『スミス都へ行く』

夏休みの初日は、ブルーレイで『スミス都へ行く』を約6年ぶりに再見した。

1939年のアメリカ映画。
日本では天皇を中心とした軍国主義真っ盛りの時代に、こんな映画が作られていたのだから、やはりアメリカは進歩的だったのだろう(過去形)。
監督はフランク・キャプラ
音楽は、『ジャイアンツ』『ナバロンの要塞』『ローマ帝国の滅亡』のディミトリ・ティオムキン
主演は、『めまい』『西部開拓史』のジェームズ・ステュアート。
共演は、『カサブランカ』『アラビアのロレンス』のクロード・レインズ、『風と共に去りぬ』のトーマス・ミッチェル等。
本作はモノクロ、スタンダード・サイズだが、画質は素晴らしい。
オープニング曲は『アルプス1万尺』。
フォーリー上院議員が休止した。
後任を指名しなければならない。
州の実力者テイラーの一派は、ダム建設を無条件で支持する候補を擁立しようとする。
このダム建設には、相当な利権があるらしい。
政界の腐敗・堕落ここに極まれりといった感じだが、今の日本も同じようなものだ。
(※差し障りがあるので、具体例は省略。)
テイラーの腰巾着のホッパー州知事は、誰を擁立するか迷う。
家での食事(これが上流階級の食事なんだな)の最中に子供達に聞くと、口々にジェフ・スミス(ジェームズ・ステュアート)を推す。
ボーイ・スカウトの団長を務めるスミスは、子供達に人気だった。
で、知事はスミスを指名する。
指名式では『蛍の光』が流れた。
スミスは、大陸横断特急でワシントンに向かう。
コンパートメント(もちろん1等だろう)に、ペイン上院議員クロード・レインズ)と同席だった。
ペインはかつて、新聞記者であったスミスの父親クレイトンと共に、巨悪と闘った中であった。
しかし、クレイトンは殺された。
巨悪の陰謀は恐ろしい。
かつては闘士であったペインも、今や堕落している。
今の日本の多くの政治家も、同じようなものだろう(※差し障りがあるので、具体例は省略)。
さて、スミスはワシントンへ着いた。
国会議事堂が見える。
スミスは、ワシントンで一時、行方不明になる。
彼は、ワシントンの街を見て回っていた。
アメリカの歴史が刻まれている。
特に、彼はリンカーンを尊敬しているようだ。
(まあ、リンカーンが本当に尊敬に値する政治家であったのかは、知る由もないが。)
それにしても、世間知らずの田舎者には、秘書のサンダース(ジーン・アーサー)もウンザリだった。
マスコミも、スミスについて、あることないことを面白おかしく書き立てる。
翌日、スミスは自分をバカにした新聞記者達を片っ端から殴って回った。
まあ、暴力はいかんな。
今の日本だったら、暴行容疑で逮捕されて、即刻議員辞職だろう。
スミスは、採決に加わる以上、法案の内容を勉強しなければと思うのだが、「そんな必要はない!」と言われてしまう。
要するに、彼は採決要員でしかない訳だ。
日本の政権与党の若手議員の大半も、同じようなものだろう。
それでも、スミスは理想主義でバカ正直だった。
本来、これは政治家に必要な資質だろう。
スミスは、少年のためにキャンプ場を設立したいと考える。
そのための法案を提出しようと。
サンダースからは「法案はなかなか通らない」と説明されるが、それでも諦めない。
余談だが、当時は上院議員は96人しかいなかった。
未だアラスカとハワイが加わっていないからだな。
で、スミスがせっかく少年キャンプ場を作ろうと思ったのに、その土地は、既に利権まみれのダムの建設が決まっていた。
巨悪が妨害に動き出す。
新人議員が張り切っているだけなら大して害にはならないが、子供達が大喝采した。
大衆の支持を得た政治家は、巨悪にとって邪魔だから、潰される。
日本でも、原発とか、基地とか、国民にとっては害にしかならないものが、国家権力の横暴によって、どんどん強引に推し進められている。
後半、議会のシーンがクライマックスになる。
スミスは、テイラーやペインからさんざんな妨害を受ける。
でも、それには屈しない。
秘書のサンダースは、スミスの熱意に負けて、彼を全力で応援していた。
何よりも、議長が彼の味方だった。
ここで行われるフィリバスターは、民主主義のために必要なものとして描かれている。
翻って、日本ではどうだろう。
野党が牛タン演説や牛歩戦術を取ると、マスコミは一斉に批判する。
昔の社会党は、これがお家芸だったが。
確かに、本作は現実の政治と比べればファンタジーなのかも知れない(特にラスト)。
だが、政治が理想を失ってどうする!
それにしても、議会の演説を映画の見せ場にするとはスゴイ。
日本の国会中継なら、退屈で仕方がないだろう。
本作は、政治の本質が何ら変わっていないから、今見ても、決して古臭く思えることはない。
アカデミー賞原案賞受賞。

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