社文庫ヘリテージシリーズ 萬葉集釋注 5

  • 作者:伊藤 博
  • 発売日: 2005/09/16
  • メディア: 文庫
初版は2005年。
著者は伊藤博氏。
本巻には、『万葉集』の巻第九、巻第十を収録しています。
集英社文庫ヘリテージシリーズ 萬葉集釋注 6

集英社文庫ヘリテージシリーズ 萬葉集釋注 6

  • 作者:伊藤 博
  • 発売日: 2005/09/16
  • メディア: 文庫
初版は2005年。
著者は伊藤博氏。
本巻には、『万葉集』の巻第十一、巻第十二を収録しています。
集英社文庫ヘリテージシリーズ 萬葉集釋注 7

集英社文庫ヘリテージシリーズ 萬葉集釋注 7

  • 作者:伊藤 博
  • 発売日: 2005/12/16
  • メディア: 文庫
初版は2005年。
著者は伊藤博氏。
本巻には、『万葉集』の巻第十三、巻第十四を収録しています。
集英社文庫ヘリテージシリーズ 萬葉集釋注 8

集英社文庫ヘリテージシリーズ 萬葉集釋注 8

  • 作者:伊藤 博
  • 発売日: 2005/12/16
  • メディア: 文庫
初版は2005年。
著者は伊藤博氏。
本巻には、『万葉集』の巻第十五、巻第十六を収録しています。
集英社文庫ヘリテージシリーズ 萬葉集釋注 9

集英社文庫ヘリテージシリーズ 萬葉集釋注 9

  • 作者:伊藤 博
  • 発売日: 2005/12/16
  • メディア: 文庫
初版は2005年。
著者は伊藤博氏。
本巻には、『万葉集』の巻第十七、巻第十八を収録しています。
集英社文庫ヘリテージシリーズ 萬葉集釋注 10

集英社文庫ヘリテージシリーズ 萬葉集釋注 10

  • 作者:伊藤 博
  • 発売日: 2005/12/16
  • メディア: 文庫
初版は2005年。
著者は伊藤博氏。
本巻には、『万葉集』の巻第十九、巻第二十を収録しています。
角川ソフィア文庫
初版は平成21年。
訳注は伊藤博氏。
本書は、上の集英社文庫版の基になった『萬葉集釋注』を基に、旧版角川文庫『万葉集』を手直しし、さらには口語訳を加えたものです。
ただし、作業の途中で著者が亡くなったため、巻七以降については、『萬葉集釋注』の口語訳を利用しています。
本書は、万葉歌には前後の歌とともに歌群として味わうことによって初めて真価を表す場合が少なくないという考えに基づき、歌群ごとに本文を掲示しました。
本書は、『万葉集』の原文を全て漢字仮名交じりの書き下し文に改め、これに簡単な脚注と口語訳を付したものです。
巻七以降の口語訳については、集英社萬葉集釋注』のものを用いました。
本巻には、『万葉集』の巻第一から第五までを収録しています。初版は平成21年。
訳注は伊藤博氏。
本巻には、『万葉集』の巻第六から第十までを収録しています。初版は平成21年。
訳注は伊藤博氏。
本巻には、『万葉集』の巻第十一から第十六までを収録しています。初版は平成21年。
訳注は伊藤博氏。
本巻には、『万葉集』の巻第十七から第二十までを収録しています。
岩波文庫
万葉集(一) (岩波文庫)

万葉集(一) (岩波文庫)

  • 発売日: 2013/01/17
  • メディア: 文庫
初版は2013年。
校注は、佐竹昭広氏、山田英雄氏、工藤力男氏、大谷雅夫氏、山崎福之氏。
本書は、新日本古典文学大系萬葉集』に基づき、『万葉集』全20巻の全作品4500首余の訓み下し文と注釈を、文庫版(全5冊)として刊行したものです。
原文は、別に刊行する岩波文庫『原文 万葉集』(上・下)に掲載しました。
本分冊には、『万葉集』の巻第一から巻第四までを収録しています。
万葉集(二) (岩波文庫)

万葉集(二) (岩波文庫)

  • 発売日: 2013/07/18
  • メディア: 文庫
初版は2013年。
校注は、佐竹昭広氏、山田英雄氏、工藤力男氏、大谷雅夫氏、山崎福之氏。
本分冊には、『万葉集』の巻第五から巻第八までを収録しています。
万葉集(三) (岩波文庫)

万葉集(三) (岩波文庫)

  • 発売日: 2014/01/17
  • メディア: 文庫
初版は2014年。
校注は、佐竹昭広氏、山田英雄氏、工藤力男氏、大谷雅夫氏、山崎福之氏。
本分冊には、『万葉集』の巻第九から巻第十二までを収録しています。
万葉集(四) (岩波文庫)

万葉集(四) (岩波文庫)

  • 発売日: 2014/08/20
  • メディア: 文庫
初版は2014年。
校注は、佐竹昭広氏、山田英雄氏、工藤力男氏、大谷雅夫氏、山崎福之氏。
本分冊には、『万葉集』の巻第十三から巻第十七までを収録しています。
万葉集(五) (岩波文庫)

万葉集(五) (岩波文庫)

  • 発売日: 2015/03/18
  • メディア: 文庫
初版は2015年。
校注は、佐竹昭広氏、山田英雄氏、工藤力男氏、大谷雅夫氏、山崎福之氏。
本分冊には、『万葉集』の巻第十八から巻第二十までを収録しています。
原文 万葉集(上) (岩波文庫)

原文 万葉集(上) (岩波文庫)

  • 発売日: 2015/09/17
  • メディア: 文庫
初版は2015年。
校注は、佐竹昭広氏、山田英雄氏、工藤力男氏、大谷雅夫氏、山崎福之氏。
本書は、岩波文庫版『万葉集』(全5冊)に対応する原文を示したものです。
本分冊には、『万葉集』の巻第一から巻第十までを収録しています。
原文 万葉集(下) (岩波文庫)

原文 万葉集(下) (岩波文庫)

  • 発売日: 2016/02/17
  • メディア: 文庫
初版は2016年。
校注は、佐竹昭広氏、山田英雄氏、工藤力男氏、大谷雅夫氏、山崎福之氏。
本書は、岩波文庫版『万葉集』(全5冊)に対応する原文を示したものです。
本分冊には、『万葉集』の巻第十一から巻第二十までを収録しています。
口訳万葉集(上) (岩波現代文庫)

口訳万葉集(上) (岩波現代文庫)

初版は2017年(ただし、元になった版は1916年刊)。
著者は折口信夫氏。
本邦初の、口述による『万葉集』の全現代語訳。
上巻には、『万葉集』の巻第一から巻第七までを収録しています。
口訳万葉集(中) (岩波現代文庫)

口訳万葉集(中) (岩波現代文庫)

初版は2017年(ただし、元になった版は1916年刊)。
著者は折口信夫氏。
中巻には、『万葉集』の巻第八から巻第十二までを収録しています。
口訳万葉集(下) (岩波現代文庫)

口訳万葉集(下) (岩波現代文庫)

初版は2017年(ただし、元になった版は1916年刊)。
著者は折口信夫氏。
下巻には、『万葉集』の巻第十三から巻第二十までを収録しています。
原文読解
それでは、『万葉集』の冒頭部分を読んでみましょう。
下に、「訓み下し文」「口語訳」を記しました。
いずれも、岩波文庫版からの引用です。
また、訓み下し文の下には、語注も付けてあります。
なお、原文はもちろん縦書きですが、ここでは、ブログの書式のため、横書きになりますが、ご了承下さい。
(1)

(訓み下し文)
(テキスト49ページ、1行目)
萬葉集 巻第一

万葉集(まんえふしふ)(作品名)歌集。二十巻。撰者(せんじゃ)・成立年次未詳。巻一・二を原形として奈良時代末に現在の形が成立し、最終段階で大伴家持(おおとものやかもち)が関与したとされる。現存最古の歌集で、歌数は約四千五百首。歌体は短歌を主に、長歌・旋頭歌(せどうか)・仏足石歌などを含む。部立ては雑歌(ぞうか)・相聞(そうもん)・挽歌(ばんか)を主とする。用字はすべて漢字であるが、国語の表記には漢字の音訓を組み合わせた万葉仮名が多用されている。歌風は純真素朴で、「ますらをぶり」と称される。代表歌人天智天皇額田王(ぬかたのおおきみ)・柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)・山上憶良(やまのうえのおくら)・大伴旅人(おおとものたびと)・山部赤人(やまべのあかひと)・大伴家持(やかもち)・大伴坂上郎女(さかのうえのいらつめ)など。
(くわん)(接尾)書籍などを数える。
第一(だいいち)(名)いちばん初めであること。最初。
(2)

雑歌

雑歌(ざふか)(名)歌集における歌の分類の一つ。「万葉集」では、相聞(そうもん)・挽歌(ばんか)に属さない歌。「古今集」以後の勅撰(ちょくせん)集では、春夏秋冬の四季の歌や恋・賀・離別・羇旅(きりょ)・物名(もののな)・哀傷などに属さない歌。
(3)

泊瀬朝倉宮に宇御めたまひし天皇の代 大泊瀬稚武天皇

※泊瀬の朝倉に宮を置いた天皇は雄略(ゆうりゃく)天皇(五世紀後半在位か)。安康三年十一月に泊瀬の朝倉に即位して宮を定めたという。
泊瀬(はつせ)(名)(地名)→はせ(地名)(古くは「はつせ」)奈良県桜井市初瀬。長谷(はせ)寺の門前町として観音信仰で栄える。桜の名所で知られ、また長谷寺の牡丹(ぼたん)は有名。(歌枕)
(格助)連体修飾語をつくる。/所在を表す。~にある。~にいる。
(みや)(名)皇居。御所。禁中。
(格助)場所を表す。~に。~で。
あめのした(名)日本の全国土。また、国の政治。
をさむ(他マ下二)統治する。国などをおさめる。
たまふ(補動ハ四)動詞・助動詞受身の「る」「らる」、使役の「す」「さす」「しむ」の連用形に付いて、尊敬の意を表す。お~になる。お~なさる。
(助動特殊型)今より前(過去)に起こったことをいう。以前~た。~た。
天皇(すめらみこと)(名)天皇の尊称。
(格助)連体修飾語をつくる。/時を示す。
みよ(名)天皇の治世、または在位の期間の敬称。
(おほ-)(接頭)尊敬・賞賛の意を表す。
(4)

天皇の御製の歌

御製(ぎょせい)(名)天皇・皇族が作った詩文や和歌。
(格助)連体修飾語をつくる。/資格を表す。~である。
(うた)(名)詩歌。和歌や漢詩などの総称。
(5)

1 籠もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち この岡に 菜摘ます児 家告らな 名告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我こそ居れ しきなべて 我こそいませ 我こそば 告らめ 家をも名をも

(こ)(名)竹などで編んだかご。
もよ(間助)感動の意を表す。~よ。「籠(こ)もよみ籠持ち掘串(ふくし)もよみ掘串(ぶくし)持ち」
み-(接頭)(名詞に付いて)美称、また、語調を整える。「み籠(こ)持ち」
持つ(もつ)(他タ四)手にする。たずさえる。身につける。
ふくし(名)竹や木の先をへら状にとがらせた、土を掘る道具。「籠(こ)もよみ籠もちふくしもよみぶくし持ちこの岳(をか)に菜摘ます児(こ)」
この 自分に最も近いものを指示する語。この。ここの。「この丘に菜摘ます(=オ摘ミニナル)児(こ)」
(をか)(名)土地の小高くなった所。おか。「この岡に菜摘ます児(こ)家聞かな告(の)らさね」
(な)(名)食用の草木類の総称。「み掘串(ぶくし)持ち この岳(をか)に菜摘ます児(こ)」
摘む(つむ)(他マ四)(植物などを)つまみとる。
(助動サ四型)(上代語)尊敬の意を表す。お~になる。お~なさる。「この岳(をか)に菜摘ます児(こ)家聞かな(=菜ヲオ摘ミニナル娘サン、アナタノ家ハドコカ聞キタイ)」
(こ)(名)人を親しんで呼ぶ語。男女ともに用いる。「この岳(をか)に菜摘ます児(こ)家聞かな告(の)らさね」
(いへ)(名)自分の家。わが家。
告る(のる)(他ラ四)言う。述べる。告げる。
(終助)(上代語)他への勧誘・あつらえを表す。
(な)(名)他と区別するために呼ぶことば。呼び名。名前。
さね上代語)~でください。「この岳(をか)に菜摘ます児(こ)家聞かな告(の)らさね」
そらみつ(枕詞)「大和(やまと)」「倭(やまと)」にかかる。=そらにみつ。「そらみつ大和の国はおしなべてわれこそ居(を)れ」
大和(やまと)(名)(平安遷都まで、歴代天皇の都があったところから)日本国の称。やまとの国。
(格助)連体修飾語をつくる。/名称を示す。~という。
(くに)(名)国土。国家。日本国。
(係助)特に掲示する意を表す。(主語のように用いる)。~は。
おしなべて(副)あまねく。なにからなにまで。すべて。一様に。総じて。
(われ)(代)自称の人代名詞。わたくし。
こそ(係助)そこに示した一つを、特に強く指示する意を表す。
居り(をり)(自ラ変)いる。ある。存在する。
しきなぶ(自バ下二)くまなく支配する。広く領有する。
(接助)ある事が起こって、次に後の事が起こることを表す。~て、それから。そうして。
います(自サ四)「あり」「居(ゐ)る」の尊敬語。いらっしゃる。おありになる。
(係助)特にとりたてて言う意を表す。~は。
(助動マ四型)意志を表す。~う。~よう。
(格助)対象としてとりあげたものを示す。~を。
(係助)並列を表す。

(口語訳)
1 かごも、よいかごを持ち、へらも、よいへらを持って、この岡で若菜を摘んでおられるおとめよ、家をお告げなさいな、名を名のりなさいな。(そらみつ)大和の国は、ことごとく私が治めているのだ、すべて私が支配しておられるのだ。私こそ告げよう、家も名前も。

(6)

高市岡本宮に宇御めたまひし天皇の代 息長足日広額天皇

高市岡本宮で世を治めたのは舒明(じょめい)天皇(六二九―六四一在位)。
高市(たけち)(地名)奈良県高市(たかいち)郡の古称。
(7)

天皇の、香具山に登りて国を望みたまひし時の御製の歌

(格助)主語を示す。~が
香具山(かぐやま)(地名)奈良県橿原(かしはら)市の東部にある山。高天原(たかまのはら)にあった山が地上に降(くだ)ったものだという伝説により、古来、神聖視され、「天(あま)の香具山」と呼ばれている。耳成(みみなし)山・畝傍(うねび)山とともに大和(やまと)三山といわれる。(歌枕)
登る(のぼる)(自ラ四)高い所や上のほうへ行く。
望む(のぞむ)(他マ四)はるかに見る。ながめる。
(とき)(名)ころ。時分。折。場合。

天皇が香具山に登って国見をされた時の御歌

(8)

2 大和には 郡山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は かまめ立ち立つ うまし国そ あきづしま 大和の国は

大和(やまと)(名)(地名)旧国名。「畿内(きない)」五か国の一つ。今の奈良県。和州(わしゅう)。
には ~には。
群山(むらやま)(名)むらがっている山。多くの山々。「大和(やまと)には群山あれどとりよろふ天(あま)の香具(かぐ)山」
在り(あり)(自ラ変)存在する。/(物が)ある。
(接助)逆接の確定条件を表す。~けれども。~のに。~だが。
とりよろふ(自ハ四)(上代語)語義未詳。(草木で)装(よそお)う意、足りそなわる意、郡に近く寄っている意、(村山が)寄り合っている意などの諸説がある。「大和(やまと)には群山(むらやま)あれどとりよろふ天(あま)の香具(かぐ)山」
天の(あめの)(連体)「あまの」とも。天または宮廷に関する事物に冠する語。天の。空にある。
立つ(自タ四)上方にまっすぐになる。起立する。
国見(くにみ)(名)天皇が高い所に登って、国情や人民の生活状態を観察すること。
(他サ変)ある動作を起こす。ある行為をする。
(接助)その事に続いて、次に述べる事が起こったことを表す。~すると。
国原(くにはら)(名)広々と開けた土地。平野。「国見をすれば国原は煙(けぶり)立ち立つ」
(けぶり)(名)飯をたくけむり。転じて、生計。
立ち立つ(たちたつ)(自タ四)次々に飛び立つ。ほうぼうに立つ。「国原は煙(けぶり)立ち立つ海原(うなばら)は鷗(かまめ)立ち立つ」
海原(うなばら)(名)広々とした海。広い池や湖についてもいう。「海原は鷗(かまめ)立ち立つ」
かまめ(名)(上代語)海鳥の名。かもめ。
うまし(形シク)りっぱだ。すばらしい。
(係助)→ぞ(係助)文末にあって断定する意を表す。~だ。~である。
あきづしま(名)(枕詞)「大和」にかかる。「うまし(=ヨイ」国ぞあきづしま大和の国は」

2 大和の国には多くの山々があるが、いちばん近くにある天の香具山、そこに登り立って国見をすると、広い平野には、かまどの煙があちこちから立ちのぼっている。水面には、白い鷗の群がしきりに飛び立っている。素晴らしい国だよ、(あきづしま)大和の国は。

(9)

天皇の内野に遊猟したまひし時に、中皇命の、間人連老をして献らしめし歌

(格助)時を示す。~(とき)に。
(格助)(上代語)所属の意を表し、連体修飾語をつくる。~の。~にある。
(格助)連体修飾語をつくる。/所属を表す。
(むらじ)(名)上代の「姓(かばね)」の一つ。もと「臣(おみ)」とならんで朝政に参与する家柄であったが、天武天皇の時代、「八色(やくさ)の姓」が定められ七位となった。
して(格助)使役の対象を示す。~に命じて。~に(~させて)。~をして。
たてまつる(他ラ四)「与ふ」の謙譲語。さし上げる。
しむ(助動マ下二型)使役の意を表す。~せる。~させる。

天皇が宇智の野で狩をされた時に、中皇命が間人連老に奉らせた歌

(10)

3 やすみしし わが大君の 朝には 取り撫でたまひ 夕には い寄り立たしし みとらしの 梓の弓の なか弭の 音すなり 朝狩に 今立たすらし 夕狩に 今立たすらし みとらしの 梓の弓の なか弭の 音すなり

やすみしし(枕詞)「わが大君」「わご大君」にかかる。
(あした)(名)あさ。
取り撫づ(とりなづ)(他ダ下二)手に取って。
ゆふべ(めい)(上代は「ゆふへ」。)日暮れ時。夕方。宵。
い寄る(いよる)(自ラ四)(上代語)寄る。近寄る。「わご大君の朝(あした)にはとり撫(な)でたまひ夕べにはい寄り立たしし御執(みと)らしの梓(あづさ)の弓の」
立たす(たたす)(上代語)お立ちになる。
みとらし(名)手にお取りになる物。転じて、貴人の弓の敬称。御弓。「みとらしの梓(あづさ)の弓の金弭(かなはず)の音すなり」
(あづさ)(名)木の名。落葉高木である夜糞峰榛(よぐそみねばり)の別名という。材は弓を作り、また版木に用いる。
(格助)連体修飾語をつくる。/材料を表す。「あづさの弓」
(ゆみ)(名)武器の一つ。木または竹などをたわめ、弦を張って矢を射るもの。古くは丸木弓で壇(まゆみ)・梓(あずさ)・櫨(はじ)・槻(つき)などを材とした。
なか(名)まん中。中央。
(はず)(名)弓の両端の弦をかける所。弓筈(ゆはず)。
(格助)連体修飾語をつくる。/所有を表す。~が持っている。~のものである。
(おと)(名)空気の波動で生じる聴覚の刺激。声。響き。
(自サ変)ある動作が起こる。ある状態となる。
なり(助動ナリ型)断定を表す。~である。~だ。
朝狩り(あさかり)(名)「あさかり」とも。早朝に行う狩り。⇔夕狩り
(格助)動作の目的を示す。~のため。
(いま)(副)すぎに。ただちに。
立つ(たつ)(自タ四)出発する。旅に出る。
らし(助動特殊型)明らかな事実・状態を表す語に付いて、その原因・理由を推定する意を表す。~というので~らしい。
夕狩り(ゆうかり)(名)夕方の狩り。「夕狩りに今立たすらし(=今オ出カケニナルラシイ)」⇔朝狩り

3 (やすみしし)我が大君が、朝には手に取って撫でいつくしまれ、夕べにはそのそばに寄り立たれた、ご愛用の梓の弓の中弭の音が聞こえる。朝狩にいま出発なさるらしい、夕狩にいま出発なさるらしい。ご愛用の梓の弓の中弭の音が聞こえる。

(11)

反歌

反歌(はんか)(名)和歌の一形式。長歌の終わりに詠み添える短歌。長歌の大意をまとめ、またはその意を補う。「万葉集」に例が多い。
(12)

4 たまきはる宇智の大野に馬並めて朝踏ますらむその草深野

たまきはる(枕詞)「命」「いくせ」「うち」「吾(わ)」などにかかる。
大野(おほの)(名)広い野原。「たまきはる宇智(うち)の大野に馬並(な)めて朝踏ますらむその草深野」
(うま)(名)家畜の一種。うま。
並む(なむ)(他マ下二)並べる。連ねる。
(あさ)(名)夜が明けてからしばらくの間。
踏む(ふむ)(他マ四)踏み歩く。
らむ(助動マ四型)現在見えない所で行われている事実について、想像・推量する意を表す。今ごろ~しているだろう。
その 近い前に話題にのぼった事物であることを示す語。その。あの。
草深野(くさふかの)(名)草の深く茂った、人の行き来の少ない野。「たまきはる宇智(うち)の大野に馬並(な)めて朝踏ますらむその草深野」

4 (たまきはる)宇智の大野に馬を並べて、朝の野をお踏みになっているであろう、その草深野よ。

(13)

讃岐国の安益郡に幸したまひし時に、軍王の、山を見て作りし歌

讃岐(さぬき)(地名)旧国名
(くに)(名)行政上の一区域。
(こほり)(名)令制で、国の下に属する地方行政区画。郷(ごう)・里・町・村などを含む。のちの郡(ぐん)にあたる。
みゆき(名)天皇上皇法皇女院のおでかけ。中世以後は音読して、「行幸(ぎやうかう)」を天皇、「御幸(ごかう)」を上皇法皇女院に用いた。いでまし。
(やま)山。山岳。
見る(他マ上一)見る。目にとめる。
作る(つくる)(他ラ四)歌・文章などを作る。詠む。

讃岐国の安益郡に行幸された時に、軍王が山を見て作った歌

(14)

5 霞立つ 長き春日の 暮れにける たづきも知らず むらきもの 心を痛み ぬえこ鳥 うらなけ居れば 玉だすき かけのよろしく 遠つ神 わが大君の 行幸の 山越す風の ひとり居る わが衣手に 朝夕に かへらひぬれば ますらをと 思へる我も 草枕 旅にしあれば 思ひ遣る たづきを知らに 網の浦の 海人娘子処女らが 焼く塩の 思ひそ焼くる わが下心

(かすみ)(名)朝・夕などに、微細な水滴が空中に浮遊して一面に白っぽくただよい、空や遠方などがぼんやり見える現象。
立つ(たつ)(自タ四)(雲・霧・霞(かすみ)・煙などが)出る。たちこめる。
長し(ながし)(形ク)(時間的に)へだたりが大きい。
春日(はるひ)(名)春の日。
暮る(くる)(自ラ下二)日が落ちて暗くなる。夕方になる。
(助動ナ変型)動作または作用が完了した意を表す。~た。~てしまう。~てしまった。
けり(助動ラ変型)現状から、過去の体験を思い起こす意を表す。~たのだ。
たづき(めい)手段。方法。手がかり。たより。
(係助)(否定の文に用いて)否定を強める。
知る(しる)(他ラ四)意識する。感知する。「長き春日の暮れにけるわづきも知らず(=イツ暮レタカモ気ガツカズ)」
(助動特殊型)打消の意を表す。~ない。
むらきもの(枕詞)心のはたらきは内臓によるとされたことから「心」にかかる。「むらきもの心を痛み」
(こころ)(名)知識・感情・意志の総称。(肉体に対する)精神。
痛む(いたむ)(自マ四)迷惑がる。苦痛に感じる。
ぬえこどり(枕詞)悲しげに鳴くことから「うらなく」にかかる。「ぬえこどりうらなけ居(を)れば」
うらなく(自カ下二)心の中で自然と泣けてくる。しのび泣く。「村肝(むらきも)の(=枕詞)心を痛み鵼子鳥(ぬえことり)(=枕詞)うら泣けをれば」
居り(をり)(補動ラ変)動作・状態の継続を表す。助動詞的に用いられる。じっと~している。
たまだすき(枕詞)「たすき」をうなじにかけるところから「かく」に、また「うなじ」と類音の「うね」にかかる。
かけ(名)口の端にかけること。また、そのことば。「鵼子鳥(ぬえこどり)(=枕詞)うらなけをれば玉襷(たまだすき)(=枕詞)掛けのよろしく(=コトバダケデモウレシク)」
よろし(形シク)満足できる程度である。まずまずよい。
遠つ神(とほつかみ)(枕詞)大君がはるかな神の子孫であるとのことから「大君」にかかる。「遠つ神わご大君の」
わが大君(おほきみ)(当代の天皇を敬っていう語)今上天皇
行幸(いでまし)(名)天皇・皇子などがお出かけになること。みゆき。行幸(ぎょうこう)。
越す(こす)(自サ四)物の上を越えて通る。越える。
(かぜ)(名)空気の流動。かぜ。
ひとり(名)単独であること。また、その物だけであること。
わが 私の。われわれの。
衣手(ころもで)(名)袖(そで)。
(格助)動作の方向を示す。~(の方)へ。
あさよひ(名)朝と夕べ。朝晩。
かへらふ上代語)くり返しする。
(接助)順接の確定条件を表す。~ので。~から。
ますらを(名)勇ましくりっぱな男子。勇士。
(格助)言ったり、思ったりする内容を受けていう。引用の「と」。
思ふ(おもふ)(他ハ四)判断する。思いわきまえる。理解する。
(助動ラ変型)完了した動作・作用の結果が存続している意を表す。~ている。~てある。
草枕(くさまくら)(枕詞)「旅」「結ぶ」「ゆふ」「かり」「露」、地名の「多胡(たご)」などにかかる。
(たび)(名)家を離れて、一時他の場所へ行くこと。また、その途中。旅行。
(格助)場合・状況などを示す。~に。~の場合に。
(副助)強意を表す。
あり(自ラ変)存在する。/(人・動物が)いる。
思ひ遣る(おもひやる)(他ラ四)思いを晴らす。憂いを晴らす。
上代語)打消の助動詞「ず」の連用形の古形。~ないで。~ないので。
あまをとめ(名)年若い海女(あま)。「あまをとめらが焼く塩の思ひぞ焼くるわが下ごころ」
-ら(接尾)(主として人を表す体言に付いて)複数である意を表す。
(格助)体言・活用語の連体形に付き、あとに述べる事態をもたらしたものを指示する。一般に主語を示すといわれるもの。~が。
焼く(やく)(他カ四)火をつけて燃やす。
(しほ)(名)食塩。
思ひ(おもひ)(名)いつくしみ。いとおしみ。愛情。恋い慕う気持ち。
(係助)→ぞ(係助)強く指示する意を表す。
焼く(やく)(自カ下二)思いこがれる。「網の浦の海処女(あまをとめ)らが焼く塩の思ひぞ焼くるわが下ごころ」
下心(したごころ)(名)内心。表面に表さない心の中。

5 霞の立つ春の長い日がいつ暮れたのかも分からないほど(むらきもの)心が苦しいので、(ぬえこ鳥)心の中で泣いていると、(玉だすき)その言葉だけでも嬉しいことに、(遠つ神)我が大君が行幸なさっている、この山を越えて吹き下ろす風が、一人でいる私の袖に、朝な夕なに吹いては帰ってゆくので、立派な男と自負する私ですら、(草枕)旅の空にいるので、憂いを晴らすすべもなく、網の浦の海人の娘たちが焼く塩のように、思い焦がれ続けている、私の胸のうちは。

(15)

反歌

(16)

6 山越しの風を時じみ寝ぬる夜よおちず家なる妹をかけて偲ひつ

時じ(ときじ)(形シク)時節に関係がない。いつもある。
-み(接尾)(形容詞の語幹(シク活用には終止形)および助動詞「べし」の語幹相当部分、助動詞「まじ」の終止形に付いて)原因・理由を表す。多く「名詞+~み」の形をとる。~なので。~だから。「山越(こ)しの風を時じみ(=風ガ絶エズ吹クノデ)寝(ぬ)る夜おちず(=寝ル夜ハイツモ)家なき妹(いも)を懸けて偲(しの)ひつ」
(ぬ)(自ナ下二)ねる。ねむる。横になる。また、共寝をする。
(よ)(名)日没から日の出までの間。よる。
おちず 残らず。もらさず。
(いへ)(名)自分の家。わが家。
なり(助動ナリ型)所在を表す。~にある。~にいる。
(いも)(名)男性から妻・恋人・姉妹、その他いとしい女性を呼ぶ語。おもに妻・恋人にいう。
かく(他カ下二)ある事物に対して心を向ける。/心に思う。恋心をいだく。
偲ぶ(しのぶ)(他バ四)(上代は「しのふ」)思い慕う。恋い慕う。なつかしむ。
(助動タ下二型)動作・作用の完了した意を表す。~た。~しおえる。~てしまう。~てしまった。

6 山を越えて吹く風が絶え間ないので、夜ごとの寝床で、家にいる妻を心にかけて思った。

(17)

右は、日本書紀を撿ふるに、讃岐国に幸したまひしことなし。

(みぎ)(名)右側。右の方。
日本書紀(作品名)歴史書。三十巻。舎人(とねり)親王ら撰(せん)。養老四年(七二〇)完成奏上。神代から持統(じとう)天皇に至る歴史を漢文編年体で記す。「古事記」と密接な関係を有するが、「古事記」に比べ諸説を列挙するなど考証的であり、また漢文風潤色が施されている。「日本紀(にほんぎ)」とも。「六国史(りくこくし)」の第一。
かんがふ(他ハ下二)思慮する。調べただす。また、占いによって吉凶を判断する。
(接助)事実を述べて、下につづける。~と。~したところが。
こと(名)意味。内容。
なし(形ク)存在しない。ない。

右は、日本書紀について調べてみると、舒明天皇讃岐国行幸した記録はない。

(18)

また軍王も未だ詳らかならず。

また(接)ならびに。および。
(係助)ある物事にさらにもう一つの物事を添える。~もまた。
未だ(いまだ)(副)(下に打消の表現を伴って)まだ。今でもまだ。
詳らか(つまびらか)(形動ナリ)事細かなさま。くわしいさま。明瞭(めいりょう)なさま。
ならず ~ではない。

また軍王についても未詳である。

(19)

但し、山上憶良大夫の類聚歌林に曰く、「記に曰く、「天皇の十一年己亥の冬十二月己巳の朔の壬午、伊与の温湯の宮に幸したまひき云々」といふ。一書に、「この時に、宮の前に二つの樹木在り。この二樹に、斑鳩と比米の二鳥大いに集まる。時に勅して、多く稲穂を挂けて、これを養はしめき。乃ち歌を作りき云々」といふ。

但し(ただし)(接)しかし。もっとも。それはそれとして。
山上憶良(やまのうへのおくら)(人名)(六六〇―七三三?)奈良時代歌人。大宝二年(七〇二)遣唐使として入唐(につとう)、五年後、新知識を得て帰国。のち伯耆守(ほうきのかみ)・筑前守(ちくぜんのかみ)などを歴任。漢詩文に長じ、儒仏の思想にも精通していた。人生の矛盾への批判や深い人間愛を歌い、社会詩人と評される独自の歌境を示した。「万葉集」に長歌十一首・短歌五十三首が見える。「思子等歌(こらをおもううた)」「貧窮問答歌」などが有名。
大夫(たいふ)(名)令制で、五位の者の通称。
(格助)連体修飾語をつくる。/作者を示す。
類聚歌林(るいじゅうかりん)(作品名)奈良前期の私撰(しせん)集。七巻(現存しない)。山上憶良(やまのうえのおくら)編。皇室関係の古歌を部類別に集成したものとされるが、「万葉集」の左注に引用されるのみで全容は不明。「歌林」とも。
曰く(いはく)言うこと。言うことには。言うよう。
(き)(名)「日本書紀」の略称。「紀に曰(い)はく」
(いち)(名)数の名。ひとつ。
(ねん)(名)一年。十二か月の期間。
(ふゆ)(名)四季の一つ。陰暦十月から十二月までの称。立冬から立春の前日まで。
(ついたち)(名)陰暦で、月の第一日。
伊予(いよ)(地名)旧国名
(みや)(名)伊勢(いせ)神宮をはじめ、特別の神をまつる神社の称。また、一般に神社の称。
いふ(自他ハ四)ことばで形容する。
(しょ)(名)文書。書物。書類。
この 話題となっているものを指示する語。この。
二つ(ふたつ)(名)数の名。二(に)。
斑鳩(いかるが)(名)小鳥の名。いかる。
(格助)いくつかの事柄を並列する。~と~と。
なり(助動ナリ型)状態・性質を表す。~である。
(ちょく)(名)天皇のおことば・命令。みことのり。
多し(おほし)(形ク)多い。数量がたくさんある。程度がはなはだしい。
掛く(かく)(他カ下二)物につけてぶらさげる。/つり下げる。
これ(代)近称の指示代名詞。話し手に近い事物・場所などをさす。/事物をさす。このもの。このこと。
養ふ(やしなふ)(他ハ四)はぐくみ育てる。めんどうをみる。
乃ち(すなはち)(接)そこで。その時に。そして。
作る(つくる)(他ラ四)歌・文章などを作る。詠む。

但し、山上憶良大夫の類聚歌林には、「日本書紀に「舒明天皇の十一年(六三九)十二月十四日、伊予の温泉の離宮行幸云々」とある。一書には、「この時、離宮の前に二本の木があった。この二本の木に、斑鳩と比米の二種の鳥が群れ集まった。天皇は勅命を以て、多くの稲穂を掛けて餌として与えた。その時にこの歌を詠んだ云々」と言う」と載っている。

(20)

若し疑ふらくは、ここより便ち幸したまひしか。

若し(もし)(副)(仮定表現に用いて)仮に。万一。
疑ふ(うたがふ)(他ハ四)疑う。不審に思う。
-らく 連体形末尾が「る」となる語のク語法の語尾。その語を名詞化する。文末では詠嘆の意を添える。~すること。~することよ。
(係助)(形容詞型活用の語、および打消の助動詞「ず」の連用形に付いて)仮定の条件を表す。~ならば。
ここ(代)近称の指示代名詞。話し手に近い所をさす。この場所。
より(格助)動作・作用の時間的・空間的な起点を示す。~から。
すなはち(副)すぐに。たちまち。ただちに。
(係助)疑いの意を表す。~か。~だろうか。

思うに、天皇は伊予から続いて讃岐に行幸したのであろうか。

【参考文献】
1995年度 二文.pdf - Google ドライブ
詳説日本史B 改訂版 [日B309] 文部科学省検定済教科書 【81山川/日B309】笹山晴生佐藤信五味文彦、高埜利彦・著(山川出版社
精選日本文学史』(明治書院
旺文社古語辞典 第10版 増補版』(旺文社)